経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうすれば良かったんだろう

自分は恵まれた環境と悪い環境、半分半分を生きてきたと思う。
小中は全然勉強ができず、不得意な事の方が多く不器用で年齢問わず色んな人に馬鹿にされていた。友達は居たけど常に味方の数だけ敵が居て、敵に対してのストレスが半端なかった。
小学校の時、勉強ができなくて(特に数学や英語)テストの点数を揶揄われたりしたのが嫌だったのを覚えている。(担任がテストの点数低い人がみんなの給食の皿を片付けるという制度を作った為、尚更立場が無くなっていった。この制度、おかしいですよね??)
他にも不得意な事、不器用な事も多く、大抵の人が出来る事が出来なかった為、酷い目に遭ってきてる。未だに心の整理がついてないので詳細は書けないが、兎に角人を馬鹿にしたり、パワハラ・モラハラをする人として終わってるような人間で溢れていたので、学生時代は良かったとは言えなかった。特に中学は頭おかしい学校で上記のような事が多かったし、教師の感情任せの怒鳴り声がずっと廊下に響いていたし、友達もリスカするぐらい病んでたので、本当にどうかしている環境だった。嫌な思いが沢山あるので人間不信になった。
そんな中で自分が唯一戦えるものが芸術分野で心の拠り所だった(詳しくは書き込めないので伏せる)小中のうちから業界に入る為苦手な勉強を頑張り、専門分野の知識と技術を極め、周りを見返す為にも全力疾走してきた。
その後偏差値をかなり上げて、専門分野を学べる高校に合格して、友達にも恵まれたが、先生と感性や価値観の違いで衝突したり、先生に頭が悪いと言われたりして何処行ってもこれか…と人生を悟った。
また、その後芸術系の大学受験をする際、同じ進路の友達と友情が壊れ、先生も前述の通り酷いので誰も信用できなくなり初めて精神が病んだ。
幸い家族は幼少期からずっと支援してくれたので家庭に不満はなかったが、外の環境が悪くギャップが激しくてアイデンティティがおかしくなりそうだった。
大学は第一志望に落ちて滑り止めに進学したが、抑うつを治すのに一年かかった。
大学時代は就職に向けてより一層実力を身に付ける為に頑張ったが、友達も同じ科の子も本気の子が全然居なくて、自然と距離が出来てしまった。女子は足並みを揃えて生きるので尚更。他の子は遊んだり恋愛したり世間で言う普通の人生を送っていたけど、自分は夢に向けて一筋に生きてきた偏りのある人生だった事に気づいた。
青春はしてきたが、もう少しバランス良く生きていけなかったかなと思ったりもした。
そしてまた友達と希薄になった。
だが無事就職し、今はそれで飯を食えている。
自分で言うのも烏滸がましいが、スピード出世し、2年目で中堅レベルになった。
苦手だった数学や英語も仕事上出てくるが、問題なくこなせているので大逆転は出来た。努力は裏切らなかった。
だが、また今までのように友達に妬まれたり同期と関係がギクシャクしたり、フレネミーがいたり…人には結構裏切られたりして、再び人間不信に陥ってきた。
自分が仲良いと思っていても相手はそう思っていなかったり、都合良く使われたり、自分を認めてくれる人が居ないんだなと…見返りを求めてたわけではないが寂しい。振り返ると表面的な関係もあったので、親睦を深めれてなかったなとか、自分の悪い所もあったと思う。
会社の先輩・上司は味方になってくれるし認めてくれるが、それは仕事だからであって、私という人間を認めてくれてる訳ではないなと。
そして努力しても異性に好かれることもないし…美容は力入れてるけど人間性かな…恋愛面でも世間で言う普通の枠からは外れていると感じで辛い。
(”普通”というのは時代によって変わるものだし、必ず人に合わせるものじゃないのは分かっているが世間の目が気になる)
仕事だけが残ってしまって毎日空虚な気持ち。こうはなりたくなかったが、周りの関係より優先した故の事だと自覚はある。
今も仕事が忙しくプライベートの時間が取りづらいが辞める気はない。
気持ちの矛盾がしんどいし生きてるのが辛くなる。
他の人は仕事も友達も恋愛も充実してるのに…
纏めると、夢(仕事)と並行して人間関係も上手く築きたかった。だが過去や世間に囚われてて辛い。自分ってなんだろう。承認欲求もあって生きるのがしんどい。
という感じ。

