経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

人生は第三者ゲーム

私は普段生活する中で、自分を操っている感覚に襲われます。しかし、逆にそれが自分の精神を守っている節もあります。たまに自分の声や顔、体などをみて猛烈に死にたくなります。この世から消えたくなるのです。なぜかはわからないのですが、自分がこの世にこの形で存在していることにとても恐怖を覚えます。だから、こんなふうに死にたくなったり消えたくなったりするんだと思います。このたまに起こる発作みたいなのは自分でも原因はわかりません。ですが、自分に対して自信がなかったり価値を感じれないために起こっているのではないかと考えてます。私はLGBT当事者です。(バイ)なので、普通の男子のような会話に入れなかったり、どうしても恋愛的に見てしまってそれを相手に勘付かれたらキモがられると思って隠します。それがより死にたくなります。また、普段の大学の授業などで無能な動きしかできず、課題もギリギリに出したり成績も良くないです。これらが自信のなさに直結してるのかなと思います。もちろん勉強も早めからして、テストに臨めば良いのですが、スケジュール管理が下手でバイトを入れてしまったり、何もせずにただスマホをいじってしまったりして、全然手につきません。これからも無能のまま生きたら社会のお荷物になるのではないかと不安です。ただでさえ今も大学の授業のグリープワークで無能な事しかしてなくて死にたくなります。私が産まれたせいでこのグループはダメになってしまったと感じます。なんか、自分に価値を見出せなくてほんとになんで産んでしまったのか、親を恨むほどに死にたいです。周りの人が自分の悪口を言ってるように聞こえたり周りで笑ってる人がいたらあ、僕のことを嘲笑してるんだなと思ってしまいます。もう自分は20代になって早めに死ねば人に迷惑かけることもなかったのに、親にも金を使わせてこんな凡人以下のカスを作り出させてしまったことに深く反省してます。どうしたらもうちょっと楽に生きれるでしょうか?死ぬなら死ぬでも良いのですが、勇気が出ません。

感想1

自分の存在が曖昧で、確かな実感が得られないけれど、日々の生活は目の前に訪れるので、必死にコントローラーを操りながら第三者ゲームを進めている…そんなイメージが浮かびました。そのゲームをやりたいとも思っていないし、やり方もよくわからないのに、辞める方法も分からないし、やってもやってもいい結果にならない、そんな感覚でしょうか。
一方であなたは誰かを恋愛的にみるなど、本来の心が動く瞬間もあります。その瞬間はおそらくゲームではないのかなと思いました。誰かに惹かれたり、自分のペースで自分のやりたいことをやったりすることが悪いことではなく、周囲と違うところがあっても、学校で多少できないことがあっても、それでいいはずだと思うのですが、あなたはそう思えず、自分には価値がないと思ってしまっています。どうしてだろう?と考え、その背景にある「価値観」がいくつか浮かびました。例えば、恋愛の対象は異性であることが前提であるとか、学校の成績が良くないのはダメだとか、目標に向かって努力するべきとか、20代ならもう一人前に自立するなど、「これが当たり前」「~~すべき」というメッセージがいたるところから迫ってくるのだろうと推測しています。ひょっとしたら、実際に身近な人からそのようなことを直接言われたのかもしれませんが、直接言われていなくても、私たちが普段触れる情報にはそうしたメッセージがたくさん含まれていて、知らないうちに「これって当たり前」の価値観のシャワーを浴びているように思うのです。
でも、本当は違うと私は思います。実際には性別も恋愛も人それぞれで、誰かにあれこれ言われる筋合いもなく、学校の勉強も一つの目安ではありますが、できる人がそこまでえらいわけでもないだろうし、できない人がそんなに悪いわけでもないと思います。何でもできる人もいれば、できない人もいるはずです。それなのに、なぜか私たちは「~~すべき」に振り回されてしまいます。当たり前の価値観シャワーの威力、おそるべし…と私は思います。
あなたが切実に願う「どうしたらもうちょっと楽に生きれるでしょうか?」の問いに対して私は、当たり前の価値観シャワーの強さを減らすことを提案したいです。どうやったら減らせるのか?は簡単ではありませんが、こうしてあなたが感じていることを書いて送ってくれたこと、そして読んだ私が考えたこと、そしてこれを読んだ人たちが考えてくれること、これらすべてがささやかですが、シャワーを弱めていくように私は思います。あなただけではなく、苦しい気持ちで死にトリに訪れる人たちが少しでも楽に生きられるように…何ができるのかみんなと考えていきたいです。投稿、ありがとうございました。

感想2

つらい思いをしてるあなたに向ける言葉ではないかもしれませんが、とても興味深く読ませてもらいました。というのもこれまで私は、「他人に操られている感覚がある…」は身近な人からも聞いたことがあったのですが、「自分を操っている感覚」は初めてだったのと、実は私も身に覚えがあったので尚更かもしれません。ほかにも、勝手ながらあなたの「自己分析結果」を教えてもらっている気になって、ふむふむ…となっていたのもあります。
書きながら色々と出て来たこともあるのかなと思ったのですが、普段からもふとした時に自分を客観視することがあり、でもそれももしかしたら自分を操っている感覚の一部なのかなと考えました。
精神を守っている節もある、と書かれていましたね。読みながら改めて自分の感覚と重ねてみました。私の場合、世間でいう"マトモ"になれるようにと、自分の心を守るために思考と行動が"マトモ"でいられるようにコントロールしている感覚があるかもしれません。無意識にやっている(操っている)時もあれば、とても脳がクリアで「あ、いまなんか自分を操ったな」とわかる時もあるので、あなたの感覚についてももっと聞いてみたくなりましたし、「自分がこの形で存在している恐怖」には、怖さも含めた強い"否定感"があるのかなと想像してみました。
自信のなさについてや、自分のことを無能、と表現しているのを読んで思ったのは、「本当はこうしたいのに…!」という思いもあるからこそ、"わかってはいてもそれができない自分"だけが気持ちの中でやけに目立ってしまって、自己否定や自己嫌悪が増してしまうのかなと思いました。
スマホを見ることも、今目の前の何かのストレスから一旦自分を守っている行動なのかもしれないし、グループワークや大学そのものにまず大きなストレスを日頃から感じていて、空き容量が無い(もうかなり心がしんどい)、でもそれにどうにか対応せねば…!となんとかセーブ&ロードを繰り返している状態なあなたがいるのかなと、ゲームの感覚を交えて私なりに想像してみました。
もしゲームならば、一旦とことんゲームとして機能させてみてもいいのか?とも思いました。仮に、今この世界がまるでVRかのように捉えて、自分を操ることをあえて意識して過ごしてみる日…を作った時、その時自分がどう思うか・何を感じるか…もしかしたらそこに何か、あなたの生きやすさに繋がるヒントがあったりしないだろうか……と思いながら、私自身もそんな日をやってみようかなと一人勝手に考えています。

操っている感覚のことや、あなたが分析したこと、そしてまだ何故だかわかっていないことに対して、一緒に考えたい気持ちになりました。またいつでも投稿してください。

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