小学生高学年から中学二年生の間にイジメにあっていた期間があった。
昔の自分は男子よりも女子と遊ぶことが多く、そのせいか仕草や喋り方が女子っぽくなり、
それで男子からは気持ち悪がられていた。
よくある物を隠す、暴言、暴力などのくだらないイジメを受けていたが、
当時の自分にとっては地獄で毎晩ベッドで泣いていたし何度も死のうと考えていた。
親はイジメはイジメられるほうにも原因があり、弱いからイジメに合うとよく言っていたから
当然自分がイジメの当事者であることは言えるわけもなく、自分はその頃から酷く人間不信に
なり誰のことも信用しなくなったため、誰にも相談することなくひたすら耐えてしまった。
泣くと面白がってイジメが悪化するから何があってもヘラヘラと笑う悪癖もついてしまった。
無意識で顔がそうなってしまうため、自分では笑っている自覚がまったくないが、
笑う場面じゃないのにヘラヘラしていて真面目に話を聞いているのかと叱られることもあった。
逆にいつもニコニコしていて、楽しそうだねと言われることもあるが内心自殺願望が渦巻いている
などとても思わないだろう。
イジメが終わったのは中学三年生に入ってからで、みんな本格的に受験勉強に力を入れなくては
ならなくなったため、段々と他人にかまっている暇がなくなったからだろう。
気付いたらいつの間にかイジメは終わっていて、やっと終わったと胸を撫で下ろしたのも
束の間で、大きな虚無感に苛まれるようになった。自分の時間はイジメられた時から止まったままで
だけど周りは当たり前のように先に進んでいって、自分一人が何も無い空間に取り残されたような空虚感。
ある日の早朝。まだ日が登りきっていない薄明るい時間にふと、「ああ、もう死のう。」と思って、
始発の電車に乗り込んで、家から遠くの駅で降りて、ただぼっーと川沿いを
歩いていた。その時は正常な思考ができなくなっていたから死のうと思いながら歩いていた。歩いていると、まだ小さい子供が無邪気に
川沿いで遊んでいるのを見つけて、それが天使のような純粋で無垢な笑顔で、
それを見るとなぜか涙がぼろぼろ出てきて、「何やってんだろう、もう帰ろう」と思って
家に帰った。
家に帰ると親が怒ったような泣きそうな顔をしながら「どこに行ってたんだ!今から警察に電話しようと
してたところだよ!」と大きな声で叱って、それを聞いてまた涙が出そうになって、
後ろを振り向きながら「ごめん。」と謝ってそのまま学校へ向かった。
大人になった今はお陰様で親友と呼べる人も出来たし、尊敬できる人もいる。
でもまだ時間が止まっているような、自分だけみんなとは違うどこかにいるような
空虚感が拭えなくて、それでまた消えたくなったり、死にたくなることもあるけど何とか日々
生きている。
この本心は現実では誰にも言ったことがないし、こんなことを言っても困惑されるだけだと
思うから、たぶん本当に死ぬその時まで誰にも言わずに心の中にしまっておくんだと思う。
もしこの気持ちをぶちまけて、受け止めてくれる人がいたとしたらもう少し日常に輝きを
取り戻せるのだろうか。今よりも前を向いて生きていけるのだろうか。
そういう小さな希望を抱いて、いつか心穏やかに過ごせる日々が来ることを夢見て、今を生きる。
感想1
何年間もいじめられて、つらかっただろうなと思いました。あなたが受けたのは「くだらないイジメ」ではないと思います。あなたは苦しみ続けてきたので、あなたにとっては全くもってくだらないものではなかったと思います。もしかしたら「大したことない」と思いたいがために「くだらない」と言っているのかもしれませんが…。
あなたはいじめられて、親にも相談できる状況ではなく、感情を押し殺して笑顔を顔に貼り付けて生きてきたと経験談から私は解釈しました。それは、あなたの心を冷凍保存するような状態だったのかなと思います。強制的に心を冷凍せざるを得なくて、そのまま数年過ごすことを余儀なくされたのだと私は感じました。だからこそ、イジメが終わり心を解凍できる状態になったとしても、違和感や空虚感があるのかなと思います。
ひどく人間不信だった状態から親友ができるぐらいまで、確かにあなたの時間は進んでいると思いましたし、心が徐々に解凍されていったのだと思います。純粋で無垢な子どもの笑顔や、親御さんが心配している様子なども、それを促進する要因だったのかもしれません。
でも、もしかしたら、どこかであなたはまだイジメという過去に執着しているのかもしれません。経験談を投稿することも、まだ時間が止まっている感覚があることも、私には執着心の証拠に見えました。執着することが悪いことと言うつもりはありません。むしろ、地獄のような日々を送った過去への執着を簡単に手放せる人がいたら、私は驚くと思います。
繰り返しになりますが、あなたはイジメという過去に執着していて、過去に自分の一部が立っているのかもしれません。過去の積み重ねで人間は構築されているので、過去にいる自分を本当の意味で払拭するのは難しいかもしれません。ただ、まだ「あのことはどうでもいいことだ」「ああいうこともあった」「あれは人生の糧になった」と心から思えない状態なのだと私は感じました。そして、その境地に至ることができるのか、いつ至ることができるのか、そもそもその境地に至るほうがいいのか(至る必要があるのか)は分かりません、人それぞれだと思います。
私もイジメとはまた違うのですが、中学生のときに色々ありました。そして、その境地に至るまで9年かかりました。私は環境を変え人と交流していく中で友人ができ、1日ずつ生活を積み重ねて、ある日ふと「もうあのことはいいや」と思いました。明確なきっかけがあったのか、まだ私自身にも分かりません。それまでは「卒業アルバムを燃やして過去と決別したい」などと思っていたのですが…。
過去に執着したくなくて、心穏やかに過ごしたい…だからこそ、何ができるのかあなたは考えているのかなと思います。何が正解なのかは私には分からないし、正解なんてなくて、自分の選択を正解にしていくことのほうが重要なのかもしれません。いずれにせよ、あなたはもう心を冷凍保存しなくていいし、自分で選択ができる状態だと私は思います。
経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。