経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

会いに行くべきか

今まで人に言えなかった話をします。

私の母には前科があります。
この話を聞いたのは自分が23歳のとき。
それまでは正直、自分の家のこと、ほとんど知らないまま過ごしてきました。

詳しい内容は控えますが、出稼ぎで来ていた母は、結果として強制送還され、日本には二度と来られなくなりました。自宅に家宅捜査が来たりもしていたそうです。物心つく前にはもう母はおらず。私の記憶に残っている姿は、忌引で出向いた刑務所の面会室で。良く知らない母から「一緒に行こう」と言われたことだけで。「知らない人に連れて行かれてしまう、行きたくない」と、怖くて泣きながら帰ったことです。真っ白な壁に覆われた部屋、無表情で記録を取る監視員、オレンジの服を着た母、あの空気感が30歳を超えた今でも鮮明に思い出すことがあります。

幼少期から定期的に送られてくる手紙や電話で「会いたい」「卒業したら一緒に暮らそう」と言われるたびに、読むたびに、心が死んでいくような感覚でした。父からは「お母さんからだからお返事を書きなさい」と言われ「私も大好き」「私も会いたい」と、思ってもないことを伝え続けました。そうするべきであると幼い私でも分かっていたんだと思います。世の中には親から愛されることがなく辛い思いをする方もたくさんいて。私もそれを友人などの家庭で見てきているので。それに比べて私は愛されているはずなのに、親不孝で贅沢な悩みだと思うのですが、その時間はとにかく辛いものでした。

昭和生まれの喧嘩っ早い父は、幼い私と、引きこもりの異母兄弟である兄を育てつつ、母への仕送り、闇金への返済に明け暮れており、私は所謂放置子でした。電気やガスが止まることも多かったですし、5歳くらいからは現金を持たされ一人でコンビニでご飯を買っていました。服などもあまり買い与えてもらえず、そういったことが原因でいじめにもあっていました。

当時はただでさえ「片親」というものがまだまだ偏見のある時代でしたので。取り立てなども相まって私は近所の同級生の家庭からはかなり疎まれていましたし。幼稚園などに通っておらず、人との会話がうまくできず話しかけられると泣いてしまい、それが普通ではないと言われ、友達はいないし、学校では毎日ひどい言葉をかけられたり、罰ゲームの対象でした。高校上がるまではとにかく家でも学校でも居場所がなく、毎日が地獄でした。
今では仕方のないことだと思いますが。

話がそれてしまいました。

私が今悩んでいるのは
海外に住む母に会いに行くべきか、ということです。大人になった私は、「今さら会っても仕方ないのでは」「あなたの子供ですよという顔をして会える自信がない」という気持ちと、「母が亡くなる前には会わなければならない」という気持ちでいます。

スマホが普及してからはLINEでやり取りをするのですが。私は返信をおろそかにすることが多く。そうすると向こうの日本人の知り合いの方から「お母さんはあなたに凄く会いたがっています、返信をしてあげてください」と言われ、そこからは返信や最近の自分の写真を送るようになりました。「おばあちゃんが亡くなりそうだから一目合わせたい」と言われた時は断ってしまい、それを期に会いに行かなければいけないのか、ということを頻繁に考えるようになりました。

しかし、そのことを考えると途端に涙が止まらなくなってしまいひどく落ち込んでしまいます。母がいないあの頃から32歳になった今でさえこの状態で、私はあと何年経ったら「母に会いたい」という気持ちになれるのでしょうか。それとも来ないのでしょうか。

この状態で会っても、母も自分のことも、傷つけるだけなのかもしれないですね。

感想1

人の価値観や感性はびっくりするくらい小さいころからの積み重ねで(もっといえば小さいころに完成してしまう勢いで)出来ているなと、過去の傷やトラウマ、親との関係に悩むときによく感じます。大人になっていろんなことを知っていき、「正解」や「模範」のような行動や考え方をどれだけ理解しても、それが自分の中にある感情や経験と噛み合わない場合、どうしたってその乖離に苦しむことになってしまうなと思います。

