経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

精神障害 病みアピ について

精神障害を発症し、精神科に通院しています。一向に寛解する気配がなくしんどくなりました。いつかは治る、希望をもって生きていました 何年も、闘っているのに 病気は治るどころか悪化している気がして。
精神障害者で、普通のバイトが出来ず今高校生で私の地域だけか分からないのですが、A型などの事業所で高校生は働くことが出来なくなって私が働ける所がなく、凄く困っています。

SNSで 病みアピ という言葉が流行ってしまって、これは病みアピなのかな、誰かを不快にさせているのかな、と不安になり辛いという事が言えなくなりました 病んでいることを発信する事の何がいけないのかわかりません。辛い時は辛いって言って良いと思うんです、、

感想1

不調をもたらし悪化を感じる確かな存在があるのに、寛解の気配も感じられずに地域的な要素の部分で取りこぼされている投稿者さんの現状に思わず胸がつまる思いを感じていました。

普通のバイトが難しい状況において、本来なら福祉や支援の力を頼って何とかして現状を少しずつでも好転させたいにも関わらず、(福祉や支援の穴とでも言うのでしょうか)地域差の部分でそれがままならないことには相当な苦労や歯痒さがあるように思います。

それは(私自身の周囲の話を聞いていても感じますが)、何とかして社会との接点をとろうと試みながら動こうとする人の意に反して、個人の裁量や行動力の問題ではなく社会全体側の包括性の弱さになってしまっているように私自身は感じられてなりません。

そういった状況の中だとより孤立感や無力感に苛まれる気がして、排斥されてしまっているような感覚に拍車がかかってしまうような悪循環になってしまう気がしますし、「自分にできることをなにかしらしようとしている」という当事者の気持ちがどこか蔑ろにされてしまうことに繋がってしまうように私には思えます。

また、私自身は闇堕ちすることがとても多い人間なので、投稿者さんが感じられているように「病みアピ」という言葉に疑問を感じますし、「病んでるのは病んでる以外のなにものでもないんだから、辛いときに辛いと絶叫して何が悪い」と思わず言いたくなってしまって自分がいます。。。

つらつらと自分の思ったことを思わず書いてしまいましたが、打ちひしがれる現状も確かなものならば、対して、投稿者さんが今抱えているものがありながら、それを何とかしようとして必死に模索し動いていることもまた厳然とした事実としてあると私には思えるので、それが何らかの形で少しでも投稿者さんのこれからに繋がっていってほしいなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

何年も通院を続け、希望を絶やさないように過ごしている投稿者さんの生活、自分の調子に揺さぶられながら必死に耐え続けるような感覚について想像しながら読みました。精神のバランスは一人で崩すものではなく、周囲の環境や関わり方に大きく左右されるものだと考えているので、(身近な環境がどういったものかはわかりませんが)、投稿者さんが懸命に歩もうとするのに反して変わらない(むしろ窮屈になっていく)社会、いつまでも優しくならない世界に身を置く一人として、猛烈にやるせない思いになっています。

「病みアピ」という言葉自体が、そもそもメンタルの不調や心身のバランスを個人の問題として扱う表現だよなあと私は感じます。その後ろにあるものを見ようともしていない感じというか…お互いに余裕のない社会がそうさせるのでしょうか。誰かのしんどそうな言葉や態度を見るのが大得意という人はいないにせよ、もし「合わない」「今は見る余裕がない」と思ったら批判せずそっと離れられたらいいな、と個人的には思うので、批判的な言葉が流行してしまうときには、それにまつわる何かを発信する側というよりも、受け手側の境界線が試されているのかな?という気がしました。
投稿者さんの過ごし方や選択肢、気持ちの表し方が、社会の流れや枠組みに押し込まれてしまいませんようにと思いますし、死にトリがそこを抜け出す一助になればいいなと感じました。

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