近頃感じる無価値観は本当に身を引き裂く思いです。一生懸命に頑張って、やっと手にした幸せだってボロボロに崩れ落ちてゆく。ただ、確かな真摯な愛に埋もれたかった。返事が遅くなると、途端に信じられない。薬を飲んだり、趣味をしたり、瞑想をしたり…それでもやっぱり信じられなくなって消えたくなって、音信不通にしてしまう。誰かの通り過ぎていく幸せを見せつけられて、私はぼろぼろになってまで与えても貰われないし、本当はこっちが欲しくても上手く貰えない。人生で死にたいことは何度もあったけど…体を重ねて紛らわせていた。今はそれが出来なくなって、心のバランスも自信も崩れた。
昔は好かれたいだなんてわざわざ思わなかった。ほとんどこの心は同棲相手に壊されたと思ってる…。人生での大切な決め事も嘘をつかれ、常識もない。それなのに、私は逃げられない…。私は私じゃなくなったし、いつも罪悪感など自責の念にかられてる。
なりたくなかった、絶対にああはなりたくないと思ってた母にも似てきたことも毎日の苦痛に拍車をかけている。
希望はチラついてくるんです、頑張ったら一瞬だけ。ただそれだけ。また引きずり落とされ、繰り返しの退屈な空虚な日常になる。私は最低人間でしょうか?誰からも愛される価値のない、つまらない人間でしょうか?被害者の気持ちにならないようにってのも、分かってるんです。だってその世界を見続けてしまうから…なのに、本当にダメにしてしまうんです。うずくまって2、3時間、いやもっと泣き続けてます。苦しい…、本気で助けて欲しい。
自罰をすると、少し楽になります。自分の頬を叩いて、お腹を殴り、噛みつき…体の苦痛で精神の苦痛を見ないふりします。怖いです。また明日が来る…、布団から出られない。ずっと寝てたい。病院に行けと言われても、持続的な金銭問題もある。…昔は恋愛だけが心の支えでした。試してみたけど、自分で自分を満たせない。
ただ本当に小さな一筋の光があるとすれば文章を書いている時だけは心が落ち着き、心がしばらく逃れられます。
このように長い文を書いてしまったのも、現状落ち着かないからです…。何度もやらかしてしまうと、もういっそ何もしない方がいいんだなって気になります。自尊心もぼろぼろです。明日光があったとしても…起きるのも、それを掴んで持続し続けることが苦しいから、消えたい。いっそ消えてしまいたい。このような文を読んでくれてありがとうございます。最後に誰かに深く愛し合えるのなら…どんなに幸せで素敵だろう?
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
確かな愛が欲しい
感想2
冒頭に書いていた「無価値観」について考えてみました。自分が自分ではない感じなのか、自分が何者かわからなくなる感覚なのか、それとも自分には価値がないという感覚なの、いずれにしても自分に対して何かしらの確かなものをつかみたいような願いが込められているのかなと思いました。しばしば、自己有用感とか自己肯定感がある方がよいと思われがちですが、私は積極的な肯定感までは要らないのではないかと思います。過剰な自己否定さえ避けることができれば、ほどほどだったり、時々認められないダメなところがある自分でもいいと思います。
自分を過剰に責めたり、否定したりしないためには、そのままの自分をとりあえず受け止められた経験が必要だろうと私は思っています。おそらく、あなたは幼い頃からそうした経験が少なく(あるいはなく)、逆に否定されたり、条件付きで認められるような経験が多かったのかもしれません。そうした経験は心の深いところで誰かに受け止められたい、同時に自分を受け止めたいという強い渇望感をつくりだし、その渇望感が恋愛を強烈に求めていったように感じています。
ただ、現実としての恋愛は欲望や打算などが大いに含まれたものだと思います。求めている無条件の承認が得られるより、相手の都合に振り回されたり、搾取されたりすることも多くあります。時々、麻薬のような強烈な存在価値が得られる瞬間があるとしても、長続きせずさらに強い刺激を求めてしまうことも多いように思います。また、あなたも経験しているように思いましたが、強い渇望感は恋愛を前にして自分の感情を激しく揺さぶったり、自分の望まない行動を起こしたりと、制御不能な感情や思考、行動を引き出します。求めるものが得られないばかりか、さらに失望や無力感を重ねることもあるのではないかと思います。そんなことが続いているとしたら、もう死んでしまいたいと繰り返し思うことも、疲れ果ててぼろぼろになることも無理もないと思いました。そのような中でも、自分なりに生存戦略を駆使し、ここまで生き抜いてきたことは明確な事実であり、あなたの存在の強さだと私は思っています。
