経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きていける気がしない。

今年4月から新卒で働いている20歳女です。

小学生時代は異常に強いこだわりから癇癪を起こし、中学時代は周りから明らかに浮き席替えで周りからハズレ枠認定され、高校時代は勉強についていけずプチ不登校になり、短大では楽な道を選び大した資格もとらず……と、今までの経験から、自分が異常かつ怠惰でどうしようもない人間であることは分かっていました。
そんな中、就活の材料にするために始めた接客業のアルバイトは一度もズル休みすることなく長期間続けられた為、少しはまともになったんじゃないかと勘違いしていました。

しかし今、就職してから自分だけ明らかについていけていません。
スーパーの惣菜部門に配属されましたが、周りが見たことの無いようなありえないミスばかり連発しています。異物混入させそうになったり、作業が信じられないほど遅かったり、ラベルの向きがぐちゃぐちゃになったり……。元々不器用な上急ぐとパニックになりやすく、言われたことすら完遂できずに何をやっても空回りしています。そんな自分に嫌気がさしてか体調を壊し、ついに3日間連続で休んでしまいました。ただでさえ仕事が出来ない人間が更に休んだため、パートさんからも余計反感を買ったことかと思います。

こんな人間がまともに生きていけるわけが無いのでどこかで人生詰むだろうとは思っていましたが、どうやらここだったようです。
周りの友人や恋人、家族はあまりにもまっとうな人間ばかりでなんで自分だけ出来ないんだと憎くて憎くて仕方ないです。能力が低い上に怠けているのですから救いようがありません。

もう消えてしまいたいです。どうやったら消えられる勇気が出るんでしょうか。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。“できない自分”への苛立ちと、“普通であるはずの周囲”との落差に、ずっと長いあいだ押しつぶされそうになってきたのではないかなと想像しています。小学校から今に至るまで、さまざまな場面で”普通じゃない”、”劣っている”と感じさせられてきた経験の積み重ねが、自分自身に対する深い不信感を作り上げてしまったように感じます。そしてそれは、思い込みではなく、そして気にしないでいられないほど、確かに現実として何度も“うまくいかなかった”体験をいくつも重ねられてきたことで、そう簡単に癒えない痛みを抱えているようにも感じました。
でも一つ、とても強く感じたのは、「自分がどうにかしなければならない」という責任を、あなたが真剣に、そして誠実に引き受けようとしているなということです。過去を淡々と反省しながら、“自分の非”として引き受けているところに、私はあなたを怠けているとは思えませんでした。むしろ、ずっと自分を責めながらも、真っ当に生きようと足掻いてきたのだと感じます。
アルバイトをズル休みせずに続けられたということも、何よりも、あなたが「続けよう」と意志を持ち、それを行動に移し、そして最後までやり通したという事実だと思います。それが今、新しい環境でうまく機能していないという現実は確かにあるかもしれませんが、それは“怠け”や“根性のなさ”などではなく、向き・不向き、あるいは環境との相性という要素も大きいのではないでしょうか。きっと今の現場は、想像以上にスピードと同時処理能力、正確性を要求される場所なのではないかなと想像しますし、それが苦手な人にとっては、毎日がどこか綱渡りのような感覚(と、私はイメージしました)になってしまうのも無理はないなと私は感じました。
そもそも、初めての社会人経験で、未経験の環境に飛び込んでいる最中に“戦力であること”を求められるようなこの社会の風潮そのものが、あまりに酷なことだなと感じます。(そうではない会社ももちろんあるとは思いますが…)新人が適応に苦しむことも想定しておくべきなのでは…と私は思いますし、それを個人の人間性の問題として責めるような構造が、頑張っている人の心を折りかねないよなと。そして、失敗するたびに「やっぱり私は駄目なんだ」と自己評価を削られていくこの負のループは、あなたのせいじゃないよと伝えたくなりました。
あなたの今の苦しみがすぐになくなることは難しいことかもしれませんが、うまくできないことは、あなたの価値を損なう理由にはならないし、合わない環境で“普通”を演じようとするよりも、あなた自身にとって息ができる場所を探すことの方が、よっぽど健全な選択であると私は思います。抱えているしんどさ、消えたい気持ちをそのままに受け止めたいと思いつつ、どうかこの先ほんの少しでもあなたが安心して仕事ができたり、過ごせたりする場所や人に出会えることを願っています。また、死にトリが必要に感じられたらいつでも声を届けてください。

感想2

これまでずっと「自分は周りと違うんだ」という感覚を持ち続けてきたのかなと感じながら読みました。学生当時の投稿者さんが自分をどのくらい客観視していたかはわかりませんが、自分で自分を肯定できない感覚を抱きながら進学・就職と進んできたことは、メンタル的に決して容易なことではないと私は思います。そして辿り着いた就職先で「出来ない」という感覚に打ちのめされ、アルバイトでの自信があった分、より一層ダメージに襲われているのだろうか…と想像しました。

学校は冷たい言い方をすれば「人を平均化して評価する」場所だと思います。集団として見られる中で人と合わなかったとき、それがそのまま「馴染めない」「ついていけない」感覚を生み、人と一緒でないこと自体が「良くないこと」のように刷り込まれていく仕組みだと思います。投稿者さんが実際にどんな方かに関わらず、仕組みとして「弾き出される」ようなつくりになってしまっているのが今の学校や、ひいては社会そのものなのかな…と感じています。そんな枠組みしか経験できないまま社会に出ると、「与えられた環境に適応する」ことができることがえらい、という感覚がどうしても染み付いているような気がします(私含め)。でも本当は、自分に合ったもの・合わないものというだけなのかもしれないなあと思ったりもします。投稿者さんは接客業を長い間続けられたということですが、それと今のお仕事は要点や求められる力が多かれ少なかれ違うのではないかな?と私はイメージしました。新卒で入って数か月で「合う・合わない」と考えるのはもしかすると躊躇うかもしれませんが、私自身は新卒を半年ほどで辞めてから、どうにか「自分でもできる仕事」を探してかき集めて生きていたりします。なので、「”どこででもやっていける人間”じゃなくても、案外大丈夫」とそっと伝えてみたくなりました(とはいえいまだに「いつ社会から見放されるか」と不安な気持ちなので、あまり説得力はないですが…)。
「自分は大丈夫」と思えるようになるのはすごく難しいですが、少しずつでも「大丈夫かも」を集めていけたらいいのかな…と感じました。投稿ありがとうございました。

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