浪人生です。頑張れない自分が嫌いです。そう思うなら頑張ればいいのに、すぐに「死にたい」と思って勉強から離れてしまいます。
父から人格否定をされる、両親の仲が悪く家の中がずっとピリピリしている、などの家庭環境がしんどくて、昔からずっと「死にたい」と思っていました。それでも中学生までは勉強をすごく頑張っていました。ですが、高校に入った頃から糸が切れたように頑張れなくなりました。勉強しないどころか、学校にも行かない。そんな私に対し母は、何がそんなにしんどいのかを聞きました。当時の私は家庭環境が一番辛かったため、そのことを正直に話しました。母は私の話を理解してくれ、私に「お父さんと離婚しようか?」と聞いてくれました。子どもの私が両親が離婚するかどうかを決めていいのだろうかと思いながらも、私は「離婚してほしい」と答えました。
そして、私が高校一年の秋に両親は離婚し、母と2人での生活がスタートしました。父から人格否定をされることも、母がイライラしていることも無くなりました。
ですが、私は学校を休みがちなままで勉強も頑張れませんでした。「このままじゃダメだ」と思うのですが「死にたい」と思って現実から逃げてしまうのです。辛さの原因だと思っていた家庭環境が改善されても、「死にたい」と思ってしまう自分に焦りも感じました。
結局、3年になる直前に高校を中退しました。
大学には行きたいと思っていたので、高卒認定を取って大学受験をしようと決めました。
高校を辞めてからは高校生の時よりも、心が軽くなっていました。それで初めのうちは「これからは頑張れるかも」と思ったのですが、再びメンタルの波に振り回されるようになりました。
机に向かっても、すぐに「死にたい」と思ってしまい、勉強から逃げてしまうのです。そんな自分が嫌でさらに死にたくなるという悪循環でした。
結果、高卒認定は取れたものの、その後受験した大学全て不合格でした。
高校を辞めてからもあまり勉強をしなかったのだから、当然の結果です。私は怠け続けていたのだと実感しました。
浪人させてもらえることになり、これまでの頑張れない自分と決別しようと、勉強を頑張っていました。ですが頑張れたのは初めだけで、だんだん朝起きられなくなり、勉強も頑張れなくなりました。「これじゃダメだ」と焦るものの、体は動きませんでした。
そして今、死にたいと思ってしまっています。またそうやって逃げようとする自分が嫌で嫌で仕方がなくて、変わるなら今しかないと思うのに、「死にたい」と思って机から離れてしまいます。
こんなにも強く「死にたい」と思うのに、どこかで「この死にたさは私が怠ける言い訳に使うために生み出したものなんじゃないか」とも思います。
受験に落ちた頃、母と「今度こそ頑張る」と約束しました。母は今も私が頑張っていると信じています。母に叱られるのが怖くて、私はこの死にたい気持ちを母に話せていません。
高校一年の頃から心療内科に通っていて、そこの先生にも「気分がひどく落ち込むことがある」とは話せていますが、この死にたさや頑張れないことについては話せていません。
「死にたい」と言い訳していることを叱られるのが怖くて、詳しいことは誰にも話せていません。ですが1人で抱えているのももう限界だなと感じます。頑張れない自分ももう嫌です。
志望する大学に行きたいという気持ちは強くあるのに、勉強が出来ない自分が本当に情けないです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死にたい。頑張れない。
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
文章に端々に姿を現す「頑張る」とは一体何なのだろうかと、あらためて考えてしまいました。
痛みすら伴うような切迫感や焦燥感がこちらにも伝わってくるようで、頑張ることをやめたいけれどやめられない、そんな葛藤もあるのかなと感じました。
父親から向けられる否定的な言葉も、両親の不和に巻き込まれることも、幼いあなたにとっては、逃げ場のないつらい状況だったと感じています。
「それでも中学生までは勉強をすごく頑張っていました」と書かれていましたが、どこかで「死にたい」と思う感情とバランスを取るかのように、勉強を頑張ることはあなた自身を支えるアイデンティティでもあったのかなと想像しました。
高校生になって突然糸が切れたように頑張れなくなったとのことでしたが、本来であればリラックスして過ごせるはずの家で、神経をすり減らしながら我慢に我慢を重ねていたことを思うと、無理もないことだと私は感じました。
生活が変わったあとも「死にたい」気持ちが湧き上がってくることは、戸惑いがこちらにも伝わってくるような思いで読みました。
