経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

とても辛いです…

小・中学生時代、ずっと人間関係で苦しんできました。1クラスしかなかったので、小1から中3まで変わらない同級生。その同級生からずっとからかわれたり、いじめられたりしてきました。高校以降は人間関係も変わり、それなりに楽しく過ごせました。
しかし、就職してからまた人間関係で悩む事があり、長時間労働に加えてパワハラを受け、心が病んで仕事に行くのが怖くなり、現在適応障害で休職中です。
小・中学生の頃、ここから抜け出せれば、明るい未来がある!と思いながら耐えてきましたが、大人になってからもこんなに悩むことになるとは思いもしませんでした…
パワハラしていた上司は、自己都合で退職しましたが、いなくなったからといって、あの時の苦しみが消える事はありません。
休職していても、復帰できるのか、復帰した方がいいのか、転職した方がいいのか…でも転職して、今より悪い環境になるかもしれないと思うと、怖くて何もできずにいます…
心と体を休めるための休職なのに、色々と考えてしまいます…

感想1

長きにわたり人間関係、それも自分以外のどうすることもできない部分で投稿者さんが苦しめられてきたであろうことを想像しながら読ませていただきました。

学校(特に義務教育の期間)というクローズドな空間で(地域差や人数的な問題もあったのでしょうか?)環境の変化を望めずに、加害を受ける中で自分の力ではどうすることもできない状況に身を置き続ければいけなかったことは、とても心身を削られるものであったでしょうし後の人との関わりに翳りを落とす体験であったのかなと思えました。

そんな中で知ることができた楽しく過ごせることができた高校での生活と人間関係は、「これまでとは違う人との関わり方を感じる何か」として、希望や可能性を提示してくれるものであったのかなと私には思えました。

ただ、だからこそ(というのも変ですが)それ以降(特に社会人になってから)の人間関係において、「やっと抜け出せたと思ったのに、社会に出てからもまた同じように苦しまなければいけないのか」というある種の反動のようなものを伴って、働くことや社会生活における負荷にもなり得てしまったのかなと感じてしまった私がいます。。

ですが、人間関係に悩むことがありパワハラに起因して今は働ける状態にはないのかもしれませんが、「小・中学生の頃、ここから抜け出せれば、明るい未来がある!と思いながら耐えてきました」とあるように、今とは少し違う未来や自分の在り方の可能性を信じながら、投稿者さんが自分と状況に向き合いながら進み続けてきたことには並々ならぬ努力があったことでしょうし、誰にでも容易にできることではないように私には思えました。

もしかしたらそれは「耐え忍ぶ」ことを己に強いてしまい、今のしんどさに繋がっていることもあるのかもしれません。ですが、辛い中でも歩みを止めなかった投稿者さんの軌跡は確かに事実として存在していますし、今は思い悩み答えを出せない渦中にいるかと想像していますが、たとえ休息としての時間と感じられなくてもまずはこれまでの自分を労う瞬間があってもいいのかなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

年齢が変わり環境も変化しているのに、同じような関係性だけが続いていく、自分では打つ手も見つからない。そんな限られたコミュニティでの居心地の悪さを幼少期に体験されてきたのではないでしょうか。

校則や授業、規則や業務、たまたま出会った人たちが集団になり目標や結果を求め日々行動を共にする。学校や会社は似ているところがたくさんあると投稿を読み改めて思いました。心身ともにダメージを受けた現在は、幼少期の記憶が引っ張り出され、辛さも倍増しているのではと心配になりました。休職に至るまでには大変なご苦労があったと思いますが、あの頃と違い耐え続けるという選択を取らず、めちゃくちゃな日常を一時停止したあなたに安堵感を覚えました。自分自身のために休んでくれてありがとうございますとも、伝えたくなりました。

長時間労働で会社のことを考え続けることを強要されてきたのですから、会社のことをぐるぐると考えつづけてしまうことは仕方がない気もします。子ども時代はお金も知識も少なく選べる自由は無かったと思いますが、傷つきながらもここまでやってきたあなたには選択肢が増えています。風にあたってもヒリヒリしないくらいまで心身を休めて欲しいと願うような気持ちになりました。投稿いただき、ありがとうございました。

一覧へ戻る