経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の気持ちがわからないまま、生きています。

私は子どもの頃から「自分の気持ちよりも、まわりにどう合わせるか」を先に考えるような子でした。母はよく「離婚したい。(父に対して)死ねばいいのに。(自分に対して)死にたい」と独り言を言っていて、父親はDV気質 ・女性軽視。私はその母を守らなきゃとずっと思っていました。本当は甘えたかったけれど、それを我慢して「良い子」でいることで、家庭の空気が少しでも和らぐなら…と、無意識にそう振る舞っていた気がします。

大人になってからも、その生き方が変えられず、いま私はアメリカで夫と暮らしています。10年近く経ちましたが、最近「このままの生活を続けたら、自分が壊れてしまう」と感じるようになりました。

夫はとても優しく、私を深く愛してくれる人です。
でも、一度疑念を持つと、納得するまで4〜5時間にも及ぶ話し合いが続きます。たとえ深夜であっても終わりません。まるで事情聴取を受けているような感覚になり、最終的には私が根気負けしてしまいます。

それでも、自分の中に積もってきた“苦しい気持ち”を伝えようとするたび、彼を傷つけてしまいます。離婚の話を出せば、彼は泣いてしまう。そんな彼を見るたびに罪悪感が募り、「もう私なんて、いなくなったほうがいいんじゃないか」と思ってしまいます。

昨日、離婚するかもしれないという状況まで話し合いが進みました。
彼は私に、「君は本当は自分と別れたいけれど、その勇気がない人なんだと思った。だから自分から別れを言い出してあげることが、君への最後の優しさなんだ」と言いました。

その言葉を聞いて、ますます自分の気持ちがわからなくなりました。
私は本当に別れたいのか? それとも、彼の優しさに縋りたくて揺れているだけなのか?
正直、自分の気持ちが全くわかりません。

日本に戻る話も出ていますが、彼にとっては今の仕事やキャリア、家、そして家族や友人との関係など、築いてきたすべてを一度に手放すことになります。そのことが、私にとって大きな罪悪感となっています。

一方で、私自身もいま仕事で非常に厳しい状況に置かれています。離職者が相次ぐ中、私に任されている業務量は常軌を逸しており、心も体も限界に近づいているのを感じています。

死にたいわけではありませんが、無意識のうちに「離婚したい。死にたい」と独り言を言ってしまってます。これは母の影響なのか、自分の本音なのか、分からないです。
ただ、日常的に「消えたい」と思う瞬間が増えました。悲しいとか辛いよりも、「もう疲れた」という感覚に近いかもしれません。どうしたらいいか分からないけど、このまま誰にも言えずにいたら、本当に自分が壊れてしまいそうです。

今こうして文章を書いているのも、助けてほしいという気持ちと、誰かに知ってほしいという気持ちがあるからだと思います。
もしこれを読んでくれた方がいるなら、それだけで少しだけ、心が救われます。

