経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
兄からは幼少期からチビと暴言を言われる事が多くあった。またある種のマウントを取られる場面も多かった。そして私の部屋に勝手に入って漫画を読むなどの自分のテリトリーを脅かされる事も多々あった。母は全て認知しており暴言に対しても注意はしていたが、私の身長が兄の身長を越すまで解決することは無く、私の部屋に入ることについても「兄弟だから許されるけど他人に対してやったら犯罪だ。」という注意の仕方だったため、私の意味関係無く許される行為にカウントされるのだなと絶望した。
そんな中で私が中学生の時に兄が障害を抱えている事が発覚し、私が兄を支える。兄に対して指導することを求められる場面が増えてきた。ただ兄は昔から自分の方が上だと主張したがる事が多かったので私の言うことを聞いてくれるわけもなく、それでも周りからはお前がサポートしろという視線で見られる事が多くとても苦しかった。
また、幼少期から行われてきたマウントは、誰か人がいるところで行うようになったのだが、
周囲は兄が障害者であることを知っているので、
お前が我慢すれば解決すると言われる場面も多く、泣きたくなる事も多かった。
大人になってから、兄弟からのいじめについての本を読んだり、障害者の兄弟を「きょうだい」と名づけ「きょうだい」に対するケアの必要性を説く番組を見る事で、私が経験したことは私だけではないんだ。辛かったと言っていいんだと思えるようになったが、思えるようになっただけでその事について話せる場所もないので苦しさは減らないままだ。
今は、兄も私も一人暮らしをしているので兄と関わる機会はほとんど無いのだが、それでも年に一回兄を支えることを求められる機会があり、兄との関係においては私に尊厳も人格も与えられない環境になる場面が続いている。
ただその機会は、兄を除けば自分にとっての居場所ではあるので、その機会から逃げ出すという選択肢は取ることが出来ない。
感想1
あなたの経験談を読ませてもらいました。きょうだいと家族との関係の中で、あなたが「我慢する」こと以外に解決されない(それは解決できていないということなのですが…)という場面が幼少期からたくさんあったのだと思います。「兄弟だから許されるけど」という言葉に象徴されるように、あなたが尊重されないままの状態が長らく続いてきたのだと思います。あなたの親にとってもとてもむずかしい場面が多かったのではないかと思いますし、あなたの兄自身にも困難として感じられることは多かったのだろうと思います。ただ、それによって、あなたの庇護がないがしろにされていいわけではないし、あなたが背負わされなければならないものではないはずなのですが、事実としてそういう生活の中であなたが生きてきたことを感じました。
私自身は一人っ子で育ったので、あなたの体験を受け取りきれていないところも多々あるかもしれません。少し自分語りをさせてもらうと、私は親の片方の暴言や暴力に困ってきたのですが、子どものときにはその状況を変えることも難しかったと思います。大人になってから、福祉や社会制度について学び、人権について考える中で、私の子ども時代に、もっと他の大人のサポートがあったり、親自身が適切なサポートにつながれたりすれば、違う部分もあったのかもしれないと思うことがあります。弱い立場であればあるほど、見逃され、皺寄せを受けてしまうからです。私は社会システムはすべての人の権利を守るために改良されるべきもので、いまもまだ改良の途中だと思っています。
きょうだい児の問題についても、残念ながら、まだ社会の中で知られる途上なのかなと思っています。それでも、その言葉で語られる内容はすこしずつ増えてきたのかなとも思いました。「辛かったと言っていいんだ」と知ることで、あなた自身も、少しずつ経験を捉えなおせる部分もあったのかなと想像しています。ただ、「その事について話せる場所もない」という課題はたしかにその通りだと思いましたし、それぞれの経験を持ち寄り話すことができる場所が増えていくべきなのだとも感じました。
また、あなたがこうやって経験談を送ってくれたことも、あなたが抱えてきた経験に似た経験があるだれかが、その人の経験してきたことを語る機会を作ることにつながり得るものなのかもしれない……とも思いました。
いま一人暮らしをしていて、その環境から離れられているということを読んでほっとした気持ちになっています。だからといって、あなたが経験してきた苦しさがなくなるわけではないのですが、あなたの生活の中に平穏があることを願います。他の場所で中々語ることのできない苦しさを書いて、死にトリに送ってくれてありがとうございました。
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。家族という関係性について、あらためて考えてしまうような思いで読みました。
