経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

捨てれるなら、捨てたい

記憶の中からイジメの加害・被害両方ごっそり消せたらどんなにラクか。
先に加害してたら良かったのか、それともイジメなんてクソなことしてないで、古いけど昭和の不良マンガみたいに、万引きと暴力に明け暮れてれば良かったのか…。

とっくに成人迎え、そろそろ人生の中堅40代に片足突っ込んでても未だ、この考えは痛いし非常識だと罵られるだろーなと。でも、暴れてれば見放されてれば、こんなに苦しい、無力感という感覚にモヤモヤイライラさせられることなかったのかも??と、考えてしまう自分がいる。
仮面家族も、この思いだす度にモヤモヤ、イライラ、タラレバのループくり返す生産性のない黒歴史、全部捨てちゃいたい!!
楽に、なりたい…。

感想1

ちょっと違うかも知れないけれど、私も殴り合いで気持ちを伝え合うという不良に憧れている。「いじめって格好悪いよな」って言うタイプの奴だったら尚いいな。

加害・被害の双方の記憶どちらも残ってるけど、それで無力感があるわけでは私はないなあ。何かを変えたい思いがある?変えられない何かがある?、何があなたの中に引っ掛かっているんだろう。

モヤモヤイライラはしょうがないから、できれば匿名相談とかでもいいから溜め込まないで吐き出して欲しいと思ったよ。されたこと、やったことどっちも(勇気がいるけど)吐き出して、吐き出した場所に置いてこれたら少しは違うだろうか。(モヤモヤイライラしなくなるまで何度でも。)

不良ごっこでもしてさ、殴り合って最後に「いじめって格好悪いよな」って一緒に言えるのは、きっと双方を経験してるからかもなあと考えた。

感想2

過去の記憶が「過去」になりきらず、今もずっと苦しんでいる姿を想像しながら読みました。そして、(年齢とともに多少比重は変わっていくと思いますが)人が「自分で選んだのだから」と割り切れるような経験って、果たして人生にどのくらいあるだろうということを考えました。「加害」というと人に苦しみとして打ち明けずらかったり、自業自得だと言われてしまったりもするのかもしれないですし、「被害」も当然ながら理不尽なことですが、なににせよ自分で進んでやったことより、その場その場の人間関係や環境を守る(逃れる)ために、やむを得ず選んできたことばかりかもしれないと(自分事として考えてみても)思ったりしました。
一方で年齢を重ね、過去を「過去」として割り切り、自我をもって進むことがより一層求められていく中で、「自分で選んでいないから」と記憶をなかったことにできるわけでもないですし、振り回された記憶の方が色濃く残っていたりもするからこそ、嫌なこと、苦痛なことから距離を取るのがなお難しいのだろうなと感じました。

「見放されていれば」と考えてしまうあなたがいることに、過去、そして今もずっと、自制を自らに強いてきた方なのかもしれないと、勝手ながら想像しました。「全部捨てたい」と何度でも叫びながら、ほんのすこしずつでも、荷を下ろせるといいなと思います。

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