経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の手で将来を潰している気がする

なんだか悲しくなってしまって、文章にしたら楽になるかなと思って書いてみます。
きっと、ここに並んでいる経験談を書いた方よりもずっとずっとずっと取るに足りない軽い悩みかもしれませんが、許してほしいです。

私立の中高一貫校に通う高1です。
夜になるとその日一日の自分が理想とかけ離れすぎていてどうしようもなく悲しくなることがあります。少し前までは落ち込むことはほぼ無かったんですが、最近は毎日です。
中高一貫ということもあり、大学受験に向けて先生も周りの友達も進んでいく時期なのですが、自分ひとりだけその波に取り残されたような気持ちで日々を過ごしています。

溜まっている課題をやらなきゃ、いい大学に合格できるように頑張らなきゃ、誰かに圧を掛けられたわけでも無いのにそう思っていっちょまえに焦りはするけれど体は動かないです。動かしたくないのか、動かすことができないのかもわからないです。
自分が今こうやって勉強せず焦っているだけの時間にあの子はきっと勉強している、夏休みが明けたらめちゃくちゃ頭が良くなっているんじゃないか、そう思います。しかも、都合の良いときはこの気持ちを忘れて後で焦りだします。書いている今も心のどこかで焦っているような気がします。
でも、本当は心のうわべだけ焦っていて、底の方ではそんなこと思ってすらいないんじゃないか、本心ではなんとかなると思っているんじゃないかと思います。心の底から焦っているんだったらもうとっくのとうに頑張っているはずだから。

自分の本心がわからないんです。結局自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、なにが好きなのか、いまどんな気持ちなのか、どうしてそうなっているのか。辛いなとは思うのですが、何がどんなふうに辛いのかが全くわからないんです。
他の人は普通に自分の気持ちを把握しているから普通に生きられているんでしょうか、それとも皆上手に取り繕って生きているんでしょうか。どっちにしたって自分が劣っているんだなと思ってしまいます。

友人に解離性同一性障害やPTSDなど、精神系の病気を持っている子がいます。私は詳しく知りませんが、自分よりもずっと大変な目に遭ってきて、今もきっと大変だろうに生徒会の副会長をやっていたり、外部の団体に入っていたりしています。その子を始めとして、きっと私の友人はみんな優しいし頑張っている素晴らしい人ばかりだなとよく思います。そのことはとても誇りに思うし、今の学校に入ってよかったなと思う一番大きな理由です。だからこそ、自分と比べてしまいます。そりゃ皆上手くいかないこととかやる気が出ない日だってあるでしょうけど、自分が一段劣っているとやっぱり感じてしまいます。(こんなふうに勝手に友達の話を引用するところもですが…)

私はきっと恵まれている方なのだと思います。そもそも私立に通わせてもらっているし、最近予備校にも通い始めました。ご飯を出してもらえなかったり、暴言、暴力を振るわれたことはないと言うと嘘になるという程度です。お小遣いも毎月もらえる制度ではありませんがもらっていますし、上述にもある通り素敵な友達もいます。学校や部活でいじめられているわけでもないし、先生から嫌われているとも感じません。
母親は高校生時代に頑張っていたらしく、「高専卒の父親とがむしゃらに頑張っていた私のどうして遺伝子が受け継がれなかったのか」と私が怠けていると言ってきます。私も遺伝してくれればよかったのにと思いますし、母の言うことは最もで何も言い返せないです。

自分の気持ちがわからないと書きましたが、結局「これくらいならできる!」と思ったことすら出来ない自分が辛くて、許せないんじゃないかと思います。自分が好意的に思っている人たちに失望されたくないのに動く気力がわかない自分が情けないんだと思います。
そのくせ自傷行為などしていないのでその考えも本心じゃないような、自分がかわいいから作り出した虚構のような気がします。いっそのことなにか病名でもついてくれればとも思いますが、こんなやつが病気なわけないし本当に苦しんでいる人に失礼だと思います。

いつから本心が迷子になったのかわかりません。どこに置いてきたのか、それとも誰かが持っていってしまったのか、自分で捨てたのかすらわかりません。
一日一日を無駄にしてしまっているのは紛れもない事実だし、将来焦るだけ焦って取り返しのつかないことになって、せっかく掴んだ機会をすべて棒に振って、手に入ったかも知れない幸せな未来を取り逃がしているような気がします。

