経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

今でも思う。

小さな失敗や経験から死にたいなって思う。例えば、一年前、大好きだった彼に振られ、しまいには「しつこい。」私が悪いんだ、私のせいで迷惑かけちゃった。とネガティブな考えになり、自分を嫌いになる。友達に死にたいって言ったら「生きて」って言われる。そう言ってくれて嬉しくなる人が多いかもしれない。でも私はその一言が重荷になる。生きてって言われて生きたら生きたで辛い。私は死にたいけど死ぬのが怖い。でも死にたい。それは、多分、1人になる時間がほしい。怖いよ。時が進むのは。未来で自分がなにをしているのか分からないから尚更怖い。何度も泣いた。何度も心は壊れた。でもどんなことがあっても生きたいんだなって心が落ち着いている今ではそう思う。

感想1

どんなに小さく見えることでも、その人にとっては大きな傷になることがあって、同じことでもまったく気に留めない人もいるし、人間の傷というのは本当に多様で複雑だなと思います。目に見えないから人には分からないし、癒すのにも時間や環境の変化が必要だし、厄介なもんだと思います。
一人になる時間を求めていらっしゃるのも、自分で自分を癒そうと模索しているのかなと思いました。まずは癒す時間が必要だよなと感じました。時間が経てば変わることもあるし、絶望的に見えることでも、違う角度で眺めてみればむしろいい経験だったりもすることもあるし、いずれそうなればいいなと思いました。私も傷つくことが多々あります。自分の癒し方を考えてみようかなとこの文章を読んで考えました。あなたにも少しでも癒す時間が見つかると良いなと願っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。「しつこい」と「生きて」は時間としては過去でも、あなたにとってはその後ずっとリフレインし続けてきた言葉なのかなと思いました。
「生きて」という言葉は、重たいと私も感じます。個人的には、それが相手への思いから発せられた言葉だとしても、しんどい感じがします。あなたの投稿を読んでなんでだろうなぁと考えていました。
「死にたい」と思ってるのが日常で、その中には「生きたい」も、ほかのさまざまな思いもあるけれど、その中で「生きて」と言われると「生きる」以外のゆらゆらしている私の心が含まれていない言葉に感じるのかもなぁと思いました。
私はどちらかというと忘れっぽいのですが、あなたは言葉をよく覚えている人なのかなと思いました。そうだったら、その言葉にその時々のあなたの心が引っ張られて、重たくなることもあるのかなぁと思いました。
「心が落ち着いている今」に投稿してくれたということですが、いろいろな「今」があなたの日々にもあるのだと思います。私はちょっと前の自分のこともすぐに忘れてしまいますが、そういう今の積み重なりの中に時があり、世界があることを不思議に思います。その中であなたはあなたが感じたことの中から、あなたの思いをつかもうとしているようにも感じました。

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