「家族」という言葉を持ち出すとき、社会の中では往々にして、つながりやあたたかみを想起する言葉として多用されているように感じます。一方で、そういった価値観は、家族という存在につらい経験や悲しい気持ちが想起させられる人を無自覚に追い詰めてしまうように思います。当事者の苦しさを置き去りにしてやたらと美化されてしまうこともあれば、有無を言わせず肯定的なストーリーを当てはめられてしまうこともあるように感じています。
暴言も、自分のテリトリーを脅かされることも、家族であっても許し難いことはあると私は思います。なので、あなたの母親の注意には「他人に対して犯罪になるような行為が、なぜ家族であれば許されるのか?」と思わず疑念を抱いてしまいました。
周囲からも、いつしか兄のサポート役という責任や役割を背負わされていたことを感じました。「とても苦しかった」「泣きたくなる事も多かった」との言葉には、こちらも切なく胸が詰まるような思いで読みました。
家族の姿を捉えようとするとき、第三者からは非常に見えづらいようにも思います。周囲から向けられる「家族なのだから」「きょうだいなのだから」という目線や言葉は、本来であれば何かしらの介入やサポートを受けるべきはずの二人の関係をさらに見えにくくさせていたように感じます。誰にも分かってもらえないと感じる孤独の中で、あなたが静かに耐え凌いできたことを想像しています。
「きょうだい児」について、ご自身で調べる中で仲間がいることを知ったのですね。「大人になってから」と書かれていた部分が目に留まって、「きょうだい児」という存在にスポットが当たるようになったのも近年になってのことですし、渦中にいた当時は名前を持たない苦しさであったことを感じています。
現在も、年に一度兄を支えることを求められるとのことでしたが、大人になったいまも葛藤を抱えていることを感じています。悩み苦しんだ経験をそう簡単に消化することはできないかもしれませんが、死にトリでは思っていること、感じていることを率直に語ってもらえたらと思っています。またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
あなたの経験談を読ませてもらいました。きょうだいと家族との関係の中で、あなたが「我慢する」こと以外に解決されない(それは解決できていないということなのですが…)という場面が幼少期からたくさんあったのだと思います。「兄弟だから許されるけど」という言葉に象徴されるように、あなたが尊重されないままの状態が長らく続いてきたのだと思います。あなたの親にとってもとてもむずかしい場面が多かったのではないかと思いますし、あなたの兄自身にも困難として感じられることは多かったのだろうと思います。ただ、それによって、あなたの庇護がないがしろにされていいわけではないし、あなたが背負わされなければならないものではないはずなのですが、事実としてそういう生活の中であなたが生きてきたことを感じました。
私自身は一人っ子で育ったので、あなたの体験を受け取りきれていないところも多々あるかもしれません。少し自分語りをさせてもらうと、私は親の片方の暴言や暴力に困ってきたのですが、子どものときにはその状況を変えることも難しかったと思います。大人になってから、福祉や社会制度について学び、人権について考える中で、私の子ども時代に、もっと他の大人のサポートがあったり、親自身が適切なサポートにつながれたりすれば、違う部分もあったのかもしれないと思うことがあります。弱い立場であればあるほど、見逃され、皺寄せを受けてしまうからです。私は社会システムはすべての人の権利を守るために改良されるべきもので、いまもまだ改良の途中だと思っています。
きょうだい児の問題についても、残念ながら、まだ社会の中で知られる途上なのかなと思っています。それでも、その言葉で語られる内容はすこしずつ増えてきたのかなとも思いました。「辛かったと言っていいんだ」と知ることで、あなた自身も、少しずつ経験を捉えなおせる部分もあったのかなと想像しています。ただ、「その事について話せる場所もない」という課題はたしかにその通りだと思いましたし、それぞれの経験を持ち寄り話すことができる場所が増えていくべきなのだとも感じました。
また、あなたがこうやって経験談を送ってくれたことも、あなたが抱えてきた経験に似た経験があるだれかが、その人の経験してきたことを語る機会を作ることにつながり得るものなのかもしれない……とも思いました。
いま一人暮らしをしていて、その環境から離れられているということを読んでほっとした気持ちになっています。だからといって、あなたが経験してきた苦しさがなくなるわけではないのですが、あなたの生活の中に平穏があることを願います。他の場所で中々語ることのできない苦しさを書いて、死にトリに送ってくれてありがとうございました。