経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

泣きたい 泣けない

つらいことがあると、誰かに話すと少しは楽になると言いますが、話そうとすると涙がでるからなかなか話せません。
時々はどうしても話しているうちに、泣くつもりはないのに泣けてくることもあるけど、最初から話すと泣けてきそうだと思うと、なかなか言い出すこともできません。

昔、子どもの頃に親から暴言を受けて泣いていたら、気持ちが悪いから泣いてんじゃねえと言われ、その時は余計に涙が出ました。
今でも人前で泣くと気持ち悪いと思われるという恐怖があります。
安心して目の前で泣ける人もいないわけではないけど、そんな人にこんなことを話して、心配をかけたくないから話せないのでどうしたらいいのかわかりません。
私のことを何も知らない、私も相手が誰だか知らない人になら話せるのかな。それで気持ちは楽になるでしょうか。でも人の心をゴミ捨て場のように使うようで、なかなかそれもできません。
誰かに助けてほしいけど、本当に助けてくれる人には助けを求めることができません。
生きることはどうしてこんなにくるしいですか。

感想1

経験談の投稿ありがとうございました。話したいけど話せない思いが伝わって来たので、どのような話がしたいのだろう、どのような辛さを抱えているのだろう、助けて欲しいことはどのようなことだろうかと話を聞いてみたいと思い、今感想を書いています。

文章を読んで、親からの暴言を受けながら、更に上からねじ伏せるような言葉を浴びせられていた様子が書かれていたので、子どもの姿をした投稿者さんが、溢れてしまう涙を必死に抑えようとする姿が浮かんできて、勝手ながら胸が締め付けられるような感覚を感じました。(こちらで感じているだけなので負担ではありません)
涙を抑えられないのも当然だと思いますし、早く泣き止まないとという思いで、焦りや恐怖心を感じていたのではと想像し、なんとも言えない理不尽さを感じました。

子どもの頃は(大人でも自然なことだと思います)泣いて感情表現をすることは当然あっていいですし、近くにいる大人や親に、泣いている意味や理由を聞かれて、受止められたり理解されることは、自分は大丈夫なんだという自尊心も育まれるものと思います。
「人の心をゴミ捨て場のように使うようで」という言葉から、我慢することは美徳であるという考え方が刷り込まれて来たのかなと思いました。投稿者さんの申し訳なさが伝わって来たので、誰かに辛い話を話す事は一筋縄ではいかないかもしれませんが、私は誰かの辛さや苦しさを受け取った時、ゴミ捨て場のように使われたとは思ったことは無いなと振り返っても見当たらなかったです。

目の前で泣ける人の存在がいることや、こうやって生きる苦しさを死にトリに語ってくれたということは、「辛い思いを泣いて話したらいけない」という、しがらみが少し和らいでいるのかなとも感じました。また話してもいいかもと思った時は、死にトリに話に来て欲しいなと思っています。

感想2

泣くということ、それから人前で泣くということを我慢するために意識し続けないといけない経験があったのだと思いました。「気持ちが悪いから泣いてんじゃねえ」と言われるようなことがあったらそれも無理はないと思います。「人前で泣くべきじゃない」みたいな社会通念(?)もあるのかもしれません。

ちなみに私はいい歳の大人ですが、世の中的には相当泣く方だと思います。道路で歩きながら、電車に乗りながら、薬局で、職場で、いろいろなところで泣いてしまったことがあります。理由もとても様々です。それでも、一番多いのは一人の時に泣くことで、人前ではこれでも一応我慢しているんだな…と思うことがあります。単純にコントロールが苦手ということかもしれません。

「人の心をゴミ捨て場のように使うようで」という言葉が印象的でした。たしかに吐き出すとか、愚痴とかって、捨てるようなイメージがあるかもしれません。前に読んだ本で、大きくて絡みあった複雑な悩みになる前に、小さな、ちょっとした「愚痴」を言える方がいいと書いてあったのですが、あなたは暴言を受ける環境で育つなかで、愚痴も言えなかったり、言うべきではないと感じたりしたこともあったのかなぁと想像しました。
私は匿名の電話相談やSNS相談で、話をきいてもらったことも何度もあり、匿名だから気負わず話せるということはある気がしています。死にトリも、いわゆる相談とはまた違うサイトですが、匿名だから語れることはあるかもしれません。あなたの心が感じていることや、苦しさを、あなたは無視せずに、そっと触れようとしているから、こうやって言葉にしてみているのかな…と思いました。その中で、死にトリを見つけて、経験談を書いて送ってくれてありがとうございます。
「生きることはどうしてこんなにくるしいですか。」という最後の質問は、私は、苦しいやり方以外をなかなか教えてもらえない、ということがあるのではないかと思いました。私も手探りですが、くるしいのとは別のやり方を少しずつ自分に合う形で見つけたいと思っています。

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