経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

失敗作の私

私には後悔してる事があります。
それは高校生の時、親友が手を振りながら呼んでくれたのに無視してしまったこと。
中学2年から不登校となり、そのまま卒業した私はその負目と恥ずかしさから同級生に会うのが恐くてその声に応える事ができませんでした。
未だにその光景がフラッシュバックし、後悔しては自分を殺したくなります。
ほんと勝手ですよね。相手の気持ちなんて考えてない。
一度、大学に進学するタイミングでどうしても気持ちが抑えきれず謝罪の手紙を出したのですが、今思えば随分と自己中心的な文章を書いたと思います。
自分勝手で自己満足で、大事な親友を失ってしまいました。
不登校の原因は今考えても説明できませんが、ただ一つ言えることは当時の私には相談できる相手も居場所もなかったということです。
本当は通いたかった。
通っていれば、友達と今も交流があったかもしれない。
人生だってもっと上手くいっていたかもしれない。
不登校のせいで同窓会も成人式にも参加できなかった。
本当は参加したかった。それなのに参加できなくて悔しかった。哀しかった。苦しかった。
この気持ちを打ち明けたら、親に『おまえが選んだ道だ』とに言われ、それからは誰に言わずにいますが苦しくて息が詰まりそうになる。
どうしようもない。永遠にこの苦しみから逃れられないかと思うと死にたくなる。
そんな状態で大学に進学した私でしたが、周囲との関係がうまく構築できずにうつ病となり中退してしまいました。
カウンセラーにも通いましたが、あまりに『中学に戻りたい』としか言わないからまともに話を取り合ってくれないようになり、いつしか他人とも社会とも関わることを辞めて、ずっと引きこもるようになりました。
そのため当時の記憶はほとんどありません。
だけど、そんな私にも転機が訪れました。
今から3年前に運命を変える出会いがあり、そこからバイトやボランティア、車の免許取得などにもチャレンジし、いつしか友達ができ心の底から笑って話せるようになった。自分に自信が少し持てるようになり、人生で初めて充実していると実感する日々を送っていました。
それが、今年に入ってバイト先での人間関係が原因で体調を崩し、誰にも相談することなく逃げるように辞めてしまいました。
変わった、変われたと思ったのにまた同じことを繰り返しで正直自分に対して失望しました。
焦燥感から資格を取ったり、面接を受けたりしましたが心と体がついて来ず、結局最後までやり切ることが出来ないことが続き、最近もやっとバイトが受かり働き始めましたが、1日で投げ出してしまいました。
周りはみんないい人。前職で勤めていた職種ということもあり即戦力と期待してくれていました。
それなのに辞めてしまった。
年齢を訊かれるたびに嫌になる。訊かないで欲しい。
自分はこれまで普通の人が経験しているような事をほとんど経験してこなかった。
だから年相応になれない自分が恥ずかしくて、求められるのが恐くて逃げ出してしまう。
せめて20歳でもいいから戻りたい。
でも、思い出してみると20歳の時は中学の頃に戻りたいと思っていた。
10年も経てばきっと、いや絶対に今この瞬間でもいいから戻りたいと思ってる。
一体、何度繰り返せば済むのだろう。
劣等感と恐怖心、プライドなんかをきれいさっぱり捨て去りたい。
普通になりたいのになれない苦しさ。
誰にも理解されない。理解してほしくもない。
いつだってチャンスはあったのに、それを見ようとせずに現実逃避してズルズルやって来た自分が憎い。
いつまでも人生がうまくいかない理由を過去に求めてる自分が大嫌い。
こんな自分は誰にも受け入れられない、愛されない、認めてもらえないダメ人間。
今は光が見えない。消えてしまいたい。

