適応障害で会社を休職中。
新卒で会社に入ったのに、たった1ヶ月と少し働いただけで、体と心を壊した。
少し前に退職を促す手紙が会社から来てた。
もともと不安障害を持っていて、2年遅れで入った大学在学中も、周りがアルバイトしてるなか自分は出来なかった。
高校も病気のせいで中退してるし、新卒で入った会社も、少し本当に少し働いただけで退職する
私の履歴書は汚点ばっかり
大学の4年間は元気に行けたのに、社会に少し出たらこの結果
私はきっと社会に出てはいけない人間だったんだろう
周りの友達がバリバリ働いてるのに、私はいつまでも休養
高校の時も、浪人の時も、今も、周りは目まぐるしく成長しているのに私は何も変わらない。変われない。
社会のお荷物だから死にたい
アセクシャルでもあるから、子どもは産めないと思う。働けもしない。周りに迷惑をかけるだけ
親に申し訳ない。いつまでもお世話してもらってて
こんな生産性のない人間は生きてちゃダメだって思う。
将来、年老いて独りで迷惑がられながら死ぬくらいなら、今家族や友達が悲しんでくれながら死ぬほうがいい。
誰かに相談しようと思っても、自分のことが話題の中心になるのが怖い
誰かに迷惑かけるのが怖い
人生怖いことだらけだし、将来も真っ暗だ。
過去もいい思い出なんてない。
生きてても良いことがあるとは思えない。
主治医の前でも元気な自分を演じてしまうし、なんとか相談に行けた大学の先生の前でも本音で話せなかった。
なんでこんなに自分は咄嗟に自分を隠してしまうんだろう
誰の前でも演じてしまう
本当の私が何を思ってるのか、自分にも分からない。
カウンセリングも前受けてたけど、初回しか思った事話せなくて。
カウンセラーと関係ができてくると、何故か本音で話せなくなって、元気なフリをしたり、しんどさを軽めに伝えてしまったりする。
もう、人と関わるのが怖い
どうせ本音で話しても呆れられたり、嫌そうな顔されたりする。
カウンセラーや主治医等、所謂その道のプロには、なぜかしんどさを軽めに伝えて、私はまだ元気なんですよとアピールしてしまう
もう何もかも上手くいかなくて、自分が自分でいることが嫌だ
どうしたら変われるんだろう、どうしたら周りの友達のように、働いて社会から必要とされるんだろう
もう方法が分からない
死んだら自分は終われるし、苦しむことも無くなるのかな
でも、行動に移す勇気もない
だからといって、1日1日何もせず生きて、誰にも必要とされなくて、周りとの差がどんどん開いていく現状も耐えられない
感想1
投稿読みました。“社会の中でうまくやっていけないのではないか”という深い不安と、自分を責め続けてしまう気持ちを常に抱きながら日々心をすり減らしながら過ごしているのではないかな…と想像しています。高校の中退や浪人、新卒での休職と退職など、自分の歩みを「汚点」と表現されていましたが、それは一つひとつの経験をすべて「失敗」と結びつけざるを得ないほどに、今の自分に厳しい視線を向けてしまっているように私は思えました。
大学の4年間は元気に通えていたにもかかわらず、「社会に少し出たらこの結果」と書かれていたところに、環境の変化への大きな負担と、そこに対する自責の念が重なっているように私は感じました。社会人として働くことを「普通」にやってのける友人たちと比べてしまい、自分だけが取り残されているような感覚に苛まれているところもあるのかなと感じますし、その「差」が大きなプレッシャーとなり、ますます自己否定の方向へと傾いてしまっているのかもしれませんね…。
また、ご自身のセクシュアリティに関しても「子どもを産めない」と結びつけているところに、この社会が「働けるか」「産めるか」といった生産性で人の価値を測りがちな風潮の中で、ご自身を追い詰めてしまった結果のようにも思えます。「生きてても良いことがあるとは思えない」と感じるのは、その狭い物差しで自分を測らされ続ける社会の仕組み自体の問題ともいえるのではないかと私は考えてしまっています。
人に相談することについても、「自分が話題の中心になるのが怖い」「迷惑をかけるのが怖い」と書かれていて、そのために本音を隠してしまうことが繰り返されてきたのだろうと思いますし、カウンセラーや主治医といった専門家の前でさえ、元気な自分を演じてしまう…その背景には“しんどさを出すことで拒絶されるかもしれない”という長い時間かけて積み重なった不安や恐怖がもしかしたらあるのかもしれないなと感じました。(全然違っていたらすみません)その演じてしまう癖は、決して弱さではなく、周囲と衝突しないように身を守ってきた生き延びるための方法でもあったのではないでしょうか。
「死んだら苦しむことも無くなるのかな」という言葉には、自分のこの先が見えないほどに追い詰められている心の状態でもあるのかなと…。一方で「行動に移す勇気もない」と書かれていた部分には、かろうじてこの世界に留まろうとする思いも、どこかあるように読み取れました。その間で揺れ続けること自体、すごく消耗するものだと思うし、耐えがたい日々だよな…と難しいことであることは分かりつつも、あなたが少しでも心休まる時間があるといいのになと思ってしまう自分がいます。
社会は「働けること」「生産できること」に過度に価値を置きがちですが、そこで躓いた人が「お荷物」や「ダメな人間」として扱われてしまう構造自体に、私は憤りを感じますしおかしな価値観であると強く主張したいです。あなたの文章には、その社会の冷たさに傷つきながらも、それでも何とか生きてきた時間の重さが刻まれていると感じました。そうした声がもっと丁寧に受け止められる場がこれから先、社会の中に増えていくことを強く願いたい気持ちとどうすれば安心して声をあげられるようになるのかを考え続けたいと思いました。また死にトリが必要に感じられたらいつでも声を届けてほしいです。投稿、ありがとうございました。