はっきりと言って私の両親は仲が悪いです。いつからこうなったのかはよく分かりませんが自然と我が家の雰囲気は最悪なものになっていました。虐待とか虐めとかは全くないです。ただ凍りついた空気に耐えられなくなったんです。頻度はその時の両親の気分によって大幅に変わりますが両親の愚痴を聞かされる時があります。多分言ってないだけで割と誰しもが通る道なのではと思っています。双方の愚痴を時期を問わず聞いてきたので少し疲れました。両方の言い分には間違いも確かにありますが100パーセント間違いという訳では無いので余計に反応に困ることが多々あります。その愚痴を聞く度に私の心の中には霧が覆いかぶさったように曇っていきました。私と全く関係ない人の愚痴ならさらさらと聞き流す事はできるのに関わってくるとなると何とも言えないモヤモヤが積み重なって来たのを今でも覚えています。そんなの本人に直接言えばいいじゃないのかと双方に言う事も出来たのかもしれません。ですが、私は生憎そんな事を言ってただでさえボロボロな関係が崩壊してもう元に戻らなくなったらどうするんだという言わない言い訳を作ってしまったために言えませんでした。これ程自分の性格に対して悔しがった事はありません。夫婦仲が悪くなった原因は私には分からないです。私のせいという事もあるかもですが考え出したらキリがないのでそこはひとまず考えないことにしようとしました。しかし、私は1度気になった事はずっと考えてしまうのでそう簡単にはいきませんでした。しかし考えても考えても結論はいつも同じ所にいきつきます。どう考えても私に出来る事は何もないと。これは夫婦間の問題であり、私にどうにか出来る事ではないと。分かってはいました。しかし、それでは停滞したままでしかない何か行動を起こさなければとは思いつつ、結局どうする事も出来ないのです。どうしてここまでして苦しまなきゃいけないのだろうか。私は何回も苦しみました。誰にも聞こえないような声で押し殺して、泣きました。私が泣いた所で何も解決はしないのです。本人達が解決しようとしなければいくら他人が介入したところで無駄なのです。頭ではそんな事ずっと分かっていたのに苦しませ続ける自分がいます。母は私が互いの夫婦仲が悪いという事を知らないと思っているようです。その証拠に「この子は何も知らんから」と話していたのを覚えています。きっと本当に話すべき事しか話していなくてこと細かくは話していないのでしょう。お互いの名前を出すことすらも嫌悪してるようですからね。家族で出来るとなってもいつも私、母、妹です。そこに父はいません。嫌いなんでしょうね。仕事が忙しいというのもあるかとは思いますがそれにしても父をハブりすぎではと思います。そして父には内緒にしてねと私に言うのです。父とも一緒に行きたいと言えれば良かったのですが母は父の名前を聞くことすらも嫌なようで妹が無邪気に父の名前を出すと途端に黙りこくります。妹はまだ幼く両親が不仲という事も分かってはいないと思っているし、そう思っててほしいと思います。両親の愚痴を聞くのも私だけで十分です。それくらいしか私には出来ないので。妹にはのびのびと育ってほしいなと思います。ですが私も高校を卒業して家から出ることになったらその時は妹に変わりそうだなとは大体想像はついてるのですが。変な風に拗らせずに真っ直ぐに育つことを祈るばかりです。話が脱線してしまったので話を戻しますと両親の愚痴を聞く度にモヤモヤするのはなんでだろうなとふとした時に疑問が浮かびました。その答えはあーだこーだ考えている内に気づきました。私は少なからず両親から生まれてきているので両親の血を受け継いでいます。だから両親の愚痴を聞くと自分も否定されているように感じていたのだと気づくことが出来ました。正直気づきたくはありませんでしたが、それによって私が人からの好意を素直に受け取れない原因でもあるのかと思いました。人から褒められてもどうせ裏があるんだろう。バカにしてるんだろうと卑屈になって考えてしまったり自分なんかが褒められていいのだろうかという気持ちになるにはこういうことも関連しているのではと思いました。話は変わりますがたまに父がメンヘラっぽい所は凄く嫌で仕方がないのです。