感想1

「自分の気持ちがわからない」とありますが、私にはあなたの気持ちがたくさん伝わってきました。そして「わからない」と表現できることの意味も考えています。私たちはわかることがいいこと、わからないのはよくないという価値観を内在化し、本当はわからないのにわかったふりをしたり、わかったつもりになっていたりすることも多いのかもしれません。また、わからなくてもいいことはそこまで考えもしないこともあります。その中で、あなたがこうして「自分の気持ちがわからない」と表現した裏には、自分の気持ちをわかりたいという願いと今立ち止まって自分のことを考えたいという強い意思を私は感じています。
経験談を読んで、シンプルに私が率直に思ったのは、今の環境から離れて安全で安心できる環境で自分と向き合う時間や空間を確保してほしいという気持ちでした。ただ、そのために行動を起こすのは簡単なことではないだろうことも想像されました。「死にたい、消えたい」という気持ちは自分の中にある何らかの願いの存在とその願いに届かない絶望から生み出される表現だと私は思っています。あなたの「死にたい、消えたい」の裏には自分らしく生きたい、自分の気持ちを知りたい、自分を大切にしたいという願いがあるように感じました。その願いは尊重されていいものであり、私はその願いを尊重したいと思います。
そのうえで、とても気になったのは夫さんとの関係です。あなたは「優しく、愛してくれる人」と書いていましたが、第三者の私は「納得するまでの長時間の話し合い」に違和感を抱きました。また、あなたが必要以上に罪悪感を抱く様子や「君のために」という発言にも支配や作為性が見え、対等や尊重とは違う関係性に思えました。もう一歩疑り深く考えると、あなたの自分よりも相手を優先してしまう弱みに付け込んでいるのではと思ってしまうほどです。それは無意識にそういった関係になっている側面もあるかもしれませんし、私のひねくれた見方なのかもしれません。夫さんを心から大切だと思っているとしたら、悪口のようなことになってしまって申し訳ありません。でも、どうしても私が感じたことを伝えたくなりました。
また、仕事もかなりのストレスになっているように思いました。仕事の存在も知らないうちにあなたを支配しているように思えました。生まれ育った環境の中で、あなたは目の前の期待や望まれることを読み取り、それに応えることがデフォルトになっているのだろうと思います。それは、あなた自身の生存戦略として必要だったと思いますし、あなたを守ってきたと思いますが、じわじわとあなたを追い詰めてきた側面もあると感じています。それが限界を迎えた今、こうして気持ちを率直に書いて、送ってくれました。一人で抱えずに他者の存在や力を意識し、外在化をしたことには大きな意味があり、私はこの踏み出した一歩を最大限支持し、歓迎します。
夫さん、仕事とあなたを無意識に支配してしまう存在から距離を置き、少しほっとした時間を過ごしたときにあなたが何を感じるか私は知りたいと思いました。あなたは自分より周囲を優先しながらも、心の底で自分を大切にしたい願いを持ち続けてきたのだろうと思います。だからこそ、こんなに苦しいのだろうと思いました。
また、いつでも死にトリでよければ気持ちを届けに来てください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。あなたの文章を読んでいて、「限界に近づいている人の声」を感じさせられました。それは、決して取り乱した叫びとかではなく、むしろ淡々と日常の中に染み出ている疲れと迷いが、丁寧に言葉として綴られていたからです。一見、理性的に見えながらもその裏では長年にわたって感情を抑え続けてきた痛みが、言葉の端々から伝わってきました。
子どもの頃から、“自分の気持ちをまず捨てる”ことで家庭の空気を守ってきたのだろうなと想像しますが、本来は子どもが担うべきではない重荷を、あなたがずっと一人で背負ってきたのだと私は感じました。本当なら、安心して甘えたり、泣いたり、わがままを言ったりしていいはずの時期に、「空気を読む」「母を守る」「良い子でいる」ことを優先しなければならなかったことは、小さな心にとって、あまりに早く訪れた「大人の責任」だったのではないかなと…。
その延長線上で、いまの結婚生活の中でも、“自分の感情よりも、相手を傷つけないこと”、“自分が我慢すれば、状況は少し良くなるかもしれない”と無意識に考えてしまうのも、無理もないことなのだと思います。そしてそれが、まさに「自分の気持ちがわからない」状態へとつながってしまっているのだと感じました。気持ちを出さないように生きるのが当たり前だと、“自分の気持ちを感じる”という行為そのものがとても難しいものだよなと、私自身もあなたと似たような幼少期を過ごしてきて感じることです。きっとあなたは、感情がないということではなく、感じる余地も、許可も与えられてこなかったのだろうと思いますし、それくらい、生き延びることに必死だったのではないでしょうか。
また、夫さんの“優しさ”も、あなたを追い詰めてしまっているということは、相手を否定しないように、優しさを受け取るように努力し続けているけれど、夜通しの“事情聴取”のような話し合い、言葉の圧迫感、そして感情をぶつけられたときに生まれる罪悪感などを考えると、それは優しさではなく、あなたの「違和感」や「苦しみ」をじわじわと押し潰していく構造であると私は感じ、あなたの意思や感情を弱らせる要因の一つなのではないかとどうしても考えてしまいました。さらに、「日本に戻ることが、彼のすべてを奪うことになる」という罪悪感も、あなたが常に「誰かの立場」を最優先して考えてしまうことの現れだなと感じました。でも、あなたが今感じている心身の限界、職場での過重労働、そして無意識に出る「死にたい」「消えたい」という独り言は、決して“わがまま”ではなく、あなた自身のSOSのサインだと私は思いました。
もしかしたら、今あなたに必要なのは、“答えを出すこと”ではなく、「気持ちを感じる許可を自分に出すこと」なのかもしれません。別れる・別れない、日本に帰る・帰らない、そうした選択を今すぐ決めなければならない状況というよりかは、むしろ「自分がどうしたいか」を探るための時間と、安心して話せる環境が必要なのではないかと感じました。それは、夫さんとの話し合いの場ではなくて、あなたの心の声を安全に安心して話すことができて受け止めてくれるような第三者の存在が必要なのかもしれません。例えば、気の置けない友人(もしいればですが)であるとか、専門的な心理士やカウンセラーなどの“中立的な支え手”と出会うことも含まれると思います。必ずしもそうしたほうがいいとは言い切れませんが、今の状態や状況を考えると、一人で考えこみすぎないでほしいなという気持ちになっているのでした。
あなたが感じている「もう疲れた」という言葉は「本当は自分の気持ちを知りたい」「もっと楽に生きたい」「自分を大切にしたい」といった願いが込められているように私は捉えています。決して諦めや無力感だけではなく、“このままではだめだ”と感じる感受性こそが、あなたの奥にある強さでもあるのではないかなと私は思っています。
あなたの「わからない」感覚は、何も悪いことではなく、むしろこれまであなたがずっと周りに合わせ続けてきた証だと思いますし、そして「わからない」と正直に言えるあなたは、すでに自分に向き合い始めているのだと思いました。その一歩がたとえ時間がかかるものだとしても、あなた自身を守る手がかりになっていくはずだと私は信じたいです。また何か自分の気持ちを外に出したくなった時や、迷い行き詰ってしまった時などはいつでも死にトリを訪れてください。お待ちしています。

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