数年前から適応障害を発症しています。最初はチームの正社員が減らされた上に仕事が多忙になったことに加えて、チームのパートさんや派遣社員さんが私にはどうしようも出来ない理由で次々に退職し、加えてその派遣社員さんは在職中も私が頼んだ仕事は拒否するような人であったことから正社員である私が全てを被らなければいけなくなったことでした。上司に相談しても当時の上司は「やるしかないだろう」と言うだけで何も対処してくれず、上司が異動した時には私の心は手遅れで、朝起き上がれなくなったことから心療内科を受診し休職に至りました。
その後復帰し、合う場所、合わない場所を転々としながらもようやく合う場所で長期間働くことができ安定しかけていましたが、また正社員が減らされ、私がチームの全てを被るしかなくなったことで仕事は山積みになっていき、それに従ってフラッシュバックのように具合が再び悪くなりました。今度の上司は話は聞いてくれましたが上司の一存だけでは人員をどうすることもできず、薬の量も増え頭や身体が思うように働かなくなり、トイレに入ると泣くことが増え、最初の診断を受けてからずっと通っている心療内科からのドクターストップという形で再び休職となりました。
ですが家にいても、肩身の狭い思いをしています。未婚で実家暮らしですが、親は「適応障害で休むなんて情けない」と思っています。普段は責められることはありませんが、私がふとしたことで泣いてしまったりすると「こっちも気を遣って我慢している」というように叱られます。昔からそうでしたから私は言い返せません。言い返すと叱られる時間が延びるだけです。それでも親は私のことを思いやっていると思っています。一度その矛盾を、昔言われたことを引用して指摘しましたが、「そんな昔のことを覚えているなんて気持ち悪い」とやはり結局叱られる時間が延びるだけでした。ですから黙って耐えるしかありません。
適応障害は甘えではないという言葉が世に溢れていますが、理解してもらえなければ意味がありません。ですが根性論で生きてきた親に今更それが分かってもらえるとは思いません。何年も心療内科に通っている姿を知っていてなお、その反応ですから。今の私は単なる世界のお荷物です。家にいるのも苦痛なので職場復帰したいですが職場復帰しても働けなければ意味がありません。給料は安い上にこんな状況で一人暮らしをすることもできません。私はどうしたら消えられるかを考えるようになってしまいました。人よりも早く仕事をこなせていたあの頃に戻れればどんなにいいか。ただ早く仕事をこなせていたから、チームの社員が削られる対象になってしまったということもありますが。
私の人生は何で詰んでしまったのか、私の努力が足りなかったのか、私は甘えているのか。私には生きていた理由があったのか、最近はそればかりを考えています。
感想1
強い切迫感や自分を責める気持ちが痛いほど伝わってきました。同時に、心から「あなたは何も悪くないし、そのような状況であれば適応障害になっても無理もないです」「努力が足りなかったのではなく、むしろたくさんの努力をしてきたと思います」「まったく甘えているとは思いません」などと労いの言葉をいくらかけても足りないぐらいだと感じました。というのも、書かれていた職場の状況はかなり深刻だと思いました。本来は組織として対応しなければならないはずが、あなたのような一社員に負担がかかったのですから、あなたが悪いということはなく、むしろ労災になってもおかしくないと感じるほどです。また、それだけ心身に負担がかかり、休息しなければならない状況であるのに、家族の理解が得られないことも気がかりでした。まさにタイトルにある「無理解が痛い」という表現がぴったりだと思いました。可能なら、少しでも理解してくれる人の近くで休んでほしいと願う気持ちですが、家族が急に変わるわけではないですし、そう簡単なことではありません。また、あなたの親だけではなく、世の中にはかなりの根性論が根付いているので、様々な形であなたにプレッシャーをかけてくるようなこともあるかもしれません。あなたを苦しめている適応障害は単にあなたの心の病気ということではなく、私たちが生きるこの社会の課題を映し出しているように思っています。働き方や会社の在り方、根性論ではなく、余裕をもって生きていくにはどうしたらよいのか考える機会になると感じました。今はいろいろな意味で追い詰められて、人生が詰んでしまったと感じるかもしれませんが、私には必要な離脱であり、大切な休養の機会だと感じました。こうして自分の気持ちを書くことで少しでも楽になりそうなら、いつでもまた書いて送ってください。