私は今高校三年生の受験生です。去年の夏頃から国公立医学部志望で勉強をしてきました。ただ部活も続けてたため、勉強だけに打ち込めていたわけではありません。元から周りより勉強が得意という訳でもなかったため、今思えば医学部を志した時点で部活を諦めるべきだったのかもしれません。
部活はバスケットボールをやっていました。かれこれ10年程はやっているので、おそらく始めたのは小学校低学年頃です。父親が小学校から大学までバスケットボールをやっていたため、その影響です。兄も同様の理由でバスケットボールをしていました。最初は楽しくバスケットボールという競技に触れていました。しかし、小学3、4年の夏に、兄が入ったクラブチームの助っ人として女子チームに参加したことで、そのままクラブに入団することになりました。正直そのクラブの監督があまり好きではなかったので、クラブの練習が始まると聞いた2週間前に、リビングで嫌だ嫌だと大泣きしたのを覚えています。ただ親曰く私が入りたいと言ったかららしいです。
クラブチームに入ってから、バスケットボールは楽しくなくなりました。周りの子が和やかな雰囲気でやっていて、私も同じく仲間の輪の中にいると、母はいつも「ちゃんとやりなさい!」と言って、私の腕を叩いたり、つねったりしに来ました。周りの親御さんが端で座ったり、立って見ている中自分の母が来るのが恥ずかしくもあり、今となってはそうさせてしまったことに申し訳なく思う気持ちも少しだけあります。練習はちゃんと取り組み、真剣にやる時間は真剣に取り組んでいました。ただ、練習の隙間でも談笑をすることが良くないと思っていたようです。兄と小学校〜高校まで同じ学校だったため、成り行きでバスケットボール部に入り、辞めたいという勇気もなかったので、何となく続けてしまっていました。
父は試合を見に来ては、その日の夜ご飯にここがダメだった、あれがダメだったとよく言いました。(中学の時は見に来て欲しくないと遠回しに伝えたので、あまり見に来ませんでしたが、)これは高校の引退まで続きました。3回に1度、時間で言うと、9ヶ月〜1年に1度、これは良かったじゃんと言われることもありました。それ以外は良くないところを指導されていました。学年が上がるにつれ、技術ではなく、何となく人格否定のような言葉が増えてきました。褒めてもらうために努力して、褒めて貰えないためにオーバーワークをしてしまったことで、ケガが増えました。ケガでギプスをして帰ってきた私を見て父が言った言葉は「病院なんか行くから」でした。父曰く、テーピングをガチガチにしてやるものだ、だそうです。もしかしたらそうなのかもしれない、それが普通なのかもしれないと思って、急いで復帰しました。怪我をしやすい骨、筋肉が出来上がりました。その後も同じところを何度も怪我しました。そして試合に出れない度父は「あーあ、」みたいな顔をしてるように見えました。試合に出ても指導される。出れなくても指導される。体育館に行くのが辛くなりました。部活のストレスで睡眠障害のような状態になり、学校にちゃんと朝から通えなくなりました。ただ、部活に言って練習しないとまた指導されると思っていたので、午後からは絶対に学校に行き、部活に出て、予備校に行き、家に帰り、寝たいけど寝れない、ということが続きました。見かねた顧問の先生が声をかけてくれ、退部するか迷った末、1ヶ月休部することにしました。
その後も指導が減ることはありませんでしたが、その頃にはもうバスケットボールはどうでも良くなりつつありました。
長くなりましたが、こんな生活も引退試合であっさり負けたことで終わり、今は勉強しかやることがありません。部活動中もそれなりに予備校通いをしていたので、進級する時点で高校化学、数Cの範囲は終えてしました(医学部志望の方は、もっと早く終えているものかもしれませんが)。
ただ模試の成績は共テで5割も取れないようなグズでした。英語は偏差値65位に仕上がってきていましたが、それ以外はダメダメでした。もちろん判定はEです。
そして夏になりました。相変わらず英語だけは高く、生物がお気持ち程度高い模試の結果を父に見せました。父は「今の時点でA〜C判定の大学に変えるべき」と言いました。父曰くそれが普通みたいです。私は、挑戦校、現実校、安心校、と、3つの合格ゾーンの大学を受験すると学校や予備校から聞いていたため、驚きました。ただ父はそれが普通だと言わんばかりでした(父が正しいのかもしれませんが)。父の言い分で行くと、併願予定校を第1希望にして夏休みと秋以降勉強しろということになります。なんてもったいないのだろうと正直思いました。正直医学部は厳しいとは思います。ただどうせ併願にするところなら、医学部を目指し続けた上でそこも予定通り併願で受ければいいと思ってしまうのです。また、私立医学部にもし受かったら、奨学金を借りて通うことも考えてると言うと、「よく理解してなさそうな奴にそんな話されたくない」と言われてしまいました。自分なりにしっかり調べた上で、勇気を出して父に発言したので悲しく思いました。もちろん私立医学部の学費を奨学金で、となると、学生時代に3000万程の借金を背負うことになります。父曰く、「医者って言ってもサラリーマンくらいしか稼げない」らしいですが、そんなことはないと調べて思いました。大学病院や、都市部の病院程給料は低くなりますが、地方の病院はサラリーマンよりかは全然給料がいいです(保険や税金を引いて手取りで考えてもです)。返済に20年以上はかかると思いますが、父が言うほどはかからないと思います。結婚が、子供が、とも言われましたが、正直父を見ていて結婚にいい印象も子供が欲しいとも思いません。自分は父の遺伝子を少なくとも受け継いでると思うと人と関わるのさえ怖いです。遺伝子を世に残そうなど考えられません。仮に大好きな人ができて、子を授かったとしても、親不孝ですが父に見せたいとは思いません。
