ぼくは中学校1年生の時に知らない年上の男性に無理やり性的関係を持たされたことがあります。その後、アダルト系のビデオ(当時はそんなものでしたね)を見ても、男性が画面に映ると気持ち悪くなって吐いてしまうことが多かったです。そのため、女性の方から告白されてもその気持ちにこたえることが1度もできませんでした(自分の状態を正直に話す勇気がなかったのだと思います)。吐いてしまうことと気持ちにこたえられないことから来る恐怖感や絶望感、無力感はとても大きいものでした。また身体的な問題で手術を受けないといけないよと小学生の時に泌尿器科のお医者さんに言われていたのですが、その手術も受けることができませんでした(これは現在でもそうです)。絶望感から逃れるためと、ASD(ぼくはASDとADHDの診断を22歳の時に受けました)的なこだわりから中学、高校では学習に過度に依存するようになりました。すると今度は成績が良くなりすぎ、同級生や先生からいじめられるようになりました。ASDの特徴から得意な科目と苦手(全くできない)科目の差も大きくなってきて、自分でもコントロールできないことに絶望しました。さらに、当時英語が最も得意だったのですが、文学に興味が持てず、英語とのつながりを失ってしましました(今から見ると言語学の方に興味があったのでしょう)。もう後は死ぬことしか考えていませんでした。また頼みの綱だった母が末期がんで入院するということもありました(幸い奇跡的に助かりました)。父親には殴られることが多く、特定の職業以外は落ちこぼれだと固く信じているような人だったので、医学部に進学させられました(1日も通いませんでしたが)。その後数学ならば自分を支える核になるし、絶望感からも逃れられるだろうと思って数学科に移りました。しかし数学の学習はぼくには難し過ぎ、また東日本大震災(と福島第一原子力発電所の事故)が起こり、集中力を保つのが難しくなってしまった結果、3年生で中退しました。それから長くひきこもるような状態が続きました(その間父親と母親が別居することになり、ぼくは母親について関東地方に引っ越しました。ちなみにこのころになってようやくアダルト系の動画を見ても吐かなくなりました)。その間これから何をしたらいいのかを必死で考え、英語で書かれたいろいろな分野の本を読んでみました。イギリスの歴史や英語辞典の編纂の歴史、エジプトヒエログリフの解読の物語などが印象に残っています。2024年になってようやくこういうことを学習したらよいのではないかなという一筋の方向が見つかり東京のある大学の文学部に入学しました。その時に①学習する際の核を見つける②卒業する③女性と付き合えるようにする という3つの目標をたてました。①はなかなかうまくいきませんが、これは時間がかかるのでしょうがないかなと思っています。②はADHD的な特徴から過剰に集中して課題に取り組むことが多く、他の学生の5倍以上の時間がかかってしまい(レポートが他の人より長くなってしまう)、いつも疲れてしまいます。③に関しては全くうまくいかず、いつも孤独感を抱えています。ぼくは一生女性とはお付き合いができないままかなと考えることも多いです。また、課題に対する過剰集中の後には必ず、精神的に不安定になり、過去の経験がよみがえってきて消えたい気持ちに襲われます。「なぜ生きるかを知るものはどのように生きることにも耐える」(ニーチェ)と言いますが、「なぜ」(これを上では核と呼んでみました)も見つからないし、女性とも付き合える見通しはなく、孤独感をいやせる見込みもないことで、毎日消えたい気持ちにとらわれています。散漫な文章になってしまい申し訳ありませんが、現在の状態ではこれが精いっぱいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
消えたい気持ち
感想2
投稿ありがとうございます。
自分のこれまで辿ってきた経緯や受けてきた傷を、感情を交えつつも、論理的に(説明的に)書かれている文章だと感じました。経験談として投稿するにあたって整理をしてくださったのかなと思いつつ、あなたが普段から「~であるから~となるべき」のように、いかなるときも頭を働かせて、自分の置かれた環境や「自分」という存在を理解しコントロールしようとしてきたことの表れが、この整然とした時系列的な記述に繋がっているのかなとも想像しています。そうした思考や理論によって物事を進めていくやり方に対して、中学時代の被害体験や災害の影響、親からの暴力などの圧倒的な理不尽は、どうやっても理解の範疇を超えるというか、想定もリカバリーも難しい出来事の数々だったろうなと思いましたし、(それまでのやり方では太刀打ちできないという点で)あなたのアイデンティティを揺るがすものだったのかなと感じました(そもそも一方的な加害に対して太刀打ちも何もないのですが…)。
あなたが書いてくださっていたニーチェの言葉について考えてみたとき、あなたは「なぜ生きるか」を今までにじっくりと考える機会に恵まれてこなかったのかもしれないと私は感じました。「なぜ」とはすごく幅があって正解のない感覚的なもの、ある意味で自分との納得感との相談という感じがしますが、あなたのこれまでを(書いてくださった内容に限ってではありますが)想像すると、どっしり構えてぐるぐる悩める余力があったというよりは、目の前の環境や選択に対して必死に「自分なりの生きる道」を探してトライ&エラーを繰り返してきた生活のように思えました。ただ、生活も社会も目まぐるしくまわる中で、真に「自分はなぜ生きるのか」に反応・抽出することの難しさは、私自身今を生きる身としてひしひしと感じています。孤独感を癒すことは「何かを得ること」でしか成し得ないのだろうか、とあなたの文章を読みながら考えました。
感想1
中学生から高校生にかけてあなたの核心を揺るがす、深くダメージを与えるような被害体験をいくつも重ねてきたことがわかりました。中でも知らない男性にされた強制的な性行為によって、今まであった感情や感覚が奪われるような(あなたは恐怖感、無力感、絶望感と表現されていましたね)ダメージを負ったことでしょう。それ以外にも手術やいじめ、自然災害などあなたの安心を脅かすようなことが起きましたね。学習にグーっと集中して取り組むことで、不快感(嫌なことを思い出すなど)から解放された感覚をもつことができたでしょうか。一方で特性の影響で過剰に取り組み過ぎてへとへとになってしまうあなたの姿も想像しました。
様々な依存対象がある中で、あなたは学習に依存したことは興味深いと思いました。そして学習に依存することで自分自身を脅かす問題を遠ざけたことは、あなたが自分を助ける力を持ち合わせている証拠だと私は思います。大学からは学業という部分では見通しが見える一方で、周囲から分かりにくい過去の記憶との闘いは続いているのでしょう。なかなか周りに話すこともままならないのかなと思いますし、ひとりで抱える辛さは想像以上だと思います。
私は投稿を読み終えて、「孤独感」が一番印象に残りました。ひとりで色々なことを考えてしまったり、過去の記憶が突然思い出されたりすることでまた孤独感が浮き彫りになるような気もします。孤独感って心の深い場所で感じる感覚のように私は認識しています。パートナーがいることで確かにそこを一部補ってもらえるのかもしれませんが、どちらかというと理解者とか尊重してくれる存在によって孤独感がやわらぐ感覚が私にはあります。そういった存在が見つかるといいなって私は思いました。
なぜ生きるのか…きっと学習する際の核を見つけるよりも生きる核を見つける方がずっと時間がかかりそうですが、こうやって気持ちを言葉にすることで少しずつ見えてくる「なぜ」があるかもしれません。投稿してくれてありがとうございました。