感想1

とても強い後悔と自分への否定感情を思い切り書いてくれたように思いました。これらの思いをこれまでずっと一人で抱えていたと想像すると、本当に苦しかっただろうと思います。こうして、書き出して誰かに読んでもらいたいと思って送ったことは勇気ある一歩であると感じました。そして、あなたの苦しみの背景にある「普通」というものに思いを巡らせています。
本当は行きたかった学校に理由も分からず、誰にも相談できず行けなくなってしまったことは本当にしんどいことだったと思います。理由がわからないもどかしさ、行きたいと思っているのに行動できないこと、そして周囲からのまなざしも必ずしも理解があるわけでもないのではないかと思うと、中学生という年齢で一人で抱えるには大きな悩みだったと思います。だからこそ、その後もその苦しみが続き、いつまでも忘れられずにいることも無理もないことだろうと思います。そのような中で、成人式に行けなかったときに親から言われた一言は大きなダメージとなったことは想像に難くありません。私は「あなたが選んだ道」ではないと思いました。強いて言うのなら、選ばざるを得なかった道ではあるとは思いますが、あなたが選択したものではなく、当時のあなたにはその道しかなかったのだろうと思いますし、子どものあなたの味方になって一緒に考える人がいたり、学校に行けなくても別の出会いがあれば、失われなかったこともあるのではないかと悔しい気持ちになります。
そのようにあなたなりに真剣に生きてきたことはリスペクトされるべきであり、「普通」ではないからといって否定されるものではないと私は思います。ただ、社会的には不登校はある種の挫折と捉えられることが多いですし、努力や忍耐が足りないと思われることもあります。学校に行くことが普通で、行けなかったことは普通ではないと理解されることがあるように思います。経験談を読み、私が思ったのはあなたは他の人より感じる力が強いのではないかということです。不安や緊張も強く、とっさに動くことは苦手でゆっくりじっくり考えるタイプなのかなということです。感じることがたくさんあり、不安や緊張が強ければ、学校はとても刺激がたくさんあるところなので、何か特別な出来事がなくても、日々の学校生活で知らないうちに負荷が蓄積し、動けなくなることも無理のないことだろうと思いました。その後のいろいろなエピソードでもあなたがいろいろなことをたくさん考えているけれど、行動に移すことが難しかったり、対人関係や新しい環境で負荷がかかりやすいことがうかがわれました。あなたにとっては、そうしたところが普通じゃないから嫌になるということなのかもしれません。でも、少なくともあなたの努力不足ではないし、選んだ道でもないことは明白であると思いました。
振り返って、あなた自身は「いつだってチャンスはあった」と思うかもしれませんが、私にはそんなにチャンスがあったようには思えませんでした。限られたチャンスの中でもがいてきた姿が想像されます。しかし、こうして自分を振り返り、一人で抱えていた苦しさを表現して届けた今は大きなチャンスではないかと私は思います。これまでと違って、一人きりで抱え込むことをやめたからです。何がチャンスなのかは一人ひとり違うと私は思います。しかし、どんなチャンスでもあるいはピンチにおいても普遍的なことは、一人きりでは力を発揮しきれないということです。今回の経験談には書いていませんでしたが、環境が合っているところで生き生きとしているあなたの姿もあるのだろうと思いましたし、理解してくれている人見守っている人もいるのではないかと感じました。あなたが無理をせず、自分のペースやスタイルに合った道を見つけることを願っています。そして、他の人より感じることが多い人やペースがゆっくりな人、苦手なことがある人、過去のつらい体験に苦しめられている人など、生きることにちょっとした不器用さや不具合がある人が自分を責めずに生きられる寛容な社会になってほしいと願いつつ、そのために何ができるか考え続けたいと思いました。

感想2

最後のほうに書いてくださっていた「こんな自分は誰にも受け入れてもらえない」という言葉について思いを巡らせながら、感想を書いています。そこから改めて経験談を読ませていただくと、「人(社会)とつながること」の難しさについてずっと悩み、向き合い、苦悩してきた日々を過ごしてきたのかなと感じられました。自分に対するやりきれなさ、思ったようにいかないもどかしさを、まずは何より受け止めたいと思いました。

高校時代の出来事が深い後悔となって残っているからこそ、人とうまく関係を築けない時、思うようにコミュニケーションが取れない時には「自分(の選択)が良くないのだ」と自責の念があなたを襲い、期待の気持ちが失望に転じてしまうのかな…と想像しています。あなたがバイトやボランティアなど活動したり、自信を持てたりしたことは決して今も「無くなった」わけではないのだと私は思います。人間関係に悩んでバイトを辞めたことも「そこに離れたい(離れた方が自分が穏やかでいられる)要因があったから離れただけ」ともいえそうですが、あなたにとっては「せっかくのチャンスを自ら手放した」という感覚のほうが強いのかなと思いました。一方、カウンセリングで「中学に戻りたい」と訴え続けたエピソードが印象的で、一般に「できたことを数えよう」とか「あるものを見よう」とか言うことがあるけれど、そもそも自分に自信が持てない状態でいるときには、「あるものよりもないもの」「できていることよりできていないこと」にしか目は向けられないよなあ…とぐるぐる考えています。なので、仮に今からではどうにもならないことでも、出来ていた時期があっても、悔やまずにはいられないという点で、私個人の解釈として勝手ながらに共感しましたし、「過去に理由を求める」こともある意味すごく自然だと私は思いました(それだけあなたにとって「得たいもの」が明確だというふうにも言えるのかなと感じました)。

最初の親友に出した手紙の話で、あなたは自分のことを「自分勝手で自己満足」だと表現していました。あくまで私の考えにはなりますが、自分なりの意思の伝え方や表現の仕方、コミュニケーションや人間関係の築き方を表出することも、悪く言えば「自分勝手で自己満足」だと言える気がしていて、もし自分勝手だとしてもそれを一度誰かに渡してみて、受け入れてもらう経験をしていくことが、自信に繋がるのかなと感じています。あなたが少し自信を持てたタイミングとも、少なからず重なるような…。私自身、「普通」がなんなのかはいまだに掴めていないですし、自分を相手や社会が望む形に変形させられることが良いのかどうかも難しいところですが、今回経験談という形であなたの言葉を置いてもらったことも、「人(社会)とつながること」の1つだと思いました。

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