経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
元々、自分は中学校の頃から引きこもりで、子供の頃から、ネットが全てのような典型的な引きこもりだった。昔から自分には発達障害があり、こだわりが強く、なんでも突き詰めないと行けない。やらなければならない。こうであらねばならない。そう思ってしまう。
元々、金遣いが荒く、専門学校を卒業して、バイトをしてはじめてクレジットカードを作った。ある意味、そこが始まりだったのかもしれない。そこからいろんなクレジットを作り、銀行などから借金をし、母からも借金をし、信用やお金と引き換えに色々なもので自身を充実させようとした。それでも心は埋まらない。常に何かが足りないとそう思ってしまう。まるで自分の底には何もないのか。と思ってしまえるほどに…でもその何かが今でもわからない。わからないから何度も同じ過ちを繰り返してしまう。
どうすれば良いのかがわからない。あまりにも本能的に生きすぎて生きづらい。もう人生なんてやめて畜生道に堕ちていきたい気分になる。
自分の使ったお金で自分の首を絞めて自分がどんどんその借金という名の錨を体につけて行って、地獄の底へと堕ちて行ってしまう気分だった。
どうやめて良いのかわからない。
感想1
「自分のこだわりや考えについて理解している人なんだな」と初めは思ったのですが、そうではなく、苦しんできた過程で、『思い知ってきてしまった』のではないかと感じました。
〇〇せねば…は、誰かに脅迫されているような感覚というより、そうしないと自分が納得できず、結局自分自身がしんどくなってしまうから故の思考や行動なのかなと想像しています。私の場合は数字や計算がとても苦手で、クレジットカード使用にあたり自分の中で所持金を把握できないせいで沢山ある感覚になり、際限なく使ってしまった経験があるので、思い当たる私の"始まり"と勝手ながら重ねてしまいました。ストレスの『発散』でもそういった行動が起こることがあると私は思っていたのですが、『満たす』の感覚があなたにはあるんだなぁと今考えながらも、ストレス発散の先に『充実』がある気もして、そういった部分からくるものもあったりするのだろうか…と思いました。何かが足りないと感じる状態でいると、とても不安が強くなる体感が私はあります。探してるような…変にソワソワしてしまったりもあって、手っ取り早く何かの物で満たしたい(食べ物なども含め)からどうしても出費に繋がったりして、苦しくなるし、そこにはイライラもあるんじゃないかと思いました。
"本能的に生きすぎて生きづらい"正に今のあなたの状態を、あなたが素直に表した言葉なんだろうなと感じます。そして、自分に対して「もうやめてくれよ」と懇願してるようなあなたもいるのかなと、イメージが浮かんだようにも思いました。何かやめる方法がないか、死にトリで一緒に考えることもできるのかなと思ったので、よかったらまた書き込んでみて下さい。
感想2
「本能的に生きすぎて」とあるように、自分で自分のことを把握しているからこそ、それをなんとかできずになってしまうことに対する葛藤やコントロールのままならないつらさのようなものを読ませていただいて想像していました。
自身のこだわりに起因する生きづらさから引きこもってしまっていたことには、それはそれで別のつらさや苦しみがあったのかなと思いますが、専門学校を卒業して、一転して外の世界(という表現が適切かはわからないのですが)を知ったことは、今まで感じられなかった何かがあったのかなと思えました。
ですがそれは、引きこもっていた世界から投稿者さんの中で一気に世界が広がるものであったのと同時に、やらなければならない、こうであらねばならないという自身への縛りによって抑圧された状態から解放されて自分でもコントロールできない浪費につながる体験でもあったのかなと感じました。
それは自分で調整するにはあまりにも難しく、抑圧が厳しかった分だけインスタントに気持ちを解消できる「消費や浪費」という手段で現れていた部分もあったのかなと思いつつ、「常に何かが足りない」と感じて際限なく渇望してしまうことには「満たされていない何か」を必死に取り返そうとしている行動でもあったのかなと考えてしまった私がいます。
自分のことを内省し、それがわかっていながらも何とかできない、意に反したことをしてしまうのにはとても大きなストレスや自身の否定を感じてしまう気がします。ですが、たとえ「わかっていたとしてもどうにもならない」という状況や自分の行動があったとしても、そこに起因する自分のこだわりや価値観を知っていることはとても大切なことのように私には感じられます。
そういったことを完璧にコントロールしたり、うまくバランスをとっていくことは一朝一夕でできるのことではないのかもしれませんが、なにもわからない状態から一歩進んで理解できている投稿者さんが少しでも生きやすくなるこれからであってほしいなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。
感想1
「自分のこだわりや考えについて理解している人なんだな」と初めは思ったのですが、そうではなく、苦しんできた過程で、『思い知ってきてしまった』のではないかと感じました。
〇〇せねば…は、誰かに脅迫されているような感覚というより、そうしないと自分が納得できず、結局自分自身がしんどくなってしまうから故の思考や行動なのかなと想像しています。私の場合は数字や計算がとても苦手で、クレジットカード使用にあたり自分の中で所持金を把握できないせいで沢山ある感覚になり、際限なく使ってしまった経験があるので、思い当たる私の"始まり"と勝手ながら重ねてしまいました。ストレスの『発散』でもそういった行動が起こることがあると私は思っていたのですが、『満たす』の感覚があなたにはあるんだなぁと今考えながらも、ストレス発散の先に『充実』がある気もして、そういった部分からくるものもあったりするのだろうか…と思いました。何かが足りないと感じる状態でいると、とても不安が強くなる体感が私はあります。探してるような…変にソワソワしてしまったりもあって、手っ取り早く何かの物で満たしたい(食べ物なども含め)からどうしても出費に繋がったりして、苦しくなるし、そこにはイライラもあるんじゃないかと思いました。
"本能的に生きすぎて生きづらい"正に今のあなたの状態を、あなたが素直に表した言葉なんだろうなと感じます。そして、自分に対して「もうやめてくれよ」と懇願してるようなあなたもいるのかなと、イメージが浮かんだようにも思いました。何かやめる方法がないか、死にトリで一緒に考えることもできるのかなと思ったので、よかったらまた書き込んでみて下さい。