経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

わからない

自分がわからない。

精神科に通って7、8年くらい経ち、服薬も続けているが、寛解できずにいる。もしかしたら、途中で寛解した時期もあったのかもしれないが、自分の状態を把握することが苦手で、なおかつ自分の感情に鈍感なところもあって自分にはよくわからない。自分の感情にあえて目を背けることでやり過ごしてきた代償かもしれない。発症の引き金や要因も曖昧でわかっていないから、寛解できてもまた同じ過ちを繰り返してしまう気がする。精神医学に関する知識を収集したり、カウンセリングを定期的に受けてみたり、サポート機関に通所することも過去にはあったが、その知識や経験をほとんど活用できていない。何もかもわからないままにしていることが寛解しづらい原因かもしれない。どうしてこうなってしまったのだろう。思い当たることはいくつもあるけれども、過去はどうしようもないし、他人は変えられないし、自分が今後どうしたらいいのかもわからない。考えるほどに頭が混乱するし、治療期間が長引くほどに絶望が深くなってしまった。

自分がわかる日はやってくるのだろうか?

感想1

あなたの率直な思いと苦悩を教えてくれてありがとうございます。「わかる」ってどういうことなんだろう……とあらためて考えながら読みました。
「自分の状態を把握することが苦手」という認識をすること自体、とても難しくて、それ自体はあなたが「把握」を試みてきた結果なのではないかと思いました。私自身も長年精神科通いをしていますが「自分の状態を把握しなければ、自分のことはわからない……」ということにすらなかなか気づかずに、右往左往してきた自覚があります。「わからないということがわかる」というのは100%の「わかる」ではなくても、数%の「わかる」ではあるんじゃないかなぁとも思ったりしました。それから、たとえば「考えるほどに頭が混乱する」というのも、あなたの経験上の知識だと思いました。

あなたが「精神医学に関する知識を収集したり、カウンセリングを定期的に受けてみたり、サポート機関に通所」したことも、自分の輪郭をどうにかつかもうと試みてきた一環でもあるのかなと思いました。私も、カウンセリングで質問されたことをきっかけに自分について考えてみたり、整理しようとしてみたり……現在進行形でしているところなので、「わからない」は私もそうだなと思いました。私も終わらない自分研究をしている気がします。
私の場合は、本を読んだり、人の話を聞いたりしながら、自分が持っていない性質の人のことを知ることで、自分がそれを持っていないことに気づく…という経験が多いような気がします。
あなたにとって、自分がわからないことは、自分をどう扱っていいのかわからないということでもあるのかなと思いました。自分の取説がないから、生きていくのはむずかしいなぁと思います。あなたにとって、生活しやすい方法や、とらえかたが少しずつ見つかっていくことを願っています。

感想2

“自分が自分である”という感覚をつかみきれないまま、長い時間を過ごしてきた苦しさが伝わってきました。精神科への通院や服薬、カウンセリングや支援機関の利用など、自分の中でできる限りの方法を模索してきたにもかかわらず、手応えをつかめないもどかしさが積み重なっているような印象を抱きました。その積み重なりは、症状の問題というより、“努力をしても報われない経験”が続くことによる消耗にもつながっているのではないかなと思います。
自分の感情や状態を把握しにくいことについて、「あえて目を背けてやり過ごしてきた代償かもしれない」と書かれていましたが、それは生き延びるための一種の戦略だったのだと私は感じました。感情や過去を直視することは、時に再度心を壊しかねないほどの負荷を伴うものです。そのために、無意識のうちに「見ない」という選択をすることは、防御反応として自然なこと(無理もないこと)だと思います。
あなたの「どうしてこうなってしまったのか」という問いは、自己責任や過去の失敗を探るためだけのものではなく、もっと広い意味での「自己理解」への希求のように私には思えました。可能であれば、支援者や医療者と一緒にその問いをたどる時間があってもいいように思いますが、医療の現場は症状のコントロールや薬の調整に終始しがちで、「自分の理解」を深めるプロセスは後回しにされることが少なくはないですし、そこに、制度や医療の限界という社会的な課題を改めてあなたの文章を読んで考えさせられました。
私自身も自分のことをわかろうとしながら生きてきたところはありますが、わかっている割合は思っているほど少ないと感じています。「わかる」って本当難しいな…と。もしかしたら、どこかで「わかることそのもの」ではなく、「わかろうとしていることに意味を見出そうとしている」ところがしんどさに繋がっていたりするのではないかなと考えたりしました。あなたにとって「わかる」ということはどういう状態を指すのか、自分が「わからない」ことで一番気持ち的に引っかかってしまうのはどういったことなのかなど、考えること自体負荷のかかるものかもしれませんが、そのあたり少しでも整理ができるとまたちょっと違ってくるかも?なんてことも思ったりしています。また良ければあなたのお話を聞かせてもらって、一緒に考え、言葉を交わせたらなと思いました。投稿、ありがとうございました。

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