経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

多分会食恐怖症だった。

私は小さい頃から出されたご飯を食べきることがなかなかできなくて、よく親に怒られてた。そして小4のときの担任は残すと親同様に叱ってくる人だった。毎日叱られていて、気づけば食べ物を飲み込むことができなくなっていた。味がしなくなっても、口の中でドロドロになるぐらいに噛んでもずっと喉がしまっているような感覚で、しまいには口の中のものをトイレに吐き出しに行っていた。担任は自分が妊娠したら給食を残すようになってて、それでも叱ってきた。担任はご飯を食べられなくなっても誰にも責められなくて結婚していて味方がいて幸せそうで、私はご飯を食べられないと責められて親には助けてもらえない。結局学年が上がって給食のことで怒らない担任に変わったら嘘みたいに給食を食べ切れるようになった。小4の時の担任には何の復讐も出来ずに私は小学校を卒業してしまった。親は当時のことは「学校のことは先生に任せておけば大丈夫と思っていた。」と言い訳された。友達や他の大人の人に助けてもらえないのは別に良かったけど親には助けて欲しかった。

感想1

投稿者さんと全く同じというわけではないのですが、会食時における極度の緊張や心因性の発汗などがあり、少なからず人との会食に難しさがある私としては自分と重なる部分を感じながら読ませて頂きました。

「食」という生きていくために不可欠な行為だからこそ、家での食事や学校など違う場所においての食事でも幼い頃にした体験は大きく影響を及ぼしてしまうような気がします。特に幼い頃や小さい頃などは好き嫌いや食べられる量などに明確な個人差がありますし、「食べきること、何でも食べること」を前提として一律に求められることはとてもストレスになりえることのように(過去の自分を振り返っても)感じられます。

それは学校などの環境などにおいてではより顕著な気がしますし、家でも親御さんに叱られながら食べなければいけない日々の中で、学校でも教師から叱られながら食べることを強要されたことは「食べる行為そのものに」抵抗を示すことになってもおかしくないことのように思えました。

また、今でこそ「食育」などで、給食や食事について深く考えようとする風潮が広がりを見せつつありますが、それでもまだ周囲の大人や環境などによっては理解による差があるのが現状としてある気がします。

環境の変化によって投稿者さんがその後食べられるようになったことには勝手ながらにほっとした私がいるのですが、それでもその時感じていたつらさや理解してほしかった気持ちは心の傷として残っていると思うので、これから何らかの形で解消されていってほしいなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
私は会食恐怖症ではないですが、好き嫌いが多くて給食に苦労したので、「もしあのとき周りに追い詰められていたら…」と想像すると自分事として苦しさが浮かんできました。食事に限らずですが、解決しようと努力してもどうにもならないものを責められるのは、本当に苦しいことだと私は思います。自分に何が起こっているかの理解も、言葉にすることも難しい子ども時代なら、尚更行き場のないつらさがあるように感じます。
しかも自分は残すのに児童はダメなんて筋も通っていないし、私がもしそんなことをされたら、もやもやや許せなさを一生引きずるかも・・・と思いました。。妊娠して食べるのが難しくなるという事情が自分にあるなら、もしかしたら子どもにも何か事情や理由があるのではないか…?と想像することをしてほしかった、と先生に言いたい気持ちになりました。
親には助けて欲しかった、という言葉にはとても切実なものを私は感じました。誰か一人さえ理解しようとしてくれたら、味方になってくれたら、全然違ったのに…ということはあると私は思います。今からでも、こうやって言葉にしたりする中で「助けて欲しかった」という思いが、ほんの少しでも癒されてほしいと願いたくなりました。

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