経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ある経験談の続き

私はある経験談を書いた者です。
その後の話を書きます。

転職には成功して正社員事務として働いてました。
半年目まではよかったんだけど….
半年後私の下に新人がきて、
新人教育押し付けられて、
また業務負担も増え始めました。

新人はサボリ魔で「人生で初めてPDFした」「名刺のサイズわからないから名刺入れ買えない」
という人なので,
教えるのも大変でした。
また私は言語IQ118あるため、
できるように見えるのか,
一年目とは思えない仕事量を押し付けられました。

体調崩し始めて,
直属の上司に相談すると,
一通りのパワハラされて私から身を引きました。
退職しました。

とはいえ,
会社のお金の状況も悪いし,
倒産寸前かもという感じにもなってました。

ある人から,
「仕事しない人とも仕事するのも仕事」と言われましたが、
そもそも倒産寸前の会社では通用しないかなとは思います。

今は障害者手帳の取得申請しています。
障害者雇用目指してます。
元々ADHDなので、
もし仕事しない人と仕事してたり、
ひょんなことから金回りのことを知っていなかったりしてなかったら,
2年目以降ほぼ一人で業務回さないといけなくなり、
かなり難しい感じだったと思います。

障害者雇用も
・自分のキャパを伝える
・体調の相談をする
は必要かなと思います。

まさかこの歳でもう2社辞めてるとは思わなかったけど、
やっと親も障害者雇用認めてくれたので、
よかったです。

今だに辞めた会社の人たちの声とかが頭の中でキンキン響きます。
そろそろ支援機関への通所始まるので、
なくなるといいなって思います。

感想1

再びの投稿ですが、どんなきっかけやタイミングで「また、書いてみよう」と思ったのかちょっと気になりました。こうして自分の経験を書いて送ることがあなたにとって何かしらの意味があったからこそ、また書いてくれたのかなと思いました。死にトリのことを思い出してくれて嬉しいです。
今回の投稿で印象的だったのは障がい者雇用に必要だと書いてくれた2つの点です。
「自分のキャパを伝える」「体調を相談する」この二つは障がい者雇用ではなくても、誰かと仕事をするとき、あるいは仕事ではなくても誰かと協力し合う場面ではとても大切な点だと思いました。ただ、いずれも大事ではあるけれど、実行はそう簡単ではないことだと思います。特に自分のキャパについては、伝える以前にキャパを知っている必要があります。意外と自分のキャパを正しく認識することは難しいと私は感じています。おそらく、あなた自身は自分のキャパについて考える経験があったのだろうと感じました。支援機関にも関わっているようなので、キャパについて誰かと一緒に理解を深める機会があったのかもしれませんし、あなた自身も自分と向き合ったり、自分のことを考えることが得意なのかなとも考えています。
二つ目の体調についても、同じように自分で気づくことが難しいときもあります。だからこそ誰かに相談するという行動があると、自分の体調についてもより理解することに役立ちそうだと思いました。

感想2

再び死にトリに繋がってくれたこと嬉しく思います。あなたの中で少なくとも状況や気持ちを改めて整理するために活用してくれているのかな?なんてことも思いながら読ませてもらいました。
今回綴ってくれた文章は、理不尽な現実と誠実に向き合ってきたことが、言葉の端々から伝わってきました。最初は順調に感じられた職場で、半年という期間で業務も人間関係も急に崩れていってしまった様子は、まさに「うまくやろうとすればするほど苦しくなる」ような、報われにくい環境の中にいたのではないかなと想像していました。新人教育を押しつけられたときの戸惑いや疲弊も、相手の理解度に合わせて指導をしなければならない状況で、しかも相手が真面目に取り組まないところも想像以上のしんどさだろうと思いました。“教える負担”だけではなく、“一緒に仕事をしている”という感覚が成り立たない苦しさもあったのではないかなと。
特性を抱えながら、それでも周囲からは“仕事ができる人”として認識されていたのも、その背景には、きっと見えないところでの工夫やエネルギーの配分など努力があったのではないでしょうか。でも、表面的には例えば「できるならもっとやってよ」などと負担だけが増え、疲労がたまっていってしまったのでしょうし、言語IQの高さゆえに“できるように見えてしまう”という、ある意味での逆差別にも似た圧力を受けてしまったのではないかなと考えていました。
直属の上司に助けを求めた時に返ってきたのが「パワハラ」だったというところも、そこでさらに追い詰められてしまったのだと思いますし、そして会社そのものが倒産寸前であるという不安定な状況が、あなたに“辞めるしかない”という選択に追いやった実情…その中には仕方のない部分もあったにせよ、気持ち的にはそう納得のいくものでもないよなと勝手ながらもどかしい気持ちになっている自分がいます。
「仕事しない人とも仕事をするのが仕事」という言葉、確かに理屈としては耳触りがいいかもしれませんね…。でも、それがすべての現場やすべての状況に当てはまるわけではないと思います。特に人的・制度的なサポートの乏しい現場や加えて会社の財政が揺らいでいるような組織において、それはむしろ責任のなすりつけや個人の疲弊を生むだけの言葉になってしまうのではないかなと私は思ってしまいました。そんな中であなたが、障がい者手帳の申請をし、障がい者雇用という方向性に舵を切ったことは、とても現実的で冷静な判断だったと私は思います。「自分のキャパを伝える」「体調の相談をする」という点に関しても、自分を守るためには大切なことだと私も思っています。(とはいえ、実際それを実行するというのは時にハードルが高い時もあるから難しいですよね…とも思いながら…)
「やっと親も障がい者雇用を認めてくれた」という一文には、言いようのない年月の重さと、ようやくたどりついた理解が含まれているように捉えました。この“理解”が、あなたにとって遅すぎたものであったとしても、それでもそれが“得られた”という事実は、これから先の自分の人生を肯定していくうえで、小さくても確かな支えになったりしないかな…と思ったりしています。
もうすぐ支援機関への通所が始まるとのことで、その場所が、あなたの特性や限界を“前提”にして関わってくれる、これまでとは違う関係性をつくる場であることを祈っています。過去の“できなかったこと”ではなく、今“どう生きていきたいか”へと視点が移っていけるような、そういう時間がこれから少しずつ訪れることを、そっと願っています。もし今後も、何か伝えたくなった時や死にトリが必要に感じられた時は、いつでも届けてほしいです。

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