経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
人間でないような気がしている。というかなり損なった黒いどろどろ。
たぶん子供の頃のトラウマとセクシュアリティとがないまぜになって生まれたバケモノなのだと思う。
小学生の頃から、態度が悪いと、言われたことに従わないと棒で叩かれるようになった。中学生に上がってからは棒で叩くのに抵抗を抑えづらくなったからか髪を引っ張ったり足蹴にしたりと変わった。夜に外に閉め出されたりもした。
今ノンバイナリーだと自認している私は中学生の時に起こった二次性徴への嫌悪とクラスメイトとの軋轢と家での休めなさが限界に達し、たぶん壊れたのだと思う。
着座すると意識を失うようになっていた。意識はゆっくりと遠のくので寝ていると思われていて、その度に親に怒られ、酷い時は叩かれた。その頃にはとうに自分自身というものはわからなくなっていたしやりたいことも性格も何もわからなくなっていた。
受験勉強なんかできる状況じゃなかったから(意識が飛ぶので)ただ行けるところに進学してそのまま行けるところにさらに進学した。進学は親が望んでいたから特に怒られなかったけど自分が望む表現は許されなかったし生きる意味も見出せなかった。
ただなんとなく、親から怒られない程度のところに就職して大切な時以外は基本的に連絡を断った。
未だになにをしたいかもわからないし自分の価値なんか存在していないことだけが刷り込まれている。
仕事はできている。安定している。たまに精神的に疲れると意識が飛びかけることがあるが些細だ。
でもずっと何かが足りないニセモノのまま生きている。
価値がないから貰ったものを返すために身体を差し出す。その行為がきっとおかしいことはわかっているのに奢られたりしてしまえば断れない。その度に自己嫌悪で死にそうになる。他者ときちんとした関係を築けない。パートナーを作ろうと思っても愛し方も愛され方も何もかもわからない。これから練習することだってできない。もうどうしようもない。欠落は埋まらない。誰にも助けられないし助けられるだけの価値もない。わかっていてもずっと苦しい。
一度壊れたものは直らない。今日も黒いどろどろのまま人間のフリをして何にも辛くない顔をして歩いて、そのうち死ねたら良いと思っている。
感想2
私も自分を「なりそこない」「バケモノ」だと思う部分があるので、何かの共通項はありそうだという感覚と、そう簡単に自分と重ねていいわけじゃないぞという自制を抱きながら感想を書き始めています。
たとえば、意識を失うのは私は経験したことがないものであり、あなたにかかっていたストレスが私の想像しきれない壮絶なものだと感じました。「態度が悪い」と棒で叩かれるとありましたが、態度が悪いというのはあくまでその大人の主観の話であり、かつ態度というのは関係性の中で生じるものであることから、子どもの態度が悪いという理由で暴力をふるうのは何重にも間違ったことだと思いました。
また、私は周囲に性別違和をもつ人が何人かいて(ノンバイナリー自認もいます)、性別のことで日々いかに傷ついたり理不尽なことに遭うのかを聞く機会があったので、学校生活などで慢性的に蓄積していくダメージもかなりのものだっただろうと想像しています。
ストレス解消や回避の方法は、大人になってお金や自由があればいろいろとありますが、子ども時代には選べるものが少ないと思います。だから意識を失うという方法は、自分にある限られた資源の中から、あなたが自分を守るために編み出した方法(意図的なものではないと思いますが…)だと私は感じました。
自己イメージが「どろどろ」などになるのは、傷つき体験をすると起こる現象だと私は何かの本で読んだことがあります。自分について振り返っても私はそう感じていて、傷ついてそれを行き場なく我慢するしかなかった、体や性についての自分らしさや領域が守られなかった、などの要素と関連性が高そう…?とも考えています。溜まった感情にヘドロみたいな質やイメージがあるからかなとか、自分の体が憎むべき忌むべきものに感じられるからかなとか、そんなことも思っていますが、このへんは個人的な仮説なのであまり気にしないでください。
