経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

今までの人生って何だったんだろう?

50年、自分はこれまで必死に生きてきたつもりです。結婚もせず、病気の父親、その介護をする母親、そして引きこもりの長男の為。なのに何でこの仕打ち?なんだろうと。これまでの人生、谷しか無かったなと。他にも世の中もっとたくさん苦しい方がたくさんいらっしゃるのはわかっています。

自分の家庭は、男5人の兄弟、そして両親の7人家族で育ちました。とても貧乏でした。食べるものも食べれず、着るもののほとんどがお下がりで欲しいものは買ってもらった記憶はありません。

小さい頃から兄弟が多いという貧乏とそのコンプレックスを糧に大学に入り、学費もすべて自分で稼ぎ大学を出て、それなりね企業に就職して約30年近く掛けて管理職となりそれなりの地位と収入を得ることが出来ました。

大学を出て就職し数年が経った時、父が脳梗塞で倒れ、暫くは実家の家のローンの援助をしていましたが、それも長くは続きませんでした。

2男、3男は早々に家を出ていました。その時点で父が家を建てて10年も経過していない状況でした。そこには、高校を卒業したばかりの弟とそれでも引きこもっている長男がいました。働けない父は破産し、実家は無くなりました。

そかららやっと働き出した長男が両親の年金を頼りに住まいを見つけ、何とか生活をしている状況でした。それでも両親の生活はきつく、自分は経済的な援助、長男は父の面倒をみる事はなく、母が父の介護、2男が自分の休みには母を気晴らしに連れて行くという生活が20年続きました。

母が3年前急逝し、後を追うように父も亡くなりました。その家に残ったのは長男だけになりました。60歳にもなって自炊も出来ない長男です。それでも母が長男の面倒をよろしくと言われるように長男の自宅近くの営業所への異動が決まったりしました。もう面倒を見る義務が無いと思っていたところ、すでに長男は初期の高齢者です。正社員でもない長男は次の契約で入居を断られるかもしれません。肉親と言えるのは兄弟だけで3男は10年前に他界しています。

自分は糖尿病で、それまでは痛くも痒くもないという状況が自分を甘えさせていました。気づくのが遅すぎました。今、身体の状態はあまり芳しくありません。そんな中、最近会社で上職への異動が決まりました。しかし、身体への今までのツケを払わなくてはならない状態となり、入院を経て病気を理由に一般職へ降格処分となりました。

この自分とは意に反する降格で30年間築いたキャリアが一瞬にして崩壊した事へのショックが大きくとても言葉では言い表せません。お前は用無しと判断された自分が死ぬほど情け無いという落ち込みと同時に現実がそこに叩きつけられていました。

今後は経済的に今まで通りにはいきません。破産するしか無いんです。長男の問題も有ります。そして自分には糖尿病が有ります。合併症にならないようにしなければならない事はわかっています。自分が悪い事もわかっています。

2週間前にはとうとう、うつ病とも診断されてしまいました。更に生活習慣は悪化しています。糖尿病の合併症がどんどん進んでいる事を実感しています。でも、身体がうつ病の影響で思うように動きません。今は借りている部屋を出るしかなくなる為、片付けようと動いていますがなかなか進みません。

うつ病で会社を休んでいます。会社に復帰しても今まで通りに受け入れしてもらえないと思っています。助けてくれる兄弟もいません。それぞれの生活が手一杯だからです。

毎日、毎日死ぬ事しか考えられなくなって来ていて、もう頭がおかしくなっています。糖尿病で透析、失明、下肢切断、脳梗塞、心筋梗塞の未来が近づいている恐怖にどう打ち勝てますか?もう未来は絶望と暗闇しか見えないのです。今まで自分は打たれ強いと思っていましたがこんなにも弱くてどうしようもない人間なんだと。

