経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

楽しく生きたい

私には比較癖がある。
いろんな場面で他人と自分を比べる。その度に劣等感を感じて、周りから見下されてるように感じる。誰かがこそこそと話しているのを見ると、自分の悪口を言っているのでは と思ってしまう。
自分は自分、他人は他人、と割り切れたらいいのに、それができない自分がまた嫌になる。
そんな私が好きなのは、ゲームや小説。生きている世界がそもそも違うから、比較しないでいられる。ゲームをしたり本を読んだりしているときは、本当に幸せで、純粋に楽しいと思える。でも、それも一時的な気休めに過ぎない。現実に戻ったら、また悲しい時間が始まる。
今、私が一番恐れているのは、死。つまらない日々を繰り返して、生きるのも嫌になってくる。死ぬつもりはないし、その勇気もない。でも、いつか限界が来て、自分で自分を殺すときが来るような気がして不安でしょうがない。いつそうなるかわからないから、怖い。もしかしたら明日かもしれない、明後日かもしれない、と思うと眠れない。
誰かに話したい。話せたら、何か変わるんじゃないかと思う。でも、話せる人がいない。
塾には、いつでも愚痴言いにきていいと言ってくれる先生もいる。でも、こんな話はさすがにできない。困らせてしまう。仮に話せたとしても、反応次第では、余計に自分が傷つくことになる。
どこかで疑っているのかもしれない。小学5年生のとき、友達(A)に秘密をバラされたり、自分の好きなものやコンプレックスについていじってきたりした。Aの影響か、それまでずっと仲の良かった子も少しずつ離れて、A側になっていた。味方だと思っていた 子に裏切られたように感じた。他の友達も同じなんじゃないかと思うようになった。結果、人を信じられなくなった。
こうやって、色々なことが重なって、死について考えるようになったのかもしれない。この辛さをわかってくれる人にいてほしい。優しい人に、そばにいてほしい。そんな人を見つけるという希望に縋って生きている。だから、このことだけは否定しないでほしい。

文章おかしいところあったかもしれませんが、読んでくれたなら、ありがとうごさいました。

感想1

投稿ありがとうございます。
私も、自分と誰かを比較してしまいがちなところがあります。そのことについて、比較しなくていいよとか、比較対象を過去の自分にしてはどうかなど、アドバイスをもらったこともありますが、それでもまだ、自分は自分だと割り切れずにいます。私の体感として、「アドバイスを実行できない自分」もまた、劣等感を高め得るもののような気がします。そういった考えも手伝って、私としては、あなたの感じていること、考えていることをただただ受け止めたい、という感覚になりました。

個人的にとても印象的だったのが、文中にある「そんな私が好きなのは、ゲームや小説。生きている世界がそもそも違うから、比較しないでいられる。」という文章です。この文章を読むと、自分の中ですごく腑に落ちる感覚がありました。私自身ゲームや小説(というか、実写でないフィクションの世界というか)が好きですが、これまではなんとなく好きとしか思っていませんでした。ですがこの経験談を通して、フィクションの住人に対しては純粋に成功や成長を願うことができ、自分らしくいられるような気がすること。そして逆に、現実世界の人間関係では、人の成功や成長を目にすると「置いて行かれるような感覚」、つまりは劣等感を抱いてしまう自分がいるのかもしれないということに気が付きました。投稿によって自分がなんとなく感じていたことを言葉にしてもらえたような感覚があり、どこかすっきりさせてもらえたということをお伝えしたいと思います。

最後になりますが、私はこの経験談から大きく2つのことを感じ取れたように思います。
1つは、文章に込められている「あなたらしさ」です。自分らしさを見出すことは、「自分は自分」という感覚を得るうえで重要なことのような気がして(まだ私も自分は自分だと思えていないので的外れかもしれませんが)、お伝えしたくなりました。
そしてもう1つは、あなたがご自分の感情や悩みについて考えに考え抜いてきたということです。あなたなりにご自分の過去を振り返って比較癖の根源を探ったり、今感じていることを詳細に言葉にされたりしていて、考えることに掛けた時間の長さや密度を感じたのです。その分、あなたの心にかかっている負荷の大きさも感じられました。少なくとも私は、あなたが持つ希望を否定しようとは、到底思わなかったということをお伝えして、感想とさせてください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。比較してしまう癖、劣等感、疑ってしまう気持ち、人を信じることへのためらい、そしてほんのわずかな希望のような思い、様々なものが重なりながら、あなたが今までどう生き抜いてきたかが切実に伝わってきました。
誰かと自分を比べてしまうのは、特別なことではないとは思いますが、ただ、それが「気にしないでいられる人」と「気にしてしまう人」に分かれてしまうのも事実で、前者の感覚で「気にしすぎじゃない?」と簡単に言われることほど、後者の人にとってはつらいことはないよな…と私も今はだいぶマシになりましたが、以前は誰かと比較してしまうことが多かったのでそう感じることです。しかも、その比較によって自分自身が傷つき、自分に嫌気がさすという負のループができあがってしまうと、どんどん抜け出すのも難しくなってしまいますよね…。そしてその根底には、小学生のときに感じた“裏切られた経験”があるのだと私は感じました。信じていた相手に自分の気にしていることや嫌に感じることを触れられる経験は、想像以上に深く人の心をえぐるものだと思います。例えそれが幼い頃のことだとしても、人間関係の基礎が築かれる大切な時期に味わった“信頼が崩れていく感覚”は、その後に長く影響するものです。それを抱えたまま思春期を生き、さらに他者との比較で自信を失っていく…その蓄積が「死を意識するほどのつらさ」として現れているのではないかなと思いました。
とはいえ、あなたの文章の中に“死”について意識する気持ちは確かに存在していますが、それよりも強く感じられたのは、“誰かにわかってほしい”という願いです。それは弱さとかではなく、生きたいと思っていることの裏返しのようにも私は感じました。塾の先生に話すか迷っていることも、信じたい気持ちと疑う気持ちのはざまで苦しんでいるのが伝わってきて、でも、話すことがすべてを変えるわけではなくても、もしかしたら「話せた」という事実が、あなたの中に何かを残すかもしれないなとも感じました。反応に傷つくことへの不安もよく分かる(と、安易に言うべきではないかもですが、私自身もそうなので共感できる部分でした)なと思いつつ、それでも、「こんな話はできない」と思うほどのことを、自分の言葉でこうして書けているあなたには、きっと伝える力があると私は思っています。(無理にでも話してほしいというわけでは決してないですよ)

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