あと、「なりそこない」や「欠落」の感覚は、実際に欠落があるかという話よりも(欠落の定義もさまざまですが、他者から見て欠落と評される点があっても、それに気づかない・気にしない人もいると思っています)、欠落がない自分のイメージが自分なりに強くあるという話や、そんな世界線で生きたかったという叫びみたいなものなのかも…?と、感じたりもしています。少なくとも、自分語りは省きますが、私についてはそういう部分があると思っています。
一度壊れたものは直らなくても、たとえば割れた茶碗を金継ぎで修復するように、壊れたなりに機能を取り戻すことや、壊れたからこそ生じるものもあるように私は感じています。
そこに自分が価値を見出せるかはまた別問題かとは思いますが、私はそう感じるとだけは、勝手ながら伝えたくなりました。経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
あなたは自分を人間ではないように感じているのが伝わってきました。ただ、私はあなたのことをとても人間らしいと思いました。おそらく、人間の定義が違うのでしょう。あなたが人間ではないと思ってしまうのは、この社会が暗黙のように定義している人間がとても狭いからであって、あなたの問題ではないと思いました。例えば、ノンバイナリーがマイノリティとなる前提には「人間は男と女の2種類だ」という基準があり、それに当てはまらないのは人間ではないあるいは人間として劣っていると思わせてしまうようなメッセージがあります。それと同じように、勉強ができるできないとか、コミュニケーションが上手かそうでないか、容姿や行動の傾向など、あらゆることで私たちは「これが当たり前」「これはいいけど、これはよくない」という基準を刷り込まれていて、それから外れてしまうことへ不安や恐れを感じてしまいます。そのことを何だか変だなと思ったり、あなたのように「自分は人間ではない贋物だ」と感じたりする人もいますが、そこまで考えずに適応しようとする人たちもいます。適応しようとする人たちが増えれば増えるほど、基準に合わない人たちは追い詰められ、それは結果として、私たちの社会をとても息苦しく、生きづらいものにして、誰もが不安を恐怖と隣り合わせにし、緊張や競争を強います。そのことが弱い者への暴力を肯定したり、見過ごしたりすることにもつながると私は思っています。私はいろいろな特徴がある人がいても当たり前で、一人ひとりが違うことを前提にして、それぞれができるだけ息をしやすくなるためにどうしたらよいかという考え方があれば、あなたが人間ではないと思うことはなかったのではないかと思いました。
ただ、そうはいっても、現実の人間の基準はとても狭く個人を尊重するよりも、理想のイメージを追いかけて息苦しく不安と隣り合わせのベースです。そんな社会のベースがあなたを幼い頃から苦しめてきたことは言うまでもなく、本来の自分の姿を封印して、意識を飛ばす、何も感じなくするなどのスキルを駆使して、身を削って生き抜いてきたのだろうと私は思いました。そうして生き抜くしかなかったあなたにとって自分が自分である感覚や何が好きで何をしたいのかわからなくても無理もないし、この先どうやって生きていったらいいかもわからなくても当然だと思います。ただ、誰に頼まれたわけでもないのに、こうして自分の気持ちを書いて送ってくれたというのは紛れもなくあなたが選択して行動したことではないかと思いました。自分の苦しさを自分だけでは抱えきれない、あるいは誰かに自分の苦しい思いを聞いてほしい、受け止めてほしいという思いがあなたの中にはあるのだろうと思いました。私たちはそんなあなたの思いを静かに受け止めたいです。
「一度壊れた物は直らない」とあなたは書いています。私は直らないようなダメージを受けた部分があなたにあるかもしれないけれど、壊されていないところもあると思いました。壊れていない部分がこうしてあなたの声を書き記し、届けるという行動をしたのだろうと思います。だから、壊れていないところから新しい自分を作り直すことはできるかもしれないと勝手ながら思います。そのためにささやかな応援を死にトリができたらと思いました。