経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

線維筋痛症

第二の人生は、介護の仕事。

と思って10年勤めた頃、身体に異変が起きた。
全身が痛い。歩く・寝返り・仰向けで横になる・手を握る・しゃがむ・抱える事が、痛みの為に普通に出来なくなった。

病院を転々として出た答えは『線維筋痛症』。
難病だそうだ。
痛み止めを服用し2ヶ月休職して、痛みがだいぶマシになったので復職したが、

1日にして、全ての痛みが復活した。

良い職場に恵まれていたし、続けたい気持ちがあったが、続けるのが難しくなってしまった。

齢50。まだまだ働かなくてはいけない時に患った疾患。
どの位痛いか他者に理解されるはずもなく、孤独を感じている。
今後の見通しは立たない。
収入が絶たれ、どんな仕事なら出来るか見当もつかず、途方に暮れている。

感想1

投稿読ませていただきながら、自分なりに「線維筋痛症」を調べてみました。調べながら、自分が難病告知されたらどんな気持ちになるんだろう?自暴自棄になって全てを諦めてしまわないか?などが頭に浮かびました。
病院を転々とする中で、自分がどんな病気なのか解らない、痛みが続く状態で過ごす時間は、想像もできないほど不安・苦痛を伴ったと思います。今までできていたこと、仕事が難しくなる事で精神的にも、金銭的にも大きな負荷があったと想像します。

伝わりづらい理解されにくい痛みの度合い、精神的苦痛、孤独感をどうしたら和らげられるのか?自分一人ではどうにもならない歯痒さ、これからのことを考える余裕のない状況など、多くの事が当事者にのし掛かっている現状があるのを、私は知人を通して目の当たりにし続けています。

見えない痛みや苦しみを抱えてる方に対して、病気の事を知る、知ったうえでどんな配慮、サポートがあるのかを考える、押しつけにならない寄り添う姿勢などを色んな人たちが意識することで孤独や不安を少しでも薄める事に繋がるのではと自分なりには考えています。(綺麗事かもしれませんが)
共感してほしい部分、寄り添ってほしい気持ち、寄り添って欲しいことなど当事者にしか解らないこともあると想像しています。そんな繊細な部分も含めて周りは聴くことの重要性、理解、共感に繋がればと思っています。

日々の生活、これからの事を考える中で悩むことも多いと思います。悩みや想いを吐き出せる場所として、活用してみるのもいいのかなと思っています。

投稿ありがとうございました。

感想2

「第二の人生は、介護の仕事」とあるように、自分の中で働き方なども含めて生き方や指針を見出した中で介護の仕事に携わり、10年という決して短くない時間を過ごしてきた矢先に突如として痛みを伴う難病に罹ったことは、肉体的な痛みはもとより心的な痛みもとてつもないものであっただろうなと読ませていただいて感じていました。

私自身は(専門的な知識は持ち得ていませんが)「線維筋痛症」という病名とその症状をたまたま知っていたので、それが日常生活において感じる様々な痛みとは一線を画すもので、激痛を伴って日常生活もままならないものになる存在だということは想像に難くありません。

それをある時を境に突然抱えることになったのは、それだけで大変という言葉も生ぬるいぐらいに過酷なものであったでしょうし、「難病」という怒りの矛先を向けようがない存在に対して、仕事のこと、生活のこと、これからの人生のことを考えて途方に暮れてしまい不安に駆られるのも無理もないことだと私には思えました。

自分が感じているものを人に理解してもらうことは中々難しい部分がありますし、こと職場や社会においてではことさらに理解や配慮の壁が厳然として立ちはだかってしまう世の中に(残念ながらと言うべきか)なっているような気がして私はなりません。しかし、本来はそういった部分の認識や配慮がされてこそ、各々が孤立せずに安心して社会と接点を持てるように(私自身の経験としても)思えます。

病気も仕事ももしかしたら見通しが立つには今しばらくの時間を要するのかもしれませんし、容易なことではないのかもしれません。ですが、ここに今の辛さや自身が置かれている状況を書き綴りにきてくれたように、せめてその内に秘めた思いや辛さだけでも投稿者さんが少しでも吐き出して楽になれる些細な瞬間がこれからもあることを勝手ながらに願っています。投稿ありがとうございました。

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