中学生くらいの頃から家族が破綻していると感じていました。母は成績に煩く、進学校を目指すようにと言われ最初は従っていましたが窮屈になり、直前で希望変更。酷くがっかりされました。その後大学受験でも金銭面で選べる学校は限られ、その中で自分なりの希望を通した結果、「あなたは我儘だ」とレッテルを貼られてしまいました。
卒業後新卒で入った会社で鬱になり退職、それも母には言えず、単身赴任の父に電話。結局辞めて実家に帰りましたが、母からの風当たりの強さもあって職を転々とした後再度上京。縁あって同じ会社で10年勤めることができましたが、経営者が変わりパワハラを受け、2年前再度鬱で退職しました。母は相変わらず無職に厳しく、家ではサラリーマンを引退した父にも「無職で何もしていない」とキツくあたっているようで、帰省するたびに父から愚痴を聞かされます。
今回の帰省で母がいない時間に酒を飲んだ父に「お前が生まれるちょっと前に別の女がいてあいつと別れるか悩んだタイミングがあった。その時別れてれば」と聞かされ、あぁそれが家族が破綻していた原因なんだと理解しました。
母はずっと父をうっすら嫌っていたし、保険金かけられてるから殺されないように気をつけてと私に言ってきたこともあります。
なんだか全てが腑に落ちた後、望まれて生まれなかったことを改めて理解し、とても悲しくなりました。生きたくて生きてるわけじゃない。終わらせていいなら今すぐ終わらせてほしい。
せめて親より先に死にたいです。
父は離婚するか悩んでいて、いつか私に家を残したいと思っているようでした。私は悲しい思い出しかない実家を相続するつもりはなく、全て放棄したいと考えています。
こういう先のことを考えるだけでもしんどくて気分が悪く、鬱々としてしまいます。
何もかも忘れて今すぐ消えたいです。
味方になってくれる友達は少ないながらもいるので、その人たちに救われながらなんとか生きています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生まれた意味がわからない
感想2
破綻という状態についてイメージしながら読みました。ただ壊れているのではなく、本来あるはずのもの、保たれているはずのものが守られていないときに「破綻している」と呼ぶのではないかと考えました。間近に感じる破綻を自分の力ではどうすることもできないという不安感や不穏さはどれほどのものだろうと思います。大人になりいろいろなことが良くも悪くもわかって言語化されていく前から、幼いながらに悲しさや寂しさをやり場なく溜め込んできたのでしょうか。家にいる時間、家族と接する時間、家族のつながりに悩まされる時間…自分の考えを捨てずに通し方を模索しながらも、反面ずっと心もとなさや寄る辺のなさを抱えてきたあなたの姿を想像しています。
社会に出て、様々な人と関わっていく中で味方になってくれる人ができたり、違う家族の在り方や人とのつながり方を知っていく機会がある一方で、(私は子どもの立場しか経験していませんが/だからこそ)「家族内での自分」「子どもとしての自分」というしがらみから脱出することはすごく難しいなと感じます。そのくらい、生まれ育った環境で自分がどう扱われたか?ということは、自分の価値観や人生観に色濃く反映されるものだと(自分の経験も踏まえて)思っています。「せめて親より先に死にたい」という言葉は、どんな形であれすべて断ち切って「自分」としての感性や意思を通したいという抵抗の表明のように感じられつつ、同時にずっと続いてきた苦しみを終わらせたいという痛みのようなものを感じ取りました。
自分が経てきた環境やそこで受けた傷は簡単になくならず、すぐに引っ張られそうになりますが、今生きている自分を助ける要素を日々1つずつ集めていくしかないのかなと感じます。自分が自分として生きるためには何が必要なのか、ということを終始考えながら感想を書かせてもらいました。投稿ありがとうございました。
感想1
自分の存在を肯定し支えてくれる安全圏であるはずの家庭が、安心して帰る場所ではなく、むしろ嫌悪するものになっていること。それがあなたの根底の生きていこうとする気持ちを少しずつ削いできたところがあるのかなと文章を読んで感じていました。それはなかなか見えにくい削り方で、自分でも対処の仕方に困るものではないでしょうか。
あなたは昔からとてもしっかりと自分の意思や気持ちを持っている方なのかなと思う一方で、それを応援してもらえなかったことなど、親に対する感情には、まだ言葉になっていない複雑なものがあるのではないでしょうか。
まだどこか消化しきれない、何か納得のいかないものが悶々とあるようなところを文章から感じました。それともまだまだ言い切れない悲しい思いがあるのかなとも。
人間は結局のところ一人ですし、本当の意味で、自分のことを分かってくれる人はどこにもいないと私は思っています。求めれば求めるほど苦しいなと。しかし本当の意味で諦めて静かな気持ちで生きていくというのは、これもまた難しいことだなと思います。
自分の苦しみの正体を知ることが出来ればいいですが、それは一人では出来ず、誰かの言葉や存在を必要としたりもします。難しいなと思います。
鬱鬱としてしまう気持ち、違うかもしれませんが、私も持っています。それがどこから来て、どうすれば流れていくのか私も模索中です。生きることの意味は誰も答えてくれませんが、生きることから問われていることを考えてみたいと思ったりしています。