経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

恵まれています

私は周りの人や環境にとても恵まれています。人より発達が遅れている私に対しても、理不尽に怒ったり馬鹿にしたりする事も無く、優しく接してくれて、好きなことや趣味に対しても自由にやればいいと言ってくれて、応援してくれる。幸福な人生を送っていると自分でも感じています。
けれど、そんな環境だからこそ思ってしまうんです。こんなに恵まれているのだから、弱音を吐いちゃいけない、不幸せだと感じてはいけない、迷惑をかけてはいけない…そう言った考えが頭の中を駆け巡っていく。恵まれている、という事が逆にプレッシャーとなってしまう。恵まれているからこそ、環境を理由に言い訳出来ない。自分の悩みが、陳腐なものに感じてしまう。苦しむ、という事自体が許されないような圧があるんです。
周りに言えば「そんな風に思わなくてもいいんだよ」と慰めてくれると思います。けど、その優しい言葉が、とても苦しい。周りはこんなに私の事を考えてくれるのに、自分は何故こんな事でいちいち悩んで、周りの重荷になる事しか出来ないんだろう…と自責が始まってかえって悩んでしまう。
本当は「そこまであなた恵まれてる訳じゃないよ」って否定して欲しい。甘えてもいいという理由が欲しい、ダメでもいいっていう言い訳が欲しい。贅沢な願い事です。けれど、そうとでも言ってもらわないと、正気を保っていられない。自分の不出来な部分が、醜悪な性根が、甘ったれた弱い所が目についてしまって、どうしようも無く辛くなる。

感想1

私自身も(全て同じではないですが)人や環境に恵まれて何とか生き抜いてきた、生きてきた節があるので、少なからず自分事のように読ませていただいて感じていました。

今の世の中や社会通念的には「恵まれているなら文句を言ってはいけない、それ相応の人間でなければならない」ということを(かつての私や今の私が感じているように)どこか勝手に求められる気がしますが、それは「わかりやすい大きな何かがなく“恵まれているに括られている”」だけで、そこに内包される細かな生きづらさや各々のグラデショーンを蔑ろにしているように感じて私はどうしても疑問に思ってしまいます。

それは、投稿者さんでいえば「特性に対して理解があったり、配慮してもらえる人間関係があった」ということにあたり、それはそれこれはこれとして切り離されて考えられるものにならずに「それだけの理解や環境があるのに」とより投稿者さん自身を息苦しくさせるものであったのかなと私には思えました。

環境や人間関係に恵まれることは決して悪いことではないと(私自身の経験も含め)思います。ですが、優しさを肯定することに慣れてなかったり、それ自体が自身の負担になることも十分にあり得ると思うので、環境や周囲に依存しない投稿者さんの考えや本当の気持ちが表現できるこれからであってほしいなと勝手ながらに思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。恵まれているからこそ、苦しいという思いをなにのせいにもできない気がして、そればかりではなく、苦しいと感じていることすらどう認めていいのかわからない…という心境を感じました。

私も10代のころ「自分は環境的に恵まれていて、お金にも困っていないのだから、つらくても文句は言ってはいけない」「つらいと思う自分が悪いのかもしれない」と思っていて、自分を責めていました。後から振り返ると、「恵まれている部分と同時に、問題もたくさんあったし、つらいのは当然だったな」と思います。
あなたの環境の「恵まれ」度を、私が評価することはできないですが、もしかすると、これからまたあなたの生活が変化していく中で、見えてくる部分もあるのかもしれません。困っているのは今現在のあなたなのだから、そんな悠長なことを言われたってどうしようもない、かもしれませんが……。

この経験談を読んでいて、苦しさや大変さを伝えようとするとき、なにかと理由を求められがち、という社会の問題が背景にあるのかも?と思ったりもしました。きっと「恵まれている」も0%と100%に分かれるわけではないし、「この部分ではラッキーだけどこの部分はいまいち……」ということも両立すると思います。
また、大前提として、苦しいと感じるなら苦しいのだし、本来、理由や説明責任は存在しないと私は思います。そして感情も、1種類ではなく、いろいろな感情がひとりの人間の中に両立すると思います。

人によって「当たり前」や環境のベースは違うので、それを見ないで、自分の苦しさだけになってしまうと、人との関わりの中では大変なこともあると思います。ただ、あなたのつらさをあなたが否定する必要はまったくないとまず伝えたいと思いました。
そしてその上で、周りの人に苦しさを共有することは、かならずしも「重荷」というだけでもないようにも思いました。もちろん、相手や状況によっては、悩みをうまく受け止められないこともあるかもしれませんが、悩みを伝えるということは、自然なコミュニケーションのひとつであるだけのようにも思います。もちろん、弱音や苦しさも自然なものだと思います。あなたにとってそれらが周囲の人との関わりの中ですこしずつ取り扱いやすいものになっていけばいいなと、勝手ながら、願っています。

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