経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

薄ぼんやりのなんかとなんとなくとその他。

このサイトやアプリを使って書いている人はきっと、自分なんかよりも本当に辛いと思います。
私のは言ってしまえば、ただの我儘で逃げでしか無いのでしょう。
私は今はもうやれませんがリスカを当時していました。
その時はひたすら無気力に、ぼんやりと
死にたいなあ
、とか思ってました。
このサイト、アプリのような物は他にもいくつもあります。
他にも死にたいと思っている人とかからその訳を聞いたりもしました。
学校で虐めがあるとか、親が所謂毒親だとか。
このような話を聞いた時自分は本当に申し訳なくなりました。
自分にはそこまでの辛い経験は無いからです。
友達ともまあまあ上手くやれてますし、家族とも話せてはいます。
…なんだか自慢のようになりました。
ごめんなさい。
ただ、ほんと、薄ぼんやりと、なんか
なんだか、死にたいのです。
最初は自分がよくやっているオンラインゲームのネットの友達との関係を切るくらいで済みました。
でも、欲求というのは恐ろしいもので、
どんどんエスカレートしていきました。
リスカをやるようになりました。
学校から購入した彫刻刀を使って、どんどん傷を付けました。
そして最近はさらにエスカレートしていっていろいろやってみて、
死を目指しました。
私はなんで、こんなにも、大して辛くもないのに死にたいのでしょうか?
未だわかりません。
私はもしかしたら少し、神経質なのかもしれません。
親や友達からもガサツだとよく言われたり、おおらかだとか言われますが、もしや本当は、メンタル面だけかもしれないけれど、凄い神経質なのかな、と思いました。
このとめどなく溢れる死への渇望は止まりそうにありません。
せめて死なないようにここから感想が欲しいです。
私は何故、死にたいのでしょう?
同じ様な境遇の方は教えて下さい。

感想1

投稿読みました。“自分はそこまで酷い境遇ではないのに死にたい”という感情への強い戸惑いと、自分自身を責める気持ちのしんどさが伝わってきました。辛さの理由がはっきりしていないと、“これは我儘なのでは”、“他の人の方がもっと苦しいのに”などと考えてしまうものだなと私自身も経験して思うことですが、苦しさというのは必ずしも外部から見える出来事や条件だけで説明できるものとは限らないなと思います。理由が曖昧でも、心の中で生まれる衝動や渇望に偽りはないでしょうし、あなたの抱える“死にたさ”を我儘とか逃げなどとは私は思わなかったですということをお伝えしたいです。
また、死に向かうための行動も、最初は一線を引いていたはずの死に近づく手段が、徐々にその境界を失っていく怖さもあったりするのかなと想像していました。これは個人の意志の弱さだけでなく、衝動性や精神的な負荷が積み重なってコントロールが効かなくなってしまう過程で、気持ちの強さによっては誰しも起こり得ることなのではないかな…と、決してあなたの行為はおかしなことではないとも私は思います。
社会的には、“死にたい”と思ったり、口に出すには“相応の理由”が必要だという風潮が根強くあるなと感じています。でも、その枠組みに合わない苦しみはたびたび見過ごされてしまって、「自分なんて」と感じてしまいがちですし、この空気が、助けを求める声をさらに出しにくくしてしまっているのかもしれないなと改めてあなたの文章を読んで感じさせられました。
あなたの「なぜ死にたいのか」は、すぐに明確な答えが見つかるものではないかもしれません…。ただ、理由がはっきりしないこと自体おかしなことではなく、それでも生きづらさが存在している、という事実は確かなものであると私は受け止めたいと思いました。その死にたさや生きづらさの存在を否定せず、少しずつ言葉や形にしていける場がこの先もっと社会に増えてほしいですし、死にトリもその一つの場として在り続けたいと強く思いました。理由がなくても、辛いものは辛いし、死にたいものは死にたいもので、そう思ってしまうことをせめてあなた自身は自分の気持ちを否定しないでいてほしいな…と難しいことかもしれませんが、そう思ったということを伝えて感想とさせていただきます。また死にトリが必要に感じられた時はいつでも声を届けてください。

感想2

あなたの様子を見たり、実際にこれまでのことを詳しく聞いたわけではないので、「何故死にたいか?」という問いにはうまく答えられそうにありません。もしも、詳しく事情を知っていたとしても、そもそも「何故死にたいか?」ということには答えはないのかもしれません。強いていうと、こんなことがつらいからだとか、あんなに厳しい環境だからだ…など分かりやすく説明できることもあるかもしれませんが、「死にたい」という気持ちはそんなに単純ではないように思います。一つだけ確かなのは、理由なんかどうでもよくて、「死にたい」と思うにはそれなりのつらさや苦しさがあるということです。少なくとも、あなたの書いた経験談からはその苦しさは伝わってきましたし、明確な理由がわからないこともその苦しさの一つなのかなと私は思いました。
ここには苦しい気持ちを書いてくれましたが、普段のあなたはきっと明るく元気に周囲に迷惑かけたくない、心配をかけたくないと平気な姿を必死に見せているのかもしれないと想像しています。もしそうだとしたら、とてもつらく苦しいことだろうと思います。私は理由があってもなくても、苦しいときには苦しい、つらいときにはつらい、死にたい気持ちがあるときは死にたいと思ってもいいし、言ってもいいと思います。あなたはそうした自分の声をちゃんと受け止めていると思いましたし、リスカという方法で何とか苦しさを紛らわせようと自分なりに努力しているのだろうと思いました。
そうした自分なりの努力はきっと、その時に少しは効果があると思うのですが、根本的な苦しさへの対処ではないため、効果が続かないし、別の意味で苦しみが増すところもあります。でも、あなたは自分だけで抱えることをやめてこうして、死にトリに気持ちを届けてくれました。この行動には大きな意味があると私は思っています。
死にたいと思うのも、リスカをするのも、こうして気持ちを書いて送ってくれるのも、すべてはあなたが生きようとしているからだと思います。だからこそ苦しいのだろうと思うのです。リスカ以外に気持ちが少し楽になる方法として、あなたの「死にたい」を別の言葉にするとどうなるか考えてみるのはどうでしょうか。死にトリのこえサーチで何度かアンケートも取ったことがあり、いろいろな気持ちがそこには含まれています。苦しさの中身が少しでもより理解できるようになると苦しさがちょっとだけ軽くなることがあります。そして、その中身がわかったら(わからなくてもいいのですが)、また声を届けに来てください。いつでも待っています。

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