経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

とげのような言葉

この世の中にはとげのような言葉があります。「死ね」「消えろ」「キモい」「邪魔」「いらない」これらは僕に向かって言われた言葉です。

僕は女子中学1年生です。一人称が「僕」、ズボンしか履かず、髪もショート。そのことで小学3年生からずっと親からもクラスメイトからも変な目で見られてきました。その時言われました。「変なの」「気持ち悪い」僕のどこが悪いのでしょうか。僕はただ自分で居たいだけなのに。好きな言葉で好きな服で好きな髪型で。僕は普通という言葉が嫌いです。普通なんて言葉はあってはいけないと思います。普通なんて十人十色です。それぞれ違うんです。普通はないんです。

僕はいつも後者を選びます。「赤と青」「スカートとズボン」「かわいいとかっこいい」中学ではスカートとズボンを選べたのですが勿論後者を選びました。少しでも輪の中に入れるようにと髪はボブにしましたが⋯。
いつも後者を選ぶので親は顔をしかめます。僕は前者を選んだことはないと思います。嫌な思い出が詰まったランドセルも青色です。

虐めというのかはわかりませんが、上履きを隠されたり、机に白い雪の雫の花を置かれるくらいでした。上履きを忘れてもで対して成績に影響はなかったし、精神的にも強かったので全然平気でした。でもそれは強がっていただけでした。

虐待のようなものも受けました。髪を引っ張られたり、頬を殴られたり、蹴られたり。
主に父親からの暴力でしたが、母親も偶に暴力を振るうし助けようなんてしませんでした。

5年生の頃、唯一友達だった子に勧められセルフのうつ病診断をやりました。結果は重度のうつ病。病院に行ったほうがいいと書いてあったので軽く親に相談してみました。そうしたら「お前が変だからその結果なのは当然」と言われました。傷つきました。

僕は変なのでしょうか。僕はおかしいのでしょうか。
強いと思っていたメンタルも今はもうボロボロです。
ガラスのハートが割れてしまい戻りそうにないです。
僕はどうしたらよかったのか、これからどうすればいいのかわかりません。

とげのような言葉で刺されて痛いのです。

長文失礼しました。

感想1

「普通なんてない」という言葉にとてもとても共感しながら読みました。性別や年齢は特に「普通」という基準で語られがちですが、それは個々人の違いやさまざまなグラデーションに向き合うのが面倒くさいと思う人や、偶々「普通」という基準から漏れずに生活している人が振りかざしている乱暴さだと私は思います。それが多数派として空虚な力を持った時に、いじめや、人を傷つける言葉が生まれてしまうのかなと感じます。

あなたは「普通」にあてはめられそうなとき、「自分はどうしたいか」を人よりも多く自分に問いかけてきたのではないかなと想像しました。「自分」が見えていくほど、ざっくりとした他者からの評価や態度とのギャップは深まっていく気がします。もしかしたら最初はそのギャップが「自分が悪いわけじゃない」とあなたのメンタルを守る距離にもなっていたのかなとイメージしましたが、同時に孤独感として、遅延性の痛みを今のあなたにもたらしているのかもしれないとも感じました。

「心が折れてしまった」という切実な声が聞こえるような文末だと思いました。あなたが一人の人間として傷ついていることを、「普通かどうか」というあってないような基準・漠然とした一般論が覆い隠してしまうのはおかしい、と抗議したい気持ちです。またいつでも死にトリでお待ちしています。

感想2

読ませていただきました。あなたがあなたの感覚で好きなものを選んでいるだけなのに、あなた自身でいたいだけなのに、それを変な目で見られたり顔をしかめられると言うのは、あなたのアイデンティティやあなた自身を否定されるような感覚かもしれないなと思いました。

「女の子なんだから大人しくしなさい」とか「男の子なんだから泣かないの」など「らしさ」を私たちは知らず知らずのうちに押し付けられていると思います。ジェンダー平等というものが謳われてランドセルの色がカラフルになってきたり、制服もスカートかズボンか選べるようになったりと少しずつ社会の変化はあるものの、まだまだらしさを押し付けられる場面はたくさんあるなあと、あなたの文章を読んで思い返しています。

自分は小さい頃、肌着のシャツが裾から出ているのがすこぶるかっこいいと思っていて、親からは「みっともないからしまいなさい」と散々怒られてきました。親の前ではしまうふりをするのですが、親がいなくなったらすぐさまベロリとシャツを出して自分なりの「かっこいい」を貫いていたものです。いつの間にか矯正されてシャツを出すことはしなくなってしまいましたが、今思えば『誰に何を言われても自分のかっこいいを貫いていた自分が一番かっこいい』とそう思います。それでも自分の好きなものやことを否定されると傷つくのは、プライドや、わかってもらいたい気持ちがあるからなのでしょうか。

否定されることが度々あった結果、あなた自身も自分の自信を奪われてきてしまったのかもしれません。誰にも寄り添ってもらえなければ、(本当は変でもおかしくもないのに)自分がおかしいのではないかなと思わされてしまうのも仕方のないことのように思いました。

あなたのアイデンティティを持っていていいところ、自分自身の表現が安心してできる場所が一つでもあるといいなあと思うのですが、学校も家もあなたにとって居心地が悪い印象も受けています。信頼できそうな先生や、スクールカウンセラーさんなど話を聞いてくれそうならそういった人に相談してみるのも一つかな。死にトリでもいつでも書き込みお待ちしています。

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