本音を打ち明けられない今の状況は、とても孤独なのではないかと感じています。
私自身も「頑張らなきゃ」「やらなきゃ」と切迫感や焦燥感をエネルギー源にして駆動してしまうことが多々ありますが、振り返ってみると心身には相当な負荷がかかっているなと感じます。
自分を車に例えてみると、ガス欠で動かないのに、アクセルベタ踏みでエンジンを空吹かししながら「早く進んで・・!」と焦っているようなイメージが浮かびます。
なんなら、エネルギー不足で動けないのは当然なのに「自分がポンコツだから進まないんだ・・」と責めてしまったり・・
かといって「進まなくてもいいよ」「頑張らなくていいよ」と言われても、ハンドルから手を話せず・・
(私の心の内をつらつらと綴ってしまいました、すみません)
社会の中に「頑張る」を置いてみると、何かしらの結果や成果の前提として語られることも多いように感じています。それはなかなかに苦しく、成果主義が個々人の中にも内面化していることを感じます。
これだけのしんどさを前にして、私には、あなたの「死にたい」が言い訳とはとても思えませんでした。
母親に叱られるのが怖いとも書かれていましたが、今回は書かれていなかった母親との関係についても聞いてみたい気持ちになりました。
一人で抱え続けることの限界も語られていましたが、こうして気持ちを吐き出す時間とともに、あなたの中で何が起こっているのか、一緒に考えてみたいなと思いました。
またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
あなたは十分に頑張ってきたと思いましたし、これまでの頑張りに対して引け目を感じることはないと私は思いました。私は人が目標をもって頑張り続けるためには、「頑張るための土台」が必要だと思っています。
あなたの勇気ある意思表示によって、母に気持ちが伝わり、そのことで離婚を決断できたのだろうと思いました。あなたの意思と後押しが母を動かしたと感じました。そして、両親が離婚し、父からの人格否定がなくなり、家のピリピリした空気から逃れることができ、一見安心や自由が手に入れられたように感じますが、それまでの間に蓄積したダメージが相当にあったのだろうと思います。つまり、物理的に暴力や不安、緊張状況から逃れられても、あなたの心の中に安心安全の感覚の蓄え(これが「頑張るための土台」だと思っています)がほとんどなく、いざ頑張ろうと思っても、心身がついていかなかったのだろうと思います。家庭環境のしんどさで、ずっと「死にたい」と思うほどだったのですから、無理はないと思います。
あなたは自分自身を強く責めていますが、あなたの努力不足や逃げということはないと私は声を大にして言いたいです。むしろ、頑張りすぎているぐらいで、もう少し休息したり、ゆっくりのペースでもいいのではないかと思うほどです。あなたがこんなに傷ついてボロボロになりながらも、さらに自分はダメだ、もっと頑張らなくてはと焦ってしまうのは、私たち大人に責任があります。まずは子どもに心身の安全を保障していく必要がありますが、残念ながら様々な暴力や不安や恐怖に晒される子どもはたくさんいます。また、あなたのように子どもの頃に不運にも心にダメージを受けることがあったらケアされる仕組みが必要ですし、「頑張るための土台」である安心安全の感覚が十分にあるか気づく必要があります。ただ、ケアの体制は十分でなく、「がんばるための土台」について理解をすることは簡単ではありません。おそらく、あなたもそうだと思うのですが、心の中はつらくてしんどくて、死にたい気持ちでも、大人の前では無理をしてでも明るく元気にふるまい、大丈夫そうに見せる子どもはたくさんいると思うからです。また、問題行動という形でSOSを表現する子どももいます。大人はそうした子どもの大丈夫なふりやひそかなSOSに気づかず、頑張っていると評価をします。その評価が子どもをさらに追い詰め、本当は頑張れないし、もはやボロボロでも、まだまだ頑張らなければならないと苦しめていくことになると思います。
ただ、あなたは今回、こうして明確にSOSを出してくれました。死にたいほど苦しい気持ちがあり、自分が情けない気持ち、どうしても頑張ることができない追い詰められた状況を書いてくれました。それがあなたの底力だと私は思いました。焦る気持ちはたくさんあるかもしれませんが、第三者的な立場の私が伝えたいのは、あなたはたくさん傷ついてきたのに、十分頑張ってきました。どうかあなたのペースでこの先を歩んでいけますように…周囲の大人もそれを理解してくれますように…ということです。
これからも、気持ちを書きたくなったらまたいつでも書いてみてください。そして、身近な人にも少しずつ気持ちを伝えられることを願っています。