自分は劣っている、いないほうが良いんじゃないか、もし死んだら友達は皆優しいから悲しがってくれるだろうけどこんな奴のために悲しむのも葬式の費用もかかるからそーっと記憶からも存在からも消えたいな…ま、無理なんだけど。その程度の悩みのやつがこんなに沢山書き連ねてしまって申し訳ないです。長文の駄文でとても読みにくいし何言いたいかわからないと思います。ごめんなさい。もっと辛くなったらまた来ます。

感想1

「うっ、イタイ、イタタタ・・・」っと、思わずつぶやきながら読ませていただきました。「なんだか悲しくなってしまって、文章にしたら楽になるかなと思って書いてみます。」と、自分を隠さないをしているあなにまずは拍手を送りたいです。そして文章の節々から、自分はどうしようもない存在だ、傷ついて反省しろと聞こえてくるようで、必死にあなたをかばいたいとも思いました。

期待を寄せたい自分、期待に応えない自分、シンプルな自分との攻防戦にはならず、周囲の友人や家族、そして理想の自分などさまざまな「目」が出現し全然試合に集中できない状態になる。そして、どうしてなかなかあなたと私は年齢や性別、生活環境が全くちがうのに痛いほどの共感を覚えるのはなぜでしょう。

もしかしたら案外、それっぽく見えている周囲の人たちも、突き動かされるような目的や動機、使命感を持っている人ばかりではなく、流れに乗っているという人が大半で空虚を身近に感じている人も少なくないのかもしれません。人間の本心、心の奥にある本当の気持ちには奇跡やラッキーを望んでいたり、簡単で楽にを探していたり、何もしなくても幸せになれるを求めていたり、崇高なものからはほど遠いものだったりするようにも思います。

漂っている自分が許せない時は自己否定や批判で何とか奮い立たせる方法を取ることもいいのですが、気持ちの置き所を色々とつくってみるのも手かもしれません。勉強や進学に気持ちが向かない時は、将来への栄養だからと映画を見たり、本や漫画を読んだり、人と話したり、音楽を聴いたり運動をしたり、旅行に行ったりなど価値や生き方はそれだけじゃないを知っておくことで心ののびしろができるようにも思います。かくいう私も中年の漂い真っただ中です、なんか人生って面倒だよねと小さくつぶやきつつも、探し物を探しに行きたい気持ちです。書きたくなったらまた気持ちを書きにいつでもいらしてくだい、投稿いただきありがとうございました。

感想2

自分で自分の気持ちをつかみ切れない、いろいろ分かっている気がするのに行動に成らない、そのもどかしさがぎゅっと詰まっている文章だと感じました。どれも投稿者さんの率直な思いとして受け取りつつ、反面「私がもっと頑張れるはずの理由」をどうにか見つけようとしている言葉たちのようにも思えて、書きながら苦しくなったりはしなかっただろうか…と少し気にかかる私もいます。自分をコントロールしきれないと感じながら自分に向き合わざるを得ないような日常は、とても苦しいものだと思いました。

以前どこかで「自分との約束を守ることが自己肯定につながる」と聞いたことがあるのを思い出し、今の投稿者さんはそれをする気力がわかなかったり、現状を抜け出すきっかけが見つけられない感覚なのかなと勝手ながらに想像しました。そしてその「肯定」は、自分の存在のみならず自分の気持ちや思考を肯定(受容)するのが難しいということでもあるのかなと考えたりしました。自分と周りや理想を比べて落ち込んだり、悲しくなったりしたときに、その感情を疑ってかかる部分があるのかなと感じました。
個人的に、この感覚は今の社会の特徴でもあるように捉えています。何かを思ったりやったりするときに「前提」や「理由」が問われたり、言語化して人に伝わること、自分を客観視して自分がどういう人間(ポジション)であるかをわきまえた行動をすることを求められるような感覚などなど…説明や背景が重視され、求められ、それを(私自身も含め)多くの人が内在化していることで「自分の本心」を見つけるのがすごく難しくなっているような気がするのです。
「みんな同じだから大丈夫」みたいなことを言う気は全くないのですが、投稿者さんが感じていることが個人の中だけで勝手に起きていることというより、私や、社会にいる色んな人と影響し合って起きていることのように思えたので、書かせていただきました。

自分の気持ちも、それにまつわるいろいろな葛藤や迷いも、言葉を書き連ねてもなくなるものではないのかもしれませんが、投稿者さんが多くの気持ちを抱えながら、消えてしまいたいと思いながら過ごしていることを確かに受け取りました、と伝えたいです。

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