感想1

最後にあった「未だに過去や世間に囚われてるし、自分ってなんだろう。承認欲求もあって生きるのがしんどい。」を読んで、これに頷く人がきっと多くいるだろうなという感覚と、自分自身も囚われから抜けられないなあという気持ちが静かに浮かびました。
これは、あなたのつらさを一般化しようというわけでなく、人間の普遍的な痛みを表現している文章だと感じた、という話です。そしてそれは、あなたが自分に向き合っていることを示しているように私は思いました。

私は人付き合いが希薄で、友達が少なく馬鹿にされることもあまりなく生きてきました。なので「味方の数だけ敵が居る」という世界がどういうものかの想像は、本当に想像することしかできません。
ものすごく忙しくて(という表現で済むほど甘いものではないと思いますが…)、何か自分の中で確かに掴めるものや目指せるものがないと困るような、混沌の世界・・・?だとしたら、芸術は本当に拠り所になるだろうし、夢に一筋に生きる偏りが生まれるのも必然で、偏りを持つことがあなたの生き延びる術だったのかもしれない・・・?そういった想像は浮かびましたが、間違っていたらすみません。

学校は同調圧力の強くなりやすいコミュニティであり、評価軸も社会に適合できるかといった指標に偏りがちだと感じるので、個性や凸凹が生きづらさやネガティブな評価につながりやすいのだろうな…と悲しく、一人の大人として申し訳なく思いました。たとえ味方がいたとしても、そういった理不尽な逆境に負けないのは簡単なことではないので、あなたはずっと戦闘態勢で生きてきたのかも、と私は感じました。味方か敵か、本気か本気じゃないか、おかしくないものかおかしいものか・・・二項対立があなたの語りの一つの特徴であると私は感じていて、それはもともと自分の感性が強くあるのもありそう?とは思っていますが、危機に晒されてきて形成された部分もあるのかなと感じました。
もし、戦闘モードがいつもどこかに残っていたら、親しい人間関係をつくるときにそれが邪魔していたりするのかな…とか、私自身ももしかしてそうかも…とか(細かい自分語りは控えますが、負けたくないという思いで生きてきて、仕事では成功しても他は…という現状です)、ぐるぐる思いを巡らせています。

人間は関係性の中を生きる存在なので、過去や世間に全く囚われない人はいないと私は思っています。でも、「囚われる」から「それなりに折り合いをつける」まではいけそうな気はして、そのためには、語ったり振り返ったりする機会が大切なように感じています。そう考えると、経験談を書いて送ってくれたことは、大きな意味のある一歩なのかもしれないとも感じたりしました。
またよかったら死にトリを訪れてください。

感想2

幼いながらに学校という環境への安心・安全を感じられず、その中で自分の武器を持ち生き抜く術が「学力とスキルを磨くこと」だったのだなと感じました。それは自分の目標を叶えるためであると同時に、周囲の人間と対等になる・正当につながるための手段でもあったのだろうかと考えています。スキルを以って、今も仕事という形でその生き方は続いているのかと思います。「周りの関係よりも優先した故のこと」と文末のほうにありましたが、「優先するほかなかった」という側面も強かったのではないかと、幼い投稿者さんの必死さや、今の虚無感を勝手ながらに想像しています。
人間関係においては思うようにいかない、信じたくても信じられないという失望を重ねてきた様子が伝わってきました。一度は出来上がったはずの関係が意図せず壊れたり、無くなってしまう感覚は、人を信じることに対する耐性を弱らせ、「これから」に期待する意欲を削いでしまう経験だと思います。人間関係の構築と決裂を繰り返してきたからこそか、スキルを磨くことにひた走ってきたからか(あるいはそのどちらもかもしれませんが)、投稿者さんはずっと「深い孤独」を抱えてきた人なのではないかと、私にはそう感じられました。

今の生活の中では、仕事の成果やポジション的には努力が報われながらも、「個人」としての充実感を思うように得られない状況なのかなと想像しました。何をもって「充実」するか(していると思えるか)はかなり個人差がありそうですが、読ませていただく中で感じたのは、仕事上での能力や成果をその範疇で評価される以外に、「個人」として、「私」として存在を認められる、”どんな自分であっても”受け入れられる場所を求めているのかなということでした。そして投稿者さんのいう「バランスの良い生き方」は、自分の充実感を得られる要素やコミュニティが分散して存在していること(複数あること)を指しているのかなと推測しました。
就職・仕事の出来という形で1つの結果に辿り着くまで、ずっと全力疾走してきたところで、ふと立ち止まり「自分の人生」を振り返っているのが今なのかなと感じました。「自分とは何か」わかる日が来るのかは(この感想を書いている私含め)未知数ですが、1つ1つ探していけたらいいのかな…という思いでいます。改めて、投稿いただきありがとうございました。

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