大学病院で論文を書いたり、研究医になりたい訳でもなく、現場でただひたすらに働く勤務医になりたいので、サラリーマン程度の給料にはならないと思います。
そもそも私は最初から医学部志望だった訳じゃありません。最初は理学療法士に興味があったため、都内の国公立大学の理学療法学科を考えてると父に言いました。そうすると「理学療法士の年収は良くない。四年制大学で行く必要は?短大でもいいんじゃないか。それなら同じ医療関係でも医学部目指したらいいんじゃないか」と言われました。全部お金で考えて、やりがいとか意思とかは関係ないのか、と思いましたが、間違ったこともいっていないし、経験値が上の人の言うことは聞いておけと小さい頃から父に言われていたので、その時もなんとなくそのまま父の指導をし聞き入れて医学部志望の道に足を踏み入れました。
そして今、あの時理学療法士に向けていた蝋燭程度の熱意が医師という職にも向いてきました。学力が追いついてない今となってはもう遅いのですが笑
今私は
医学部を諦めない
医学部を諦めて現実的な大学に変える
という2択が突きつけられています。
と言っても父に自分の意思を伝えたとて聞き入れてもらえる確率は低いのでほぼ一択です。
ただ、突然今変えろと言われても、自分が何をやりたいのか何が好きなのか何に興味があるのか全く分かりません。なんとなく医療系・生物系に行こうとは思ってます。
どうやって将来を決めればいいのか分かりません。
父は「今何が向いてるとかみんなわかんないから、今やりたくても変わるかもしれないじゃん」と言っています。
私からしたら「今自分の中にあるもので決める以外どうやって決めるんだろう、やりたいこと変わらないかもしれないじゃん」と思うのですが言えずにいます。
また、「うちの子達はみんな国公立行くって言うけど誰も私立ダメなんていってねぇよ、ふざけるな。」と言われました。
うちは3人兄妹で、長男の高校受験が始まった頃から「お父さんは稼ぎが少ない訳じゃないけど家にお金が無い。それはみんなの塾とかにお金がかかってるから」などと言われてきました。きっと自分の子供の出来が思ったより良くなかったことに気づいたんだと思います。
今あまり興味のない学部に行って将来職に就く時、在学中後悔しそうで怖いです。志望校を下げたことで勉強に身が入らず併願予定のところにさえ受からないかもしれないとも思います。
今日の夜決断を出せと言われています。
未だ迷っています。
心の底では医学部を諦めきれません。
ただ父に言う勇気はありません。
父は私が志望校を下げると言うのを期待しています。(そう言ってました)
高校受験の時も父の経験者の言うことは聞くという教えのもと、父の意見を聞いて来ました。大学もそうなると思うと自分の人生のような感じがしなくていっそ死んで父から私の人生を取り上げたいです。
父はいつも「あくまで自分の選択」という言い方で意見を押し通して来るので、父的には高圧的とはあまり思ってないかと思います。
両親が私のことを憎くてやっているわけじゃないこともわかっています。ただ、私には父に意見を言うという勇気は小さいころに失ってしまっています。
明日話をする時に、最後に勇気を出してもう一回だけ医学部を目指したいと言おうと思います。
もしそれでダメだったら私はもうこの先一人で判断して生きていくことができなくなってしまうような気がします。
そうなるくらいならもう死にたいです。
ただ何も悪くない母や兄の精神に負担をかけることが申し訳ないです。
父も何も分からずに終わるんだろうと思います。
自分のことを考えてくれてるのはわかっています。ただ私には父という人間が難しかったです。
長文失礼しました。
明日話をしてきます
感想1
投稿ありがとうございます。
あなたがその時々にどんなことを考えていたのかが細やかに伝わってくる文章でした。周りの声に揺らぎながらも、1つ1つ自分の考えを形作ってきた様子が感じられました。同時に、どうしても無視しきれない「親の意見」の影響力の強さ、子どもがそこから離れることの難しさについてもたくさん感じる内容で、あなたが「もう疲れたよ」と言いたい気持ちをこらえているようなイメージも浮かびました。
第三者目線から言うと、父親さんの言動(や反応)の印象は、親子のパワーバランスがかなり気を付けないと対等にならないということを全く分かっていない、かなり強い影響力を持つものに思えました。本人は断定せずに(押し付けるつもりなしに)言っているとしてもそう聞こえないことはたくさんありますし、発言に一貫性がなかったり遠回しな言い方をする大人のことを信用する方が難しいです。しかしスポーツでも学業でも、子どもが親に頼らずに機会を得ることは難しいので、必然的に親の意向や自分に対する態度も含めて判断していくことになります。そしてその意思決定の習慣は一朝一夕ではなく積み重ねで得ていくものだと思うので、だからこそ親の子どもに対する適切な距離感は、愛情がどうとか世間でいう「親子像」みたいなものに当てはまるかどうかよりずっと重要なことだと私は思いますし、その距離を踏み越えてくるものに「NO」と言うのは何も悪いことじゃないと思います(それであなたが理不尽に責められたり、追い込まれたりしないだろうかとも思うので、あくまで勝手な私の考えではあるのですが…)。「いっそ死んで父から私の人生を取り上げたい」という言葉には猛烈な父親さんへの抵抗感と、抵抗したいのにしきれないことへの失望感が詰まっているように感じました。そして「私には父という人間が難しかった」という言葉が、あなたと父親さんの間の境界にすっと入り込み、あなたの価値観を守る表現な気がしています。
私自身、親との関係に悩んできた子どもであるという立場柄、「親」という存在に対して若干言葉が強くなってしまったところがあるかもしれません…。あなたがあなたとしての決断を奪われないよう願い、感想とさせていただきます。