経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

療育上手くいかなかった

発達障害の子がいます
療育失敗し
我慢ばかりさせていました
早く嫌な環境から
逃げれば良かったです

良い所を伸ばして
苦手をカバーすれば良かったです
子供を守ってやれなかった

二次障害に何度もさせてしまった
私も今は病気で動けなく
ただ生かされているだけで
生きる希望がありません
離れたい楽になりたい

毎日涙出ます
生きることに疲れた
頑張っても上手くいかない
障害があるから仕方ないのだけど
障害抱えた子どもと生きていくのは
過酷すぎる
虐められる 嘘をつかれ
誰からも理解されず
何処で生きていけばいいのだろう
親も亡くなり自分が親となって
子供を育てられるか
健康がなくなった今
とても辛い死にたい

感想1

ぽつりぽつりと呟くような言葉たちだと感じました。文体と文章の雰囲気が相まって、言外の感情や背景を多く感じ取ったからかもしれません。投稿者さんが疲れ果てていることが伝わってくるとともに、これまでに何度も考えてきたことでもあるのかなと想像しています。

お子さんの障害と社会の過酷さのはざまで、幾度となく考え、動いてみて、そのたびに傷つくような日々だったのでしょうか。故意に傷つけられるのは言わずもがな許し難いことですが、それ以上に障害や子育てについての難しさや大変さを、投稿者さんが実質一人で背負ってきた状態だったのかと思うと、社会の無力さを痛感します。投稿者さんが上手くやれなかったのではなく、社会が投稿者さんの状況や声を適切にキャッチできなかったのだと私は思いました。

最後のほうに書かれていた「何処で生きていけばいいのだろう」という言葉が個人的にすごく印象的で、経験談を繰り返し読む中で、感想を書く中で、心にじわじわと広がっています。今の社会はひとつでも何か手放すと途端に「世の中」からポーンと弾き出されてしまうような怖さがあると感じます。障害を持って生きることがかならずしも難しいのかというと人によって多様な意見があると思いますが、障害という枠組みをこえて、「人とちがうと感じることの悩ましさ」や「苦手によって社会や人とつながることの難しさ」など、さまざまな「困った」「苦しい」を必要な時に必要なところへ共有できる社会であってほしいと思いました。
よければまた死にトリに声を届けてほしいです。投稿いただきありがとうございました。

感想2

お子さんをとても真剣に必死に育てこられて、今はエネルギーが残っていない姿を想像しながら読ませてもらいました。“育てる”じゃなくて“療育”と書かれていたので、専門家に助言を受けるなど試行錯誤してお子さんに関わって様子もイメージしていました(違っていたらすみません)療育と言ってもお子さん本人になれるわけではないので、うまくいかないことや本人の希望とズレることはたくさんあると私は思っています。そう考えてみると実は失敗という表現はあてはまらなくて、考えて関わってみたけれど、うまくいかないということは日々あるのかなと思います。必死に考えて関わったこと自体はお子さん本人の経験や力として残っているのではと思います。それを糧にして、本人の感情や意思は育っていると私は思います。お子さんが自分の感情をうまく表現できなくてパニックを起こしたりすることもあるかもしれません。それが親であるあなたに向けられることもあるかもしれません。しかしその行動はあなたの責任というよりも、すでにお子さん本人の領域の問題でもあると私は考えました。親と子どもだとしても人間同士を理解し、関わることはとても難しいと思うんです。
毎日が過酷過ぎると書かれていました。あなたは自分のことだけでも精一杯なのに、それでも何とかお子さんに関わろうとしている(関わらざるを得ない)のでしょう。離れたいという言葉、それが本心だと思いますし、そう考えても無理はありません。
こうやって投稿するだけでは日々の現実が変わるわけでもないかもしれません。でも周囲に頼れる存在がいないとしたら、こうやって言葉を交わすことで少しでも気持ちが軽くなるでしょうか。あなたがお子さんのことは二の次に自分優先で休める時間は持てそうでしょうか?しばらく誰にも頼っていないとしたら、離れたいほどつらいって相談してみてもいいのかもしれません。
あなたの詳しい状況が分からない中で「頑張っていますね」という表面的な労いよりもひたすらあなたを想像しながら感想を書かせてもらいました。
投稿ありがとうございました。

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