経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

見えないから

自分は自傷行為(主にリスカとレグカ)をしています。誰にも言わずに隠して過ごしています。

自傷行為の始まりは中学校一年生。担任の先生と馬が合わなくて傷ついたあの時からです。自分の考え方は普通じゃないんだ、と。自分に何か罰を与えなければと思ってカッターをにぎりました。
中学二年生からの二年間は特に辛く、部活動の中でたくさん傷つけられることがありました。ダメなところは全て自分の責任としてなすりつけられ、自分への自信もなくなりました。
そして自傷行為が酷くなっていきました。
中学校三年間の記憶は辛すぎたからか曖昧です。
ただ、とっても逃げたくて死にたかったことは鮮明に覚えています。

高校生になり、同級生には同じ部活動に所属していた人はいませんでした。新しい人間関係を作るチャンスだと思いました。
クラスも部活動もいい仲間ができました。
だから、自傷行為をやめるのは今だと思いました。
5月あたりまでは順調だったのにある日突然「あ、死にたいな」と。久しぶりの感覚でした。そして我慢できずに自傷行為をしてしまいました。
何も辛いことなんてないはずなのにどうしてだろう。そして自傷行為って本当にダメなことなのだろうか。疑問に思いました。

たどり着いた私が自傷をする理由は「見えないから」です。
今までは自分が傷ついている理由がはっきりありました。辛かったことは一部ですが家族も知っていました。
でも高校生になって辛い原因が見えなくなった時、自分と話す時間がなくなりました。家族に辛いと思ったことを相談する機会がなくなりました。誰にも気持ちが伝わらなくなりました。だから死にたくなっているのだと思いました。
そんな気持ちを見えるようにするために自傷行為をしているのだと思いました。

自分に罰を与えるために始めた自傷行為がいつのまにか辛い気持ちを可視化するための方法に変わっていました。
自分の気持ちを確認する、自分が今ここにいることを確認する。
今の私には必要不可欠なものになっていました。リスカを続けているなんて高校に入学した時にはまったく想像してもいませんでした。

自分は自傷行為がもっとオープンになればいいなと思っています。
自傷行為について話している動画に規制がかかっているのをよく見ますが、それを見るとやっぱり自傷行為はいけないことなんだなと悲しくなります。
自傷行為は他人から見ると嫌なことかもしれない。でもその行動の背景を見てくれる人が増えたらもう少しだけ生きやすくなるんじゃないかなと思っています。

今日も死にたくて仕方がないです。
自傷行為もしています。
生きてていいのかもわからないです。

っていつか家族に打ち明けてみたいです。

感想1

経験談への投稿、ありがとうございます。
まず「普通」という言葉についてとても考えさせられました。「普通とは何をもって普通というのか?」「普通でなければならないのか?」「普通でないことがいけないことなのか?」そもそも普通という言葉がもつ意味合いがはっきりしていないような、ひどく曖昧なような気がしています。辞書的な意味合いがはっきりしているとしても、その捉え方が個人によって大きく変わり、結果それぞれが全く違う「普通」を持ち合わせている、と私は感じているからこそ、ある人の普通がその他の人にとっての普通である必要はないのかなぁと私は思っていますし、だけど同時に傷ついてしまう気持ちもわかるなぁ…と、あべこべな気持ちです。
先生との出来事や部活動での経験でたくさんのつらさを抱え、相談等では拭いきれないこころの負担を自傷という形で解消しようとされていたのかな、と私は感じました。高校進学後は特に、明確なつらさの原因がないことで自分との対話の機会も家族への相談の機会もなくなるのは、感情の行き場がなくてすごくしんどいよな…と思います。
自傷行為は世間では投稿者さんの言っている通り、「よくないこと」という認識がされていると私も感じています。その中には「自分を傷つける行為だし、自分で自分の体に傷をつけるのは危険」と、心配に似た一種の善意からそう思っている方も少なくないのかなとは思います。ただ、過度な精神的負荷を緩和する方法がほかにない人だっているかもしれないし、人に話せる環境にいたとしても、話しただけでは心が楽にならない(私はこれでした。)人だっているかもしれない。そういったことも考えると、でまかせに「自傷行為はよくない」とはいえないのではないかと私は感じています。投稿者さんの言う通り、自傷行為に至った背景があることを当事者以外も認識する、ということは、投稿者さんを含め、同じ悩みを持つ方にとって少しでもこころを楽にする助けになるのかもしれないなぁと思いました。
投稿を繰り返し読ませていただいて、私は自傷行為がSOSのサインのようにも感じ取れました。助けを求めたいけどうまく話せない、そういったものが自傷という形に表れているのかな?純粋につらさを何とかしたいという一心だったのかな?いろんな考えが頭に浮かびました。
少なくとも私は自傷行為を否定しないよっていうことはお伝えさせてください。
同時に、けがの恐れも正直なところあると思うので、心配も少なからずあります。
自傷行為への認知の拡大と、それに至るまでの背景まで見てくれる人が増えること、投稿者さんの想像する世界に少しでも近づいてくれたらいいなぁと私も強く思いました。
投稿ありがとうございました。

感想2

まず最初に、私はあなたの自傷行為を否定したり、取り上げたりするつもりはないということをお伝えします。もちろん、重大な怪我につながる恐れもあるので、一個人として心配なのは間違いありません。だけど、自傷はあなたの見えない気持ちを可視化できる現状唯一のツールなのだと思います。それを奪ってしまうことは、あなたが今確かに感じている辛さを否定することになってしまう気がしますし、そんなことはしたくないと私は思っています。
感想として、中学時代は自分を罰するため、そして高校生になった今は辛さを可視化するために自傷行為をするというように、自傷の理由が大きく変化しているのが私の印象に残っています。
(過去の辛さと今の辛さ、そのどちらかを軽視する意図は一切ありませんが、)中学時代の辛さは要因がはっきりしているからこそ、何に追い詰められて、何から逃げ出したいのかが比較的わかりやすく、誰かに伝えやすい部分もあったのかなと私なりに思いました。
その反面、今の辛さは死にたい気持ちにまであなたを追い込んでいるにもかかわらず、はっきりとした形を有していない、例えるなら暗闇や霧のような辛さをイメージしました。そういった辛さに包み込まれるのであれば、自分の感じていることや自分の存在を認識しづらくなってしまうというのも無理ないなと、私は思いました。
さらに言えば、そういった辛さに包み込まれているなか、自分の辛さを可視化し、自分の存在を再認識できるということが、どれほどあなたの救いになっているのかは想像に難くありません。最初にも書いた通り、自傷行為をするのが心配なのは私の中で揺るがないものの、この経験談を通して、行動の背景にある状況や心情は絶対に見逃したくないと感じ、自分なりに少しでも理解するよう努めたいと、気持ちを新たにさせてもらいました。
自傷に関するさまざまな思いがよく言語化されていると感じたので、その分今のあなたの辛さは言葉にするのがすごく難しいものなのだろうと私は思っています。ここに投稿することが少しでも家族に伝えるうえでの支えになりそうなら、遠慮なくまた投稿してみてくださいね。投稿ありがとうございました。

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