家族や学校など周囲の環境に嫌だなと感じたことはありません。
ですが、幸せだと感じることもあまりありません。
僕は学校で学級委員をしているのですが、声かけをしてもクラスメイトには聞こえていないようで、先生が大きな声で呼びかけるとすぐに座ってくれます。そんなとき凄く悲しくなります。そもそも僕はやりたくて学級委員になったのではなく、友達に推薦されたからなったんです。
また、僕は些細なことで腹を立てがちで、少し大きな声で笑っている友達がいるだけでもイラッとします。
そして友達に話しかけると作り笑いをしてしまいます。できるだけ嫌われないように、オーバーなリアクションをして、思っていることと全く違う態度をとってしまいます。
そしてそのあと、自分の笑い声が周りを傷つけていないかすごく不安になって、僕は自分がが苦手な人に自らなろうとしているという現実と感情の矛盾にどうしようもなく嫌な気持ちになります。
そして、誰かに相談しようと思いました。
ですが、どうしても笑ってしまって、あたかもそれが冗談であるかのようになってしまいます。本当の自分の気持ちを誰にも伝えられません。誰にも気を遣わせたくない。
作り笑いなんてもうやめたいです。どうすればいいかわかりません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
脱作り笑い
感想2
周りから嫌われないように作り笑いをするあなたが、あなたの感情を牢屋に閉じ込めてしまっているような想像が浮かびました。それはあなたが意図的に閉じ込めたのではなく、周りの環境に適応しようとした結果そうなってしまったのだとも思いました。
作り笑いをするあなたも、それにかくれた感情もどちらもあなたの一部なのだと私は思います。そしてその二人は今、敵対関係や主従関係にあるような気がしました。敵同士だと戦ってしまうから、勝敗がついてしまうけれど、どうにか手を取って協力し合えないかな?と勝手に考えていました。作り笑いをしてしまうあなたの主張と本音を伝えたいあなたの主張をそれぞれ聞いてみて、一時休戦の会談ができたらなんて…。ずっと作り笑いをしてきたあなたにとっていきなり本音を出すのは難しいだろうし、当たり前を変えるのってすごく怖い事だとも思うので、徐々に脱作り笑いを目指していくための方法としてどうだろう?とついつい言いたくなりました。(全然参考にしなくても大丈夫です)文字だと作り笑いは難しそうなので、練習がてらまた死にトリも使ってほしいなと思いました。
感想1
在りたい自分があるのに学級委員などの役割や周囲から求められる像とで現実とのギャップがあり、「自分らしくあること」がままならない投稿者さんの今の苦しさが「嫌だとも思わないけど幸せだとも感じない」今に繋がっているのかなと読ませていただいて想像していました。
学級委員という望んでいない役割をこなさなければいけない中で、「自分の声では動いてくれないけど、先生の声には反応する」ということは、推薦されたからなったことをどこか無碍にされたり蔑ろにされているように感じますし、悲しくなることは無理もないように私には思えました。
そしてそれは「些細なことでも腹が立ちます」とあるように、損な役回りを押し付けてきたのに自分たち(他のクラスメイト)はそのことに無頓着で好きなように騒いでいるとも捉えられて、投稿者さんの中でどこか引っかかってしまっていることに繋がっているのかなとも感じられました。
そういった「他人から求められる自分」に無意識に応えようとしてしまうことが、いつしか投稿者さん自身の気持ちや感情に蓋をしてしまうことになって、周囲に対して自分の本心とは違う態度として「作り笑い」をしてしまうことになっているのかなと勝手ながらに想像してしまった私がいます。
気持ちとは裏腹な態度をとったり、素直な感情の露出をしないことは、こと集団の中においては特にしんどくなってしまうような気がします。ですが、「自分の笑い声が周りを傷つけていないかすごく不安になってしまう」や「誰にも気を遣わせたくない」とあるように、それらのことは投稿者さんが周囲に対して、常に相手を慮って配慮を忘れずに人付き合いをしようとしていることの裏返しとも言える気がします。
ただ、そうは言っても自分の本当の気持ちを誰かに伝えられないことはやはり辛いものであるように感じるので、「誰にも気を遣わせたくない」という気持ちは大切にしつつも、その中で投稿者さんが本当の自分らしく在れる、誰かに自分の本心を伝えられる、「脱作り笑い」を個人的に応援したくなりました。投稿ありがとうございました。