幼い頃から、誰かの中心に置いてもらえることがなかった。
名前は漫画のキャラクターから。
与えられたものは流行りや人気の物ではなく親が価値があると判断したものだけ。
土日は親が行きたい遊びに連れて行かれて、私が行きたい場所を言っても聞いて貰ったことはなく、与えられる選択肢が少なかったため答えは親の好みの範疇。
母が癌で入院してからは祖父母に預けられたが、飼われていた犬より愛情を注がれた経験はなく、父からは母が私に会いたがっていないだの、会いたくならないの?だのと矛盾ばかり言われ、ヒスを起こしたら物を投げつけられる母に会いたいわけもなく、母がなくなった後の葬式終わりに父から「お前のせいでお母さんは死んだ」と言われてしまい父への信頼も血の底。そもそも高ストレス環境で記憶力が持たずにいたのに完全に鬱へ突入したのだろうが小学生低学年一人で精神科に行けるわけもなく祖父母に預けられた引っ越し先の方言にも馴染めず友人無し状態でそもそも大人に対する信頼も無いので教師に相談することもなく、まともな家として取り繕って嘘で誤魔化しながら友人を得るも遊びがわからず、親達の財布から盗んだ金で駄菓子を買い与える事で人を集めるだけの安い関係を築き、バレてないわけもなかろうに咜られることもなくイヤぁ本当に都合の悪い私いらないんだなと諦め、唯一好きだった父方の祖母も高校時代に他界、誰も好きでなく幸せにしたいわけでもなくなってしまった私は即物的な娯楽に逃げ続け将来の夢も父の理想でないということで否定され諦めてしまいもうなんかただ生きてるだけ。高校時代に出来た少ない友人らが恋愛して結婚しだした今になってあの時にさっさと死んでればよかったなと幸せだった一瞬の青春を思い返すのでした。あーあ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ペットに負けた子供
感想2
親御さんの価値観や考えの中で生きることを強いられ、自分の価値基準や絶対とできる自分軸を持てずに、今もなお自身がわからないような中を歩いておられるような苦しさを文章を読ませていただいて想像していました。
(差異は当然あれど)どこか私自身の生きてきたこれまでや、親から受けた影響や関係性的に似ているものもあり、自分と重なる部分も感じていたところです。
幼少期という本来たくさんのものを享受することができる時期に、親御さんの意思や価値観ばかりが尊重され投稿者さんの気持ちや考えを蔑ろにされる日々はとても辛いものであっただろうなと思えました。それは、タイトルや「飼われていた犬より愛情を注がれた経験はなく」ともあるように、無条件に愛情を注いでもらえる存在に自分はなれないんだと突きつけられるような感覚をおぼえてしまうような気がしますし、比べるのもおかしいかもしれませんがどこか羨んでしまうような感情も湧いてきそうな気がしました。
そういった「自分を中心にしてもらえる時期」がない状態で育っていく状況が続いてしまうと、絶えず別の誰かや何かを優先、あるいは軸にしてしまって、何かを成り立たせることが先にきてしまい自分の気持ちや考えは二の次三の次となって、周りよりも早く大人にならざるを得ないことに繋がってしまうように(私自身の経験を含め)思います。それらのことが「安い関係」とあるように、歪な人間関係の構築の仕方や人との関わり方として投稿者さんの場合はあらわれていたのかなと私には思えました。。。
生まれてから生きていく中でその時々にしか享受できないものはある気がしますし、それは後になったらもう受け取れないかもしれないし、満たすことも中々難しいものなのかもしれません。ですが、「高校時代に出来た少ない友人」の方たちやその人たちとの青春などは、紛れもなく投稿者さん自身が作ったものに私には思えますし、それとは別の「本当に大切な何か」がまた見つかるようなこれからであってほしいなと勝手ながらに願いたくなりました。投稿ありがとうございました。
感想1
あーあ。の後にどんな言葉が続くんだろう…いやもう何も言葉にならないのかな…最後のため息のひと言が印象に残りました。幼い頃から誰かの中心に置いてもらえることがなかったと書いてありました。この言葉は、“私の意思とか感情をちゃんときいてもらったことがない”“私は尊重してもらったことがない”という意味だと私は理解しました。親が決めたこと、親が行きたい場所、親が希望する姿…という具合に、いくら小さくたってあなたの人生のはずなのにあなたを主語に置いてもらえなかったのではないでしょうか。感情的だったり、否定的だったりする親の前ではあなたも自分を出せなかった(出すことを諦めていた?)のかも…。
でも今回投稿してくれた文章にはあなたが長年抱えてきた違和感がたくさん書かれていて、ずっとあなたの感情も意思もあなたの中に確かにあったことがとても伝わってきました。
これからはこの投稿文でかいてくれたように、私が主語で話す機会をつくりながら、誰かの中心よりもまずはあなたの中心にあなたを置いて欲しいって私は思いました。