今年3月。
それは母親からのLINEだった。
「親父が緊急搬送され処置を受けている」
親父とは年末前くらいに会った。
親父はUターンで故郷に帰り、それまでに住んでた家を継いだ。
直近、仕事などが忙しくメンタルもやられ、返事は一切しなかった。
そんなときに強行で親父が来た。
その時に言われた最初の一言がずっとトラウマになってる。
「俺が何十年も働いて建てた家が、こんなことになってるだなんで殺してやろうか」
メンタルダウンから気づけばセルフネグレクトに。
正直5年くらい掃除した記憶はない。
直前で姑息な掃除をしたがすぐに見破られ上記の言葉を放たれた。
翌日には心療内科へ通い、状況を色々説明。
診断は中程度のうつ病。
そこから定期的に連絡をとりあってて、今年の3月。
農家をしていた親父は突然倒れ、そのまま逝った。
最大にやり残したことがある。
親父の顔を殴る事だった。
だが今はそれはできない。
その代わり、俺に放った一言がずっと残っている。
あれから心療内科へは通い続け、気づけば双極性障害(2型)と入院を宣告。
自分は言いたいこと言って、周りを苦しめる。
昔からそうだったが、いなくなった今はただただつらい。
だが、つらいことは変わらないが少しでも前に向けたらとは思う。
これから入院だし、どのくらいかかって寛解するかもわからない。
それでも、このトラウマからいつか解放されたいと思う。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。お父さんとの関係に刻まれた深い傷と、同時にお父さんの死によってもなお解消されないわだかまりが切実に伝わってきました。お父さんからの暴力的な一言は、ただの叱責や小言ではなく、生きてきた時間すべてを否定されたように響き続け、強烈なトラウマとなってあなたの中に残っているのではないかと思います。セルフネグレクトに陥り、掃除ができなくなっていた背景には、長く続いたメンタル不調や疲弊があったのに、それを理解されることなく責められた体験は、心をさらに追い詰めるものだったのではないかなと感じます。
お父さんの死を前にやり残したこととして表現されていたのは、衝動的な気持ちというよりも、お父さんから受けた理不尽な言葉や行為に対して、自分の痛みを一度でもぶつけ返したかったという気持ちもあると私は受け取りました。けれど、それが叶うことなく亡くなってしまったことで、怒りも悲しみも行き場を失い、心の奥でずっと渦巻き続けているのではないでしょうか…。亡き人に対して抱く処理しきれない感情は、残された者の中で長く苦しみとなり、時に自責や混乱として形を変えることがあるのではないかと、私自身関係性が良いとは言えなかった母を亡くしていて、あなたとは異なるところもありますが、母にもっと自分が感じてきたことをそのままに伝えたかった(受けてきた理不尽な振る舞いへの憤り…どこか憎しみの感情もあるのだと思います)という気持ちを抱き続けているので、そう思うのでした。
また、あなたの文章を読んで家族という関係は本当に難しいな…と改めて痛感させられています。家族は最も近しい存在である一方で、時に最も深く傷つけ合う存在になり得るものでもあって…。「親だから」「子だから」という役割に縛られるがゆえに、互いの痛みや弱さが受け止められず、暴力的な言葉や行為として現れてしまうこともあると思います。そのような関係性がもたらすトラウマは、そう簡単に解消されるものではないですし、ましてそのトラウマの起因となっている相手がもう言葉を交わすこともできない存在である場合、結局自分の中で様々な形に変えながらも落とし込むしかないことの絶望さに、やるせない気持ちになってしまうなぁ…と考えてしまいます。
最後のほうに「つらいことは変わらないが少しでも前に向けたら」という一文に、苦しみを抱えながらも何とか歩みを止めまいとする気持ちが滲んでいるように感じました。これから入院というタイミングもありますし、すぐに答えは出なくとも、お父さんの言葉に縛られた心から少しずつでも解放される時間がこの先訪れることを願っています。また過去を思い返されてしまいしんどくなってしまった時や気持ちの整理がしたくなった時などはいつでも死にトリを訪れてください。