経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

50も過ぎたのに

50も過ぎたのにお金はない、派遣とか非正規でしか働けない。
世間一般的なスキルすらない自分が悪いんだけど、ただ働きたいだけなのに、安くたたかれてもギリギリで生きていけたらいいレベルのお金さえもらえたら喜んで働くのに、年齢が、スキルが、容姿がダメで(予想でしかないが時折そんな気もする)落とされる。
50も過ぎたのに情けないなぁ。
生きてる意味ないなぁ。
日雇いバイトして生き繋いでいる毎日。
早く死にたい。明日にでも死にたい。
自分で命を断つ勇気ないから事故に巻き込まれたり通り魔に殺される事を願ってしまう。
死にたいなぁ。
後先考えずに無責任に死にたい。
そしてもう生まれ変わりたくない。人間になんかなりたくない。

感想1

短い文章でありながら、自分に対するやるせなさ、世間の厳しさに対する虚しさ、これまでを振り返ってのしんどさなど、いろんな感情が詰まっているように想像しながら読みました。「生き繋ぐ」という言葉に日々の徒労感が表れていて、働くこと、生きるということそのものがどんどん難しく、厳しくなっていく中で、疲れをぐっと押し殺してどうにか毎日を積み重ねているようなイメージが浮かびました。

私自身は、「もう50歳だから難しい」という言葉と、「50歳はまだまだこれから」という言葉、どちらもよく聞くけれど、どちらも苦しいなあと感じている20代後半の一人です。
後者の言葉には一見励まされるのですが、実際に社会を見渡すと、どことなく「これまでのキャリアの積み重ねを活かして」というような含みがあるなと感じます。自分自身、一社会人として働いてみて、1つの場所や職種で何十年も経験を積んだり、人間関係を築き上げたりすることは決して簡単ではなく、かなりの消耗と痛みを伴うような気がしています。しかもその”レール”のようなものが誰にでも選択できる場所にあるわけではないような社会の不平等さも感じます。そう考えてみると、「痛みに耐えて社会に適応し続けること」が評価される世の中のような気がしてきて、それってどれだけ苦しくてもレールから降りることができない(何かを続けないといけない)ということではないか、と強い不安と怖さが今の年齢なりに襲ってきます。
その日その日を生きた先で、年齢が自分の人柄や生きてきた道より先行して見られる社会では、誰もが年齢と共に生きる道を塞がれてしまうような感じがします。お金のため、人生のため、必死に走り続けることを暗に要求されるのは、あまりに苦しいな…と思います。

感想2

投稿ありがとうございます。
私がこれまでに感じていたことなのですが、「この人・あの人〇歳なのに…」のような、社会からの偏見や、年齢だけで判断されている圧がある気がしています。あくまで年齢は年齢で、(そこには良さも悪さも無く)生きて来たかたちはそれぞれ違うはずなのに、そこだけで判断されてしまうことが多いなぁ…と、私自身、嫌だなと思っている部分です。
あなたが、「自分が悪い・情けない」と感じてしまうのも、そういった社会の"目"からきているところもあるのかもしれない…と読みながらつい腕を組み、考えていました。
また、文章から、数々の面接で嫌な思いをして来たあなたがいることを想像しています。
日雇いバイトでなんとか毎日を過ごしながらも、そんな時にふと客観的に自分を見てしまう瞬間があって、「なんでこんなことしてるんだろう?」と死にたい気持ちや、もう「この人間の人生を終わらせたい」気持ちがふつふつと湧いてくるような感覚があるのかな…と私の勝手な想像です。
もしよかったらまたあなたの死にたいについて教えて下さい。

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