文章を書いている時は心が落ち着くとありました。あなたの心が解放されること、自分をそのまま表現することとを求めているのだろうと感じました。文章だけではなく、あなたが自分をそのまま表現し、それを誰かが受け止める機会が増えることを願っています。死にトリはそうした表現の機会としてありますので、また必要な時にはあなたをそのまま表現してもらえたらと思います。
感想1
最初にこの経験談を読ませてもらった時、まずぼんやりと全体のことばの並びを眺めていて、ことばの密度というか、ぎゅうっと凝縮された強さみたいなものを感じました。それから1行1行読んでみて、ああ、ずっとあなたは頑張って、取り組んで、崩れそうになりながら、崩れ落ちながらも、ここまで生きてきたんだなぁと感じました。率直に連ねられた言葉が、あなたの苦しみの輪郭をなぞろうとしているようで、なんだか引きつけられながら読みました。
あなたにとって愛はとても大事なキーワードなのだと思います。読んでいて、他者からの揺るがない肯定……みたいなものなのかなぁと思いました。あるいは、もっと根本的な、だけど不明確な、安全だと思える居場所であるとか、「確かな愛」というか「愛されているという確信」あるいは自分がいても大丈夫だという確信…ということなのかなぁと思いをめぐらせています。もし、そうじゃなくて、もっとこういうニュアンスがある……というようなことがあれば、よければ聞かせてください。
私にとっても「愛」はそれがどのようなものかわからないながらも、大事なものであるという感覚があります。(私の周りにはそうではないという人もいて、人それぞれなんだなぁと思うことがあります。)
私の中で重要な「愛」は、人間相手…というよりも、どちらかというと、地球とか世界からの/に対する愛だと思っています。地球とか世界とかの中には、当然人間も含まれます。別の言い方をすると、世界とつながっている感覚…みたいな感じかもしれません。個人的にはこれがあると安定するし、これがわからなくなる時は死にたさが爆増します。いきなりぶっ飛んだ話をして、ぎょっとされたらごめんなさい。愛といっても、それぞれのイメージするものは少しずつ違うのかもなぁと思ったので、書いてみました。
私は個別の恋愛関係などでは、愛があるかないかはさておき、依存的な関係になってしまうことも多かったので、うまく距離を保てないという感覚があります。依存は依存対象を増やすことで分散ができる……みたいな話もありますが、私は恋愛関係の中では、リソースの配分がわからなくなってしまっていたのかもしれません。ペットがいてくれたらいいなと思うこともありますが、自分が飼える状況ではないので、保留状態を続けています。……自分語りをたくさんしてしまって、すみません。
関係性にもいろいろあるとは思いますが、恋愛や、体を重ねて……という形も、いまのあなたにとっては、支えにならなくなっているのかなと思います。今も同棲相手のかたといるのか、そうではないのかはわからなかったのですが、「試してみたけど、自分で自分を満たせない」という一文は、実感と納得のような感覚の言葉なのかなと思いました。以前には、もしかしたら恋愛などの関わりが、一時しのぎではあっても安らぎにはなっていたかもしれないと思うと、それが通用しない現在は、自分でもどうしたらいいかわからなくなりそうだと想像しました。
「繰り返しの退屈な空虚な日常」という言葉が印象的でした。一瞬だけの「希望」でしか、痛切にあなたの空虚を取り払うような実感を持つことがむずかしいということなのだろうか、と考えていました。
文章を買うことが一筋の光だと書かれているのを読んで、あなたの経験談に、勝手に納得してしまった私です。きっと、たくさん文章を書き、さまざまなことを考えては言葉にしてきた人なんだなと感じたからです。私も心を落ち着けるために、一人で文章を書いていることがあります。書くのは自分自身のことのときもあれば、少しだけ離れたことのときもあります。あなたは自分について振り返ったり、考えたりしながら書いていることが多いのでしょうか。あるいは、別のことなのか……。聞いてみたいなぁと思いました。
あなたがそこにいて、言葉によってあなたの経験や思いを伝えてくれたことに感謝します。また、あなたと言葉を交わせたらうれしいです。