経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私が病気じゃなかったらどうしよう。

今年に入って3回ほど自殺未遂をしました。理由は毎晩1人になると明日以降の不安が強くなり、死ぬしかないって考えてしまうからです。これだけ聞けば絶対今すぐ治療するべきだって誰でも思いますよね…?でも私、普段人前では何の問題もなく元気に活動できるんです。だから心だけしんどいことを人に話しても、あまり深く受け止められた経験がなかったように思います。ちなみに今、この症状が出てからかれこれ5年近く経とうとしているのですが、その間も楽しみだったり大事な行事が近いときは平気ですが、夏休みのように何もないときやその行事が終わった瞬間、一気に気持ちが落ち込みます。この間も友人と学期が終わった記念に映画を見に行ったのですが、次の日の夜に「もうこれ以上は無理だ」と思い本気で死のうとしました。
それでも私はまだ自分が健常なんじゃないかって思っています。本当は抑えられるのに私が面倒くさがって病院に頼ろうとしているだけだとか。今日、勇気を出して予約したのですが、症状を聞かれたときに自殺未遂のことを話せず、「気分に波があるけど日常生活は問題ない」とだけ言ってしまいました。もし病院に行ったとしても私は症状が態度に出ないと思うので、大した事ないって言われたらと思うと怖いです。それに家族に病院に行くことを話してすらいません。一度話して反対された経験があるのでこわいです…。この間本気で死のうとして、これを一人で抱えるのは無理だなと思い今日精神科に予約を入れてみたのですが、思っていたより辛辣だったらどうしようと思い、キャンセルしようかとかすっぽかそうかって思います。大学のカウンセラーは全員私の学科の先生ばかりで、不仲というわけではないのですが行きづらいです…。まぁこんなかんじて、病院に行くべきか悩んでいます。

感想1

投稿を読んでみて、あなたが抱える限界に思えるほどのつらさは、周囲からは本当にわかりにくいだろうと思いました。「辛いんだ、夜になると…」って友人に話してもあなたの普段のイメージからは想像しにくいでしょうね。
自分で「ちょっと限界かも…病院に行った方がいいかな」と思って予約まで行動したところを見ると、それはあなたの中で判断した結果だと思いますからそのまま進んでいいんじゃないかなって私は思いました。“日中、人前では問題なく生活ができているにも関わらず夜になると気分がしんどくなるのはなぜか?“という自己理解を進める目的で受診してみるのも良いのかもしれませんね。ただ、ある程度しっかり診断やフィードバックをもらうためには受診時に、昼夜の違いや気持ちの落ちこみ方、その時の思考についてはちょっと詳しくお医者さんに話す必要があると私は思いました。
勝手にあなたの感覚を想像してみました。実はあなたの根底には昼夜に関わらずずーっと無価値観や孤独感などが存在していて、でも昼間は人間関係やイベントによって蓋をされているような印象を持ちました。それには相当エネルギーを使うので疲れてしまいそうですね。そして蓋がない(誰にも会っていない、楽しいことがない、夜ひとりの時間が長いなど)と疲れと一緒に無価値観や孤独感みたいなものが顔を出して死にたいくらい辛く感じる…そのように思いました。もしかしたら衝動的に行動するところもあるのかな?(違ったらすみません)
健常とか障がいとか関係なく、心の状態や自分の特性がどんな感じなのか?について知るには受診してみるのはひとつの方法だと私は思います。逆に「病気でも何でもないですよ」と診断されるとそれはそれで「じゃこの感覚は何??」と別な不安が出てきそうですが。
ただ、あなたはここに投稿してくれた通り、ご自分のことをよくわかっている(感じとっている)方だと思います。自己分析と言えば死にトリの別コンテンツの「つらチェック」も何かのヒントになるかもしれません。少しずつ自己理解が進むことを願っています。
よかったらまたいつでも活用してくださいね。

感想2

死ぬしかないと思うほどの不安や恐れのなかにある自分と、人前では元気に振る舞える自分に大きな距離があるのだろうなと思いました。私も読んでいてわかるなぁという気持ちがあります。とくに10代20代のころは、電車に乗りながら死にたい死ぬしかないで頭がいっぱいだったのに、知り合いに会った瞬間に笑顔を作れるようになったり、死にたいことやつらい気持ちや悩んでいることすら、人には言えなかったり……ということばかりでした。

個人的には、今思い返せば、オンとオフのギャップがあるのは、まずオンの瞬間に多大な無理があったのだと感じます。ただ当時はそれが当たり前で、無理をしているともったく気づいていなかったことも覚えています。
あなたとしても、これまでずっと問題なく見えるように振る舞うことをやり続けてきて、それ以外の方法もわからないという部分があるのかもしれないと想像しています。

病気か、健常かってなにが決めるのでしょうね。もちろん医学的には医師の診断なのかとは思うのですが、そこには込み入った偏見や世の中の「正常」信仰があるように思いました。
私は病気か健常かどうかという判断は本来二次的なもので、とても苦しくて仕方がないという人がいるなら、病名がどうであれ、サポートや治療を受けたり、さまざまな方法で休むことができたりするべきだと思います。私も医師ではないので診断はできませんが、サポートを受けてしかるべきしんどさがあなたにあることは感じました。ただ、現状病気の診断や、医師の見立てをベースにしかなかなか支援を受けられない状況があるのもたしかだと思います。
私は10代から精神科に行ったり、やめたり、行ったりをしてきましたが、精神科も精神科医もほかのスタッフもとてもさまざまだなと思います。私はいまの主治医には話の通じる感じがしていますが、知人たちの精神科通いの話を聞いていても、相性の問題もあるんだなぁという感じがします。また、1回行くだけで解決することはとても稀だと思うので、その中ですこしずつ医師と患者のおたがいの理解が深まっていく部分もあるのかもしれない、とも考えています。

あなたのしんどさがうまく伝わる医師につながれるといいなと、私は読んでいて感じました。ちなみに私は口頭でうまくしゃべれないことは、メモを作って、それをコンビニでプリントして持っていっています。この経験談も、自分のことを伝える材料の一つにはなるのかもしれないと思いました。
こうやって言葉にして、投稿することも、もしかしたらとても緊張することだったかもしれません。その中で経験談を投稿してくれてありがとうございました。また、あなたの言葉を聞かせてもらえたらうれしいです。

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