感想1

目の前にある困難を避けずにとても誠実に生きてきた姿が目に浮かびました。そして、その誠実さは最後の一文にも表れていると感じました。あなたは「弱くてどうしようもない人間」だと表現していますが、私は自分の弱さに気づける人は本当の意味で強いと思っています。弱いことはどうしようもないのではなく、そもそも人間は弱い存在であり、だからこそお互いに支えあい、頼りあって生きていくことが必要であることを意味すると思っています。そのことをあなたも身をもって経験しています。実家で困ったことがあるたびに、責任感をもって支えてきた様子が繰り返し書かれていました。ご自身も「もう面倒を見る義務が無い」と思いつつも、支え続けています。おそらく、自分の余力や立場を考えて、そうすべきだと思ったのではないかと推測します。会社でも周囲から頼られ、職場でも部下や同僚のため、会社のために力を発揮したことも多かったと思います。私は自分ができるときに周囲の力になることをある種の蓄えだと思っています。お金ではないですが、信頼や社会貢献の貯金と言ってもいいのかもしれません。支えているときには相手のためという意識が強いかもしれませんが、自分のためであると私は思っています。支えているときには自分が力を発揮する機会となり、やりがいや有用感など価値を言い出すことがあります。そして、その蓄えは、自分が何かしらの支えが必要となったときに使えるものだと思っています。直接自分が支えた相手から戻ってくるわけではなく、余力のある者が誰かを支え、弱ったときには誰かに支えられ、相互の支えが無数に行き交うことによって、私たちの社会は成り立っているのだろうと思うのです。だから、今のあなたは弱くてどうしようもないのではなく、これまで誰かを支えることで自ら蓄えてきた支えの徳を使ってもいい時なのではないかと思いました。そう言われても、子ども時代の貧困から這い上がり、その後も苦しいことがあっても自らを奮い立たせて何とか乗り切ってきただろうことを考えると、今の状態はマイナスにしか感じられなく、誰かから支えられる存在であることを受け入れることが難しいかもしれません。
ただ、私はもう少し広い視野で考えるとこの世の中に誰にも支えられずに生きている人はいないと思っています。支える場面が多い人であっても、日常の中の必要な物資やサービスは無数の私たちが直接知らない人たちに支えられていますし、人だけではなく自然の力の恩恵もたくさん受けています。人はだれしもとても弱く、いろいろなものに頼らないと生きていけない存在だと思います。今、誰かに支えられたとしても、これまで努力してきたあなたの人生の積み重ねや実績が色あせることはないと私は思いました。たくさんの苦労を知っているあなたが、自分の弱さに気づいたとしたら、これまでとは別の意味の強さを手に入れるチャンスが来たのだと私は思っています。そして、誰かを直接支えることだけが社会貢献ではなく、環境のことを考えたり、ちょっとした心遣いなど自分の日々の暮らしの中でできることはたくさんあって、それらに多くの人たちが目を向けることで誰もが生きやすい社会につながると考えると、特別に強い人もいなければ弱い人もいないのかもしれない…あなたの経験談から、そんなことを考えました。

感想2

タイトルの通り、まさしくあなたの「人生」を辿るような気持ちで読ませていただきました。小さいころから家の窮状を否応なしに味わい、そのコンプレックスを糧に進路を切り開いてきた様子がうかがえました。そしてあなたが意識せずとも、気づいたときには家族を「助ける」「支える」ことが人生や判断のベースになっていたのではないかなと想像しました。当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、私は年代的にも性格的にも「家族は助けるもの」という価値観が薄いほうなので、あなたの家族への「姿勢」がなおさら印象的に映りました。
家族に対して支え続けてきた分、あなた自身のこと(健康や生活など)を省みる余裕はなかなか持てなかったのでしょうか…。その時々のあなたにとっては仕事をすることも家族を援助することも「目の前のことを必死にやる」という点では大差なく、全部ひっくるめて「あなた」としての必死の人生だったのだろうなと感じています。そもそも1つの会社で30年というキャリアを積み重ねること自体、難しいことや大変なことが山ほどあったのだろうなと想像しています。だからこそ仕事はあなたの生活の中心として、アイデンティティとして機能してきたところもあったかと思うので、病気という形での降格はそれを奪われるような喪失感が強いのかなとイメージしました。

あなたの人生と今の心境を想像したとき、私の中に浮かんできたのは「報われる」という言葉でした。一般には「努力すれば報われる」と表現される気がしていて、苦しいときほどそう信じたいところがあるなと私は思います(はっきりと自覚していない場合もありそうですが)。「こんなに弱くてどうしようもない」とご自身を形容しているのを読んで、今の絶望感はあなたが弱い(打たれ弱い)から生じているのではなく、自分でコントロールしきれない要因や環境に対して抗いきれない、これまで積み重ねた必死さでは打ち勝てないということに対してどうしようもない報われなさ、失望を感じているといえるのではないかと感じました。同時に、「報われる」(という言葉があなたにとってしっくりくるかはわかりませんが)ってなんだろう、とも考えました。私が思うのは「安心できる」「大丈夫と思える」「自分のために何かできる」というようなイメージなのですが、あなたがそれらを得られる、心を休められる機会があったのかと思うと、なかなか難しかったのではと感じ、労いの気持ちを伝えたくなった私がいます。
「これから」が予見できないとき、不安なときには、「これまで」を材料に将来を想像・仮定するほかなく、その仮定の中で「これまで」を糧に「これから」を越えていけそうにない、と感じたときに人は絶望するのかもしれない、と思いました。それはある意味で、「これまで」の箱の中にない選択肢が必要になっているタイミングでもあるのかもしれません。

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