読ませていただいて一番感じたのは、「”私も会いたい”と心から思うのはそりゃ難しいよな…」という率直な納得感でした。物心ついた頃から家にいない、「よく知らない人」である母からの言葉を、スッと受け入れられるはずもないと思います。幼少期のあなたからしてみれば、実感も実態も伴わないまま周りに促されて「大好き」「会いたい」という言葉を紡ぐことは、結果的に「母の不在」を色濃く感じさせられる瞬間でもあったのかなと想像しました。それと同時に、そもそもあなた自身は家庭環境や学校での生活に振り回され、その環境下をサバイブしていたと考えると、本当にいっぱいいっぱいだったのではないかなと思います。
(片親だから、ということでなく、そもそも周りの偏見やいじめ自体が良くないものではありますが)経済的な不安定さなどでそもそもの生活基盤が整いきらない、安心安全を感じづらい環境に身を置いていたこと、その状況下で不在の母について「対応」することは、あなたを必要以上に早く「大人」にさせたような気がします。その分、両親に対する「子どもとしてのあなた」の感情はどこかに追いやられ、深いところで眠っているようにも感じられて、だからこそ「自分は母をどう思っているんだろう」「会っておく”べき”なのではないか」という思考と通念のようなものが、自分の「感情」を手繰り寄せる過程で激しくぶつかりあっているように私には見えました。

どういった選択をしても後悔することは避けられないのかもしれませんが、死にトリが、あなたが抱え続けているものを一時的にでも降ろせる場であればいいなと思います。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。
今回、誰にも話せなかった思いや経験を打ち明けたことは、あなたにとってどんな時間だったのかなと思いを巡らせながら読みました。

当時の鮮明な記憶は、時間軸でいえば過去の出来事になりますが、思い出す瞬間の混乱や衝撃は「いま」のこととして再体験しているのかなと感じました。
母親からの手紙や電話に触れるたびに「心が死んでいくような感覚でした」と書かれていましたが、無理もないことだと私は感じました。
自己一致していない言葉を紡ぎ続けることは、深い葛藤と心理的負荷がかかることだと思います。
愛情や関心を向けられることが、状況によって必ずしも幸せなこととは言えないと、あらためて考えています。
本来であれば適切なケアやサポートを受けるべきところを、周囲の無理解や偏見にも晒され、文字通り「毎日が地獄だった」日々を想像すると、こちらも苦しく、胸が詰まるような思いでいます。

母親とあなたの再会に対して、私は、ここまできてもあなたが苦しい思いを抑圧して応えなければならないのかと、率直にもどかしさを感じてしまいました。
タイトルでは、会いにいく「べき」か、と書かれていましたが、自分ではどうにもならない状況に適応せざるを得なかったあなたにとって、葛藤の根源に自分の意思を求められることは、なかなかにつらいことでもあるのかなと想像しました。
「母親に会いたい」という気持ちがいつかどこかで湧いてくることを待っているあなたもいたりするのでしょうか。あるいは、そう思わなければならないという、プレッシャーや焦燥感によって押し寄せる不安なのでしょうか。
こうして問いかけること自体があなたの葛藤をより深めてしまうのではないかと心配しつつも、「会う」という選択があるならば「会わない」という選択も同等に存在し、どちらを選んでも何も間違っていない、ということを伝えようとしている私がいます。

簡単に解決するような葛藤ではないと思いながら、何においても、あなたの安心と安全が守られてほしいと、静かに願うような思いでいます。
人知れず抱えている気持ちを吐き出す場所が必要なときには、よかったらまたお話を聞かせて下さい。

お返事

感想ありがとうございました。
何回も繰り返し読ませていただきました。

自分の人生を振り返ると、人には言えないことがたくさんあって。でも、こうやってお話を聞いていただいて、寄り添っていただいたことで、小さい頃の自分の存在を認めてもらえるようで有り難く思います。

周りの家庭環境の悪かった知人は、
今やみんな親の病気の介護や援助をしっかり行っていて。
「まぁ親だしね。昔は色々あったけど今は仲いいよ。」と言います。みんなちゃんと大人になって成長しているんだなと思うと、私もそうならなければという気持ちが強くなります。

小さい頃にテレビから流れていたドキュメンタリーで、育ててくれた親は本当の親じゃなくて、だから生みの親に会いたくて探して見つけて、感動の再会を果たす、そんなのがよくやってました。私もいつかこういう日が自然とやって来るんだと当時は思っていました。

でも本当は「それは辛かったね」「無理して会わなくてもいい」って誰かに言って欲しかったんだと思います。

でも、もし母が死ぬ瞬間に思い出すのが私だったらと思うと会わないことへの罪悪感を感じてしまいます。私にとっては他人でも、母にとってはお腹を痛めたこどもですもんね。

きっとこの繰り返しを、一生悩みながら生きていくんだと自分でも思います。また同じことで躓いては自分を責めてしまうと思いますが、少しでも前向きになれるように頑張りたいと思います。

どうしても気持ちに行き場がなくなったときには、またこちらに投稿させていただきたいと思います。ありがとうございました。

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