経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
僕は小学生までは上手くやれていたはずなんです、人とのズレも個性と見られて、そこに頭の良さも加わって、何事も上手くいっているような気がしていました。学校に行きたくなくても塾があって勉強ができているからそれで良かったんです。
受験に成功して偏差値の高い中高一貫校に入ったもののいわゆる燃え尽き症候群で成績は転落し、ストレスからなのか中二から躁鬱を発症したようです。中学生のとき日常的に何をしていたかは、ほぼほぼ覚えていません。楽しかったような楽しくなかったような、そんな曖昧な気分です。
エスカレーター式に高校に上がっても過去に勉強したのは小学生6年生、ギリギリ留年は逃れたって、何も成長できていない事に変わりはないと思います。
僕はいま高校2年生です。頑張ろうと思っても頑張る勇気が出ないのか勉強は未だ低迷していて、そんな中周りはもう自分の未来の居場所になる国公立大学を見据えているんです。高二の夏休みなので思い切り遊ぼうと思って友達と予定ばかり入れましたが、充実した夏休みは思ったほど楽しくなく一日一日の思い出がインスタントの如く薄い記憶となって疲れだけが残る毎日でした。
やりたい分野もあります、芸術分野なので進学校では言いづらいですが、オープンキャンパスにも何校かは行きました。自分はこんな事でいいのかとよく考えます、みんなのように良い大学を一度は目指しても良いのではないかと、人間の正規ルートを自分に当てはめる事もせずにこのような事で良いのだろうかと。でもどうしても自分には不可能な事のように思えるのです。正直なにもかも辞めてしまって休みたい気持ちがずっとあります。そんな事は許されないと思っています。そろそろ頑張らなければいけない時期に入っていると思います。でも未だに自分は8歳ぐらいという気持ちが抜けません、楽しく生きていたいんです。
親ともうまくいってません、根本的に合わない部分があります。母親はお酒が入ると素直になりますし、キレると物を投げるので厄介です。
自分には自信はないけれど唯一特技があります。僕の諦めたくない事は漫才です。でもそれも才能があるわけでもなければ、努力ができるわけでもないんです。地方大会までは行けるぐらいの実力です。今年の地方大会では相方の事情で辞退になりました。相方関係は解消しました。漫才に人生かけれるほどの熱量も才能もないと思うんです。でも早々に諦められるものでもなくて、やれるところまではやりきりたい気持ちはあるんです。それだけの相方はまだ見つかっていません。
僕は自分の持っているものをよく知らなくて、知ろうとしても、知る方法が難しくて。何かを目指そうとしても、もう遅い気がしてしまうんです。高校生なんだから何を目指してもまだ遅いなんて事は無いと思うんですけど、今決めなきゃいけない気がとてもしてしまって。高校生なんてそういう時期なのかなとも思うんですけど、僕はやりたい事があっても決めきれないし、周りにやりたいと大きな声で言うこともできない。そんな僕には目指す資格すらまだ与えられていないんだと思っています。自分のやりたいことを絞っていくことも出来ないし、やりたい事に一直線に進むことも出来ない結果、だらだらと今を浪費している気分になるんです。
ずっと自分が将来なにをやっていたいのかよくわかりません。一般的にやるべきなんだろう事は分かっていても出来ません。自分はわがままだと思います。自分のやりたいことだけやるというのは筋が通りませんし、やりたい事のためにやりたくないこともやらなければいけないのは分かっています。でももっと単純にやりたい事のためにどうしてもやらなければいけない事なら、やりたくない事でも出来るんじゃないかと思います。自分の将来の見つけ方はどうすれば良いのでしょうか。それが見つかれば勉強だってやるようになれるのでしょうか。
ごめんなさいアドバイスもなにもしにくい文章で、思ったままを綴ってしまったので、一貫性もなく読みづらい文章だったと思います。申し訳ありません。
感想1
投稿ありがとうございました。
あなたの文章を読んで、迷いや不安、焦る気持ちのようなものを感じました。
高校2年生の夏休みが終わり、進路に向けてみんなの意識が動き出したのを感じたのかなと想像しています。その中で、自分はどうしたいのか、何に進むべきか、考え迷い続けている状況なのかなと想像していました。
迷うというのは、かなりエネルギーを使うことだと思います。だから、あなたの感じる「正直なにもかも辞めてしまって休みたい気持ちがずっとあります。」というのは、自然なことのように思いました。個人的には休んでほしい気持ちです。
でも、あなたの中の『まわりは動き出しているのに自分はこんなことをしていていいのかな…』という焦る気持ちが休むことを邪魔してきているのではないかと想像しました。
あなたの文章を読んでいて、あなたの中にやりたいことは見つかっているけれども、それが「一般的なもの」と離れていることに不安や迷い、葛藤があるように思います。
また、「自分のやりたいことだけやるというのは筋が通らない」、「自分はわがまま」という表現から、あなたの真面目さや価値観(まわりからそのように思わされてきたものかもしれませんが)が自分のやりたい道に進むことをストップさせてしまっているような気がしました。
個人的には、できないことややりたくないことは無理にやらなくていいのではないかと思います。それはわがままではなく、そもそも人は自分の生きやすいところを探して生きている生き物だと思うからです。楽しく生きていきたいというのもあなたの大事な選択肢の一つです。
決めきれなくても、一直線でなくても、やりたいことに一歩一歩近づいていくことが大事ではないかなと思いました。近づいた時に、やらないといけないことや頑張らないといけないことが具体的に見えてくると思うので、その時にあなたがそれにどのように向き合いたいか考えてみてほしいなと思います。
自分の将来の見つけ方は、難しいですね…。私も将来どう生きていこうか悩み中です。
過去を振り返り、高校生の時の自分を思い返してみました。
高校生の時、やりたいことが全くイメージできなくて、ただ漠然と「広告を作る人になりたい」と言っていたような気がしています。広告を作るには社会を知らないと!と思い、ある大学の社会学部を目指していました。結果、落ちました。違う学部に入ったのですが、そこで自分の人生の方向性を見つけられたと思います。今は、広告とは全く別の仕事をしています。高校生の私が今の私を見るとびっくりすると思います。
話が長くなってしまったのですが、つまり自分の目指す将来像は変わっていくものだと思うのです。その時その時に自分の心が動く方に進んだ結果が過去から見た将来ではないかと私は思います。
考えて悩んでいる時間というのは、結果がまだ形になっていないので時間を浪費してしまっているような感覚になりやすいと思うのですが、この悩んでいる時間にも価値があるように思うのです。こんなに悩んだのだからと自分を許せたり、過去を振り返ったとき後悔が少ないような気がします。
高校生の頃、自分の進路を決めるときや迷った時に私は周りの人にたくさん相談したような気がします。そこで初めて自分の持っているものに気づけたこともありました。
今回あなたがここに投稿してくれたのも相談の一つですね。今後もいろいろな人に話しを聞いてみて、自分の持っているものを知ったり、いろいろな生き方を知っていってほしいなと思いました。
感想2
投稿者さんの中で、理想を思い描く頭と、休みたい・好きなことを楽しくやりたいという心とが共存していて、そこの折り合いがつかないことに苦しんでいるように想像しながら読みました。小学生時代の優秀な自分の記憶と、今いる環境のレベルと自己評価のギャップが埋まらないまま、「感情的(楽観的)な選択をしてはいけない」と必死に自分を戒めているような文章だと感じています。中でも「人間の正規ルート」という表現には、今投稿者さんがいる環境の風潮をひしひしと感じると同時に、世の中全体に(私自身の中にも)「高いレベルこそが正しい」という価値観は未だ深く根を張っているのかもしれないなと思いました。
高校生という年齢で、今はまだ将来のことも「仮定」する他なく、経験に基づいた判断をしようにも難しい現状があるかなと思います。私は高3の時、進路で就職や専門学校進学を選んでいる同級生を見て「今の時点で職業(生き方)を決められる人が居るんだ…!」と尊敬と驚きを感じていた記憶があります。今となっては別にそこですべてが決まるわけではないと分かるのですが、それでもまだ自分のことも社会のこともよく知らない段階で「何かを(一時的にでも)選択する」ということは、ものすごく勇気のいることのように思えました。投稿者さんの感じている「迷い」や「焦り」に、少なからず通ずるのかなとイメージしたところです。
タイトルにもあった「まだ諦めたくない」という言葉には、漫才の事だけでなく、勉強や進路の為に努力できる自分になることを諦めたくない気持ちや、今の苦しさや悩みを乗り越えたい気持ちなど、いろんな「諦めたくない」が詰まっているように感じました。似たような気持ちを20代後半になっても抱えている私からすれば、「自分の生き方をものすごく真剣に考えているからこそ、妥協したくない」とも言い換えられるのではないかなと思いました。私は大学進学の時点、新卒入社の時点で、2回「自分が思い描いた将来」を信じて進んでみて上手くいかずに絶望したことがあります。「自分ならできるはず」と思ったこともやれなかったし、納得したはずの事でも努力できませんでした。ただ、そこからいろんな仕事を経験していく中で、気づけば「こういう場面(内容)だったら頑張れる」というサンプルが少しずつ自分の中に貯まっていて、前よりは決断がしやすくなりました。(これは私の価値観においてだけかもしれませんが)同級生の選択やSNSなどから流れてくる社会の雰囲気を見ていると、皆才能があったり、幼い頃から好きなものが定まっていたり、明確にやりがいを持っていたりするように見える気がしますが、意外と「なんとなく」「気づいたら」今の場所にいた、という人も(私含めて)いたりします、と伝えたくなりました。
私自身もまだ迷いの中に居て、どれもこれも諦められない気持ちでいますが、「一旦今はこれが大事かも?」という感じで仮定して暮らしています。渦中にいる投稿者さんの感情とはズレてしまうかもと思いつつ、諦めないままでも社会に出られるし、ずっと諦めなくてもいいと、勝手ながら思う私がいます。死にトリに限らず、いろんな人の物語に触れて様々なやり方があることを知ることと、「自分」を持つことのバランスが重要なのかなと感じました。
感想1
投稿ありがとうございました。
あなたの文章を読んで、迷いや不安、焦る気持ちのようなものを感じました。
高校2年生の夏休みが終わり、進路に向けてみんなの意識が動き出したのを感じたのかなと想像しています。その中で、自分はどうしたいのか、何に進むべきか、考え迷い続けている状況なのかなと想像していました。
迷うというのは、かなりエネルギーを使うことだと思います。だから、あなたの感じる「正直なにもかも辞めてしまって休みたい気持ちがずっとあります。」というのは、自然なことのように思いました。個人的には休んでほしい気持ちです。
でも、あなたの中の『まわりは動き出しているのに自分はこんなことをしていていいのかな…』という焦る気持ちが休むことを邪魔してきているのではないかと想像しました。
あなたの文章を読んでいて、あなたの中にやりたいことは見つかっているけれども、それが「一般的なもの」と離れていることに不安や迷い、葛藤があるように思います。
また、「自分のやりたいことだけやるというのは筋が通らない」、「自分はわがまま」という表現から、あなたの真面目さや価値観(まわりからそのように思わされてきたものかもしれませんが)が自分のやりたい道に進むことをストップさせてしまっているような気がしました。
個人的には、できないことややりたくないことは無理にやらなくていいのではないかと思います。それはわがままではなく、そもそも人は自分の生きやすいところを探して生きている生き物だと思うからです。楽しく生きていきたいというのもあなたの大事な選択肢の一つです。
決めきれなくても、一直線でなくても、やりたいことに一歩一歩近づいていくことが大事ではないかなと思いました。近づいた時に、やらないといけないことや頑張らないといけないことが具体的に見えてくると思うので、その時にあなたがそれにどのように向き合いたいか考えてみてほしいなと思います。
自分の将来の見つけ方は、難しいですね…。私も将来どう生きていこうか悩み中です。
過去を振り返り、高校生の時の自分を思い返してみました。
高校生の時、やりたいことが全くイメージできなくて、ただ漠然と「広告を作る人になりたい」と言っていたような気がしています。広告を作るには社会を知らないと!と思い、ある大学の社会学部を目指していました。結果、落ちました。違う学部に入ったのですが、そこで自分の人生の方向性を見つけられたと思います。今は、広告とは全く別の仕事をしています。高校生の私が今の私を見るとびっくりすると思います。
話が長くなってしまったのですが、つまり自分の目指す将来像は変わっていくものだと思うのです。その時その時に自分の心が動く方に進んだ結果が過去から見た将来ではないかと私は思います。
考えて悩んでいる時間というのは、結果がまだ形になっていないので時間を浪費してしまっているような感覚になりやすいと思うのですが、この悩んでいる時間にも価値があるように思うのです。こんなに悩んだのだからと自分を許せたり、過去を振り返ったとき後悔が少ないような気がします。
高校生の頃、自分の進路を決めるときや迷った時に私は周りの人にたくさん相談したような気がします。そこで初めて自分の持っているものに気づけたこともありました。
今回あなたがここに投稿してくれたのも相談の一つですね。今後もいろいろな人に話しを聞いてみて、自分の持っているものを知ったり、いろいろな生き方を知っていってほしいなと思いました。