経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

おしえてください

生きていくの疲れました。バイトで人の目気にしちゃうしお客さんからの冷たい態度とか耐えられないし学校のことでどんどん焦ってきてなにすればいいかわからないしいま生きていたらいまよりつらいです。いきていたくないです。唯一の助けは母です。だけどシングルで私達兄弟5人を頑張って働いて育ててくれていて迷惑かけたくないです。疲れている母に、疲れたとか辛いとか死にたいとか絶対言いたくない。幸せに生きて欲しい。
もう生きていたくない。死のうと思っていろいろとやってみました。けど躊躇して無理でした。
私はどうしたらいいですか。いまは立っているのがやっとです。なにもする気力がありません。なにもしたくありません。どうしたらいいですか。わかりません。

感想1

本当に疲れ切って、立っているのもやっとのあなたの姿を想像しています。何かのきっかけで保っていたものがプツンと切れて書き綴ったのか、それともずっとぐるぐると一人自分の中で抱えてきた気持ちを吐き出したのかな?など考えています。同時に、母に迷惑をかけたくないと普段は明るく元気にふるまい、周囲にはこんな気持ちを気づかれてないあなたの姿も想像しています。多分、いろいろなことを敏感に感じ取り、周囲にも目を向けながら、気遣いをしながら生きてきて、知らないうちにじわじわと負担やダメージが蓄積していったのかもしれないと考えています。
自分が何をしたらエネルギーを使いすぎているのか、また自分のエネルギーストックはどれくらいあるのか、限りあるエネルギーをどのように効率よく使って行ったらいいのか、実はとても大切な生きるためのスキルなのですが、学んだり考えたりするチャンスはあまりないように思います。また、目で見てわかるわけではないので、自分でも気づかないうちに疲れ果てることもあるでしょうし、周囲と比較して自分の努力不足と感じることもあるかもしれません。ただ、こうしてあなたが自分で疲れ切ったことを自覚していること、そしてこうして発信できていることだけで十分だと思いました。何もしたくない中でも、気持ちを書いて送ってくれました。そのあなたの意思と行動を私は受け止めたいです。これからも、必要な時はあなたの声や気持ちを届けてください。いつでも待っています。

感想2

投稿読みました。色々なものを抱えながら、一人で静かに耐えてきたのだろうなと想像しています。「立っているのがやっと」というその言葉に、ギリギリの状態でいよいよ限界がきてしまっている、そんなイメージも抱きました。
バイト先での人の目、冷たい態度、将来への不安、学校の焦り…一つでもしんどいのに、重なってのしかかってくるとき、人は心の逃げ場をなくしてしまうものだよなと思います。そして唯一の心の拠りどころであるお母さんにすら、苦しさを伝えられないという状況が、さらにあなたを追い詰めているように感じました。「言いたくない」という気持ちもあるかもですが、どちらかというと「言ってはいけない」と自分に言い聞かせているようにも私には映りました。
死に気持ちが向かってしまったのも、衝動的なものではなく、日々の中で少しずつすり減っていった結果としての、切実な叫びだったのだと思います。
生きづらさを個人の弱さのように語られがちな今の社会で、実際には「頑張りすぎている」人が自分を責めてしまう現象は、あまりにも多いなと感じます。頼るという行為が「迷惑」や「甘え」として誤解されてしまう風潮も、その一因になっているなと思います。でも本当は、人に頼ることも、助けを求めることも、生きていく上でとても自然なことで、誰にでもあっていいものだし、必要な行動だと私は思います。
今すぐ何かを無理に始めようとしなくてもいいし、何もする気力が出ないなら、その気持ちのままで、今はいてもいいのではないかなと私は感じました。私自身、無理をし続けて(そもそもそこに気づけていなかったのですが…)動けなくなってしまった経験があるので、そこまで至る前に心休められそうなら休めてほしいと思ってしまいます。
もし誰かに話