3度目の投稿になるでしょうか。文章が雑然としており、読みづらく感じたら申し訳ありません。
同居人との生活も早いもので5年過ぎました。そんな中、とあるDMが届きました。送り主は同居人の相互さんでした。
同居人は人間関係をリセットする癖があり、急にネットやリアルの居場所を飛ぶことなんてあるある。なのですが、今回はそれを心配した方からのDMでした。病気や事故などで返信を返せないのではないかと心配してくださったのです。
その方からDMが同居している私に届いたのはなかなか不思議な感覚でしたが、怒りのようなやるせない気持ちが久しぶりに湧きました。
私は親から虐待を受けており、その親から逃げる時に手助けをしてくれた(住居を提示してくれた)人が今の同居人です。だから恩を感じています。大抵のことは仕方がないと思うし、PTSDも治らないし、頼れる人もいない。もうずっとぼんやりと生きています。衣食住が安定していて、暴力にもさらされない。最近はそんな生活に安堵さえしていて、これ以上は望まないとさえ思っていました。
病院で先生に「もっと楽しいことを見つける」ということを言われていますが、正直そんな気持ちも湧かず、病状も良くならず、患者さんが増えて先生との診察時間も減る中で、もう私には同居人しかいないのだと思い込むようにさえなっていると思います。
そんな最中に届いたDM。もう私の頭は真っ白です。とりあえず相手先に謝りを入れて同居人に返信を書くように促し、同居人のやる気を削がないように落ち込ませないように振る舞う。私、何やってるんだろう。何度目か分からない自問を打ち消す。恩があるから。私は1人だから。勇気を持って同居人の親御さんに相談したこともありますが、あまり信じてはもらえず。考えすぎだと治療に専念しようと言われて終わりました。あまりにも分かりきっていてあっさりとした回答。なのに他人に期待してしまっていた自分が許せませんでした。なあなあで生き続ける自分にも。
しかし、そうそう状況を好転させることなど不可能。私にはあまりにも余裕も元気もない。博打を打って飛び出せるほどの勇気は人生でそう何度も出来るものではありません。既に3回はしている。その度にぼろぼろになる。諦めるな!と叱咤されてしまいそうですが、大袈裟だと笑われそうですが、私の限界はとうに超えている。先のこと、自分の人生、やりたいこと、やらなくちゃいけないこと。そのどれもを投げ出し考えないことで繋いでいる今日がある。でもひとつ不安になればあとは嫌な思い出たちがさらに不安を募らせてくる。
今できることを精一杯やっている。現状もう使える手はない。社会制度も利用している。博打は打てない。
頭を麻痺させて麻痺させて、やっと思い込んだ幸せ。平穏な生活。納得出来かけていたのに。私の一生を使うことに不安を感じている。どこかに逃げ出したい。叫び出したい。私はいつまで何も持たない無力な人間でいるのか。そこに甘んじて逃げているんじゃないのか。逃げられないから諦めているんじゃないのか。
考えたくもない。なのに考えることを止められない。やっと考えなくなったのに。あとは死んだように生きるだけなのに。それが私のできる精一杯の幸せなのに。死ぬのは怖くて不幸だ。誰にも肯定されない。死ぬよりも生きていたらいい。誰とも話せずとも働けずとも。衣食住が整っていて同居人からプレゼントをもらって、自分の身なりもこれからもやりたいことも忘れて。だって私はすぐに働けない。もう1人で生活できない。逃げられない。幸せなはずだ。万人の言うような相応しい身の丈にあった幸せ。幸せなはず。考えたくない。つらい。つらくない。わからない。考えたくない。考えてどうするの。わからない。つらい。どうして。私はどこで間違えたのか。合っていたはず。その時できる限りのことをその時々でしてきた。ならば私は、私の値打ちはその程度だった。それだけのこと。なのにどうしてつらい。帰る場所がないのに帰りたいと繰り返している。ずっと帰る場所がない。病院や役所で聞かれる人間関係、血縁関係。どれも頭が痛い。怪訝な顔をされる。嘘をついているとさえ。頭が弱くてわからないんだと解釈される。私には確かに学はないけれど。でも親が居るかどうかとかそれぐらいわかるよ。もう疲れたよ。帰りたい。帰りたい。帰りたい場所も人もないのにただただ帰りたい。どこに帰りたいんだろう。わからない。やっぱり私は頭が弱いのか。帰りたい。安心できるところに帰りたい。
感想1
全部諦めているようで、その実どうしようもなく叫び出してしまいそうな腹の底を必死に抑え込んでいるような、一見相反する身体感覚が同居した文章だと感じました。詳しい状況はわからない部分もありますが、少なくとも今の環境に完全に身をゆだね安心することは出来ない、これ以外のやり方があるならそちらを選びたい、という意思だけは確かなものなのではないかなと推測しながら読みました。この言葉を使うのが適切か迷いますが、「実家よりはマシ」という思考が防波堤のようになり、あなたのやり場のない叫びの溜飲をかろうじて下げているのでしょうか。タイトルにもなっているDMが届いたエピソード、そのときに抱いた「怒り」は、(勝手な印象であり、うまく言葉にしきれないのですが)自分が見ないようにしていた同居人への感情を触発されながら、そして「自分」という存在が図らずもおざなりにされるような、そんなやるせなさと抵抗感だったのかなと想像しました。
以前の投稿も読みました。家庭内(学校もですが)での出来事はどう考えても非常事態で、逃れるのが大変だったからこそ、逃れた「今」がより希少なものとして感じられる部分もあるのかなとイメージしています。また今の社会に助けを求めても「血縁」があればそこに戻されてしまうリスク、社会の中に何の条件や後ろ盾がなくとも飛び込める場はあまりにも少なく、それをこれまでに痛感しているあなただからこそ、「今が十分」と思うしかない(期待の持ちようがない)のもまたやるせない現状としてあるように思います。社会にいるひとりとして、ここにいる私自身への問いとしても、この現状は重くのしかかっていて、安心して暮らせていない目の前の人へ「どうしていきたい?」と投げかけることを、とても難しくさせます。この感想を書きながらも、わずかな可能性や在り方を考えることすら負担になっているあなたに、色々な捉え方を押し付けてしまっていないだろうか…と気になっている私がいます。
一方で、これまでの人生で理不尽で不平等な環境に置かれ続け、自分で何かを望み、選び取る機会が得られないまま過ごしてきたからこそ、「このままではいやだ」という思いが胸の中に残り続け、同時にその意思を表出させる力を奪われているように思いました。自分で選んでいてもですが、やむを得ず選んだものを「我慢しろ」「諦めろ」と言うのはもっと無理だと思うので…。前述の思いも含め、「離れていい」と簡単に口にすることのできない現実がもどかしく苦しいですが、それでもあなたの感じている違和感、抑え込んでいる心の内を聞き届けたいと強く思いました。
「つらい」の反対は「しあわせ」だけではないはず(と信じたい)、だから今いる場所を必ずしも「しあわせ」だと思わない権利が誰しもにあると思うことを書き置いて、感想を終えます。投稿いただき、ありがとうございました。