母が若干ヒスるのは慣れているのでいいんですが父はそんな事なかったで驚きと同時にショックを覚えたのを覚えています。ある時母が妹に対して起こっている時私はいつもの事だなと思ってスマホを眺めていました。この時点で私は薄情なのかもしれませんね。そんな時に父から長文のメールが届きました。普段滅多に送ってこない父がこんな時にしかも長文で送ってきたのを今でも覚えています。その内容はあまりにも私が見たくないものでした。母に対しての怒りや不満をあたかも教訓として私に送ってきたのでした。怖くて仕方がありませんでした。父は不機嫌の時にちょっとでも強い事を言うとキレる人でした。それ以外は基本的に優しい父なので私は好きでした。しかしあまりにも大量に送ってくるので見るのが辛くて辛くて仕方がありませんでした。時間にして数分だったのに体感では何時間もやってるのではという気分になりました。最後は言いたいことを言い切って満足したのか無事長文メールから解放されました。今でも履歴に残ってると思うとゾッとします。父も母もお互いに思うところはあったのでしょう。しかし私にぶつけてもどうにもなんないので話し合ってくれとはずっと思っています。それが通じるなら今までの出来事もしないでしょうけどね。私は母も父も好きでした。しかし今は中立という立場になっています。どちらの味方でもないのです。どちらの味方になってしまってもいい事はないので。母も私と話す時は余程不機嫌でない限りちゃんと話してくれますし、父も同様です。不仲の事については一切触れないたわいもない会話です。その時間だけは私に安らぎをくれていると信じたいです。結局何が正解なのか分からないまま数年過ごしてきました。2人は分からないんだろうなと思います。私が不登校になった原因の中に2人の狭間で苦しみ続けて精神的に限界だったというのがあるのを。これに関しては一生周りの人にはちゃんと話せない気がします。虐めとか悲惨な事を学校で起きたことではなく家で起きていることに苦しみ、人間関係でも苦しんだ結果ですから。周りからすれば私がただやわなだけです。家が辛いなら学校にいる方がいいじゃないかと思ってるかもですが、私にとっては学校も家もどちらも地獄でした。人間関係がとにかく下手くそだったので自分が言ってしまった言葉に苦しみ他人の言動に振り回され続けた結果がこれですから。最早笑うしかないです。環境には恵まれてきたはずなのに自分の性格に振り回されて自爆しているようなものです。父方の祖母にも両親の不仲の事を相談したりしましたが、父の長文メールの事は話せていません。だって実の息子がそんな事をしたと知ったらきっと悲しむでしょうから。このような出来事によりどんどん拗れていく自分の心に腹が立ちます。私がもっとはっきりとしていたら何か変わったのかもしれないと思いましたが、今の私にはこれが最善の結果です。後悔しかないですが少なくとも離婚は止められているのでいいのかなと思っています。漠然と死にたいと思う事はありますし、声を押し殺して泣く事もありますがそれでも耐えるしかないので。これはある意味自戒として書いたものでもあります。私は今受験生なのでこんな事を気にしている場合じゃないですが自分の気持ちにケリをつけるために書きました。これを書いても何も解決する訳でもないので結局両親と同じことをしています。皮肉ですね。両親の不仲以外は真っ当な家族なので受験に対しても応援してくれています。私はただただ頑張るしかないのです。未来で自分が心の底から笑えるような場所にいるために、そのために努力は惜しまないようにしたいです。ただ誰でもいいので思いっきり胸の中で泣きたい時もあります。今だってそうです。自分の事を全部話せるようなそんな人に出会いたいですが少なくとも今の自分の性格では何も人から貰えないし、与える事は出来ないのでしょう。少なくとも劣等感からは解放されたいですね。楽になりたいです。でも生きます、辛くても少しでも笑えるような未来にする為に頑張ります。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
辛いけど
感想2
あなたと全く同じというわけではないですが、同じく「子ども」の立場として、両親の醸し出す空気や家庭内の不穏さを間近で浴びてきた身なので、要所要所であなたの痛みを自分の事のように受け取りながら読ませていただきました。自分に何か強い言葉や暴力が飛んでこないとしても、人が人を嫌っているときに出る態度や空気の重さ、ギリギリのところで持ち堪えているような人間同士のピリつきや言葉の棘は、当人だけでは収まらず、近くにいる人も傷つけます。当人たちには当人たちの大変さがあるのかもしれませんが、身近でそれを浴びせられる方が(特に今回のあなたのように子どもという立場で、親という本来安心して身をゆだねたいはずの相手、かつ離れることの難しい相手からであれば尚更)もどかしさや息苦しさは増すと思います。
私が特に共感を覚えた(感覚的に胸がぐっと詰まるような感じがしました)のは、あなたが両親の不仲について自分事として考えたという点です。以前読んだ本に、「人が自分を責めてしまう構図には親から感情や責任を押し付けられてきたことが影響している」と表現されていました。直接「あなたのせい」と言われずとも、子どもは親と一緒に居る(居ざるを得ない)中で、「自分が悪い」とか「自分がバランスを取らなくては」と容易に思わされてしまう立場にあるのだとそこには書かれていました。私自身、両親から愚痴を聞いたり、不穏な空気を感じたときにはわざと明るく、何も考えていないかのように振舞って、それぞれに無邪気に(そう見えるように)声をかけていた子ども時代があります。心の内ではただただ純粋に「なるべく仲良くしてほしい」と思っていましたが、自分は親に面倒を見てもらっている立場だから何かを要求するのは良くないかもと思い、その状況を受け入れるしか方法がありませんでした。あなたが今回書いてくださったたくさんの迷いや苦しみは、あなたなりに今の状況や家庭内での「子ども」としての自分を保ち、理解しようとしているからこその書きぶりだと感じました。そうだとしたら、あなたが子どもとして「怖い」「嫌だ」「やめてほしい」と率直に、一番身近な人に言えなくなってしまっていることは、とてもやるせないです。あなたは自分のことを「何ももらえないし与えられない」と評していましたが(私はこれを感受性の1つだと捉えました)、感受性を塞いでいるのは今の環境であって、あなた自身ではないと私は思いました。
あなたの両親の行動には第三者目線で見るとツッコミどころしかなく、子どもであるあなたに甘えているようにしか見えないというのが正直な感想です。一方で、それは今は自分が大人になり、子どもという目線から少し距離を取っているからそう思うのかもしれない、とも感じています。今は受験生ということで、数年以内には自立のタイミングが訪れるのかもしれませんが、少なくとももうしばらくは家で過ごす時間が続くのだと思います。だからこそ、両親を非難するのではなく、今の環境で、少しでもあなたがあなたとして息がしやすくなるにはどうしたらいいんだろう?ということを一緒に考えてみたくなりました(自分が実家にいたときのことを考えると、親は嫌だけどやっぱり大切だったり、心底嫌いたくはなかったなと思ったりしています)。書いて何かが変わらないとしても、あなたが一人の人としてどう思っているのか、よければまた聞かせてほしいなと感じました。
感想1
おそらくこれまで一人で抱えてきた気持ちだったのだろうと思います。それをこうして書いて送ってくれたことを歓迎し、120%で受け止めたいと思いました。そして、この状況は子どもが一人で抱えるにはあまりにも重すぎるだろうと思ったのと、あなたの両親を呼び出して𠮟りつけたい気持ちになりました。最初の方で「虐待とか虐めとかはない」と書いていましたが、殴る蹴るなどの暴力はなくても、両親のあなたに対するふるまいは適切ではなく、あなたの心を深く傷つけていると私は思っています。ちょっとだけ豆知識をお伝えすると、子どもの虐待には身体的虐待と心理的虐待、ネグレクト(育児放棄)、性的虐待の4つがあります。昔は身体的虐待(殴ったり、けったり、暴力をふるう)がわかりやすく多かったのが、最近では心理的虐待が最も多く、その中には両親の間の暴力(DV)や不仲に晒されることも含まれるとされています。「環境に恵まれていたはず」とも書いていましたが、第三者の私からはかなり過酷な環境だったし、今もそれが続いていると感じます。
最後の方で「結局両親と同じことをしています」と書いていますが、両親がしていることとあなたがしていることはまったく違うことだと私は思っています。確かに解決につながらないと思われるような愚痴を誰かに言うという意味では似ているかもしれません。私は愚痴はそう悪いことではなく、人がほどほどに苦しみを抱え込まずに生きていくために吐き出すことは大切だと思うところはあるのですが、ただ一つ言う相手を間違ってはいけないと考えています。その点で、あなたの両親の相手の選択はかなり間違っていると思いますし、あなたの選択はとても正しいと思うのです。だから、断じて同じではないと私は伝えたいです。
今、感想を書いている私は油断すると、あなたの両親への批判の言葉が出てきそうでそれをどうやって抑えればいいのかと迷いながら書き進めています。あなた自身が冷静に現状を受け止め、安易にジャッジをせずに両親への公平性を保とうとしていることが伝わってきたので、それを知りながら聞いた私が勝手に怒るのはよくないことだろうとは思っているのですが、やっぱり両親に対して「そりゃないでしょう」と言いたくなります。父親からのメールが送られてきたシーンを想像すると、心が締め付けられるような緊張感や何とも言えない嫌な気持ちなど勝手に湧いてきて、今も残っているゾッとする気持ちを分かち合い、そのことで少しでもあなたの中から薄まってもらえたらと願っています。あなたがこうして気持ちを書いて届けてくれたことは両親の愚痴や悪口とは異なり、あなた自身が自分を助けるための第一歩になると私は思います。一人で抱えてきた悩みや苦しみを自分から手放し、自分以外の人と分かち合うことで抱えていた荷物を少し降ろすような効果があればよいなぁと思っています。
私の周りにはあなたと似たような状況で両親など身近な大人の間を取り持つ役割を子ども時代に引き受けた経験のある若者たちがいます。人によって経過や苦しさも違いますが、多くの人たちは大人になってからも人間関係で苦労することが多いように思います。そのため、自ら人間関係を極力避ける人もいますが、それは少しでも穏やかに生きるために必要な手段だと私は感じています。だからあなたが学校に行かない選択をしていることに少しほっとしています。あなたなりに身を守っていると私は思っています。
私の周りにいる似たような経験をした若者たちと数年前に「自分と他者の境界線」について学んだことがあります。自分と他者の間にはお互いに勝手に侵入をしてはいけない境界線があるのですが、子どもの頃に身近な大人からその境界線を守ってもらえなかった人は大人になってからも自分の境界を保つことが難しく苦労しがちということをいろいろな経験を交えて学びました。その勉強会のことを思い出しました。あなたは本来はあなたが背負わなくてもいい問題を知らないうちに押し付けられてしまい、罪悪感や自己否定を強めてしまったように感じました。「これは夫婦間の問題であり、私にどうにか出来る事ではない」とあなたは書いています。つまり、あなた自身は自分と親との境界を意識して、分けて考えようとしている様子が感じられます。しかし、親は踏み越えてあなたの悩みを本来はしまっておくべきスペースに両親ともどんどん悩みの荷物を置いて行き、あなたの心の余裕を奪っているようなイメージがわいています。私はあなたが本来感じていた「親の問題は夫婦の問題、私にどうにか出来る事ではない」との境界線の感覚を支持しますし、両親の問題を引き受ける必要はないと改めて伝えたいです。最後の方で「自分の事を全部話せるようなそんな人に出会いたい」と書いていました。死にトリは対面ではなく、こうして文章のやり取りになりますが、遠慮なくよかったら全部話してくださいと思っています。おそらく、こうして感想を書いている私たちだけではなく、たくさんの人たちがあなたの経験を読み、似たような経験をしている人たちが勇気づけられたり、そうした人たちを応援する人たちの学びや気付きにつながっていると私は思います。また、機会があれば書きに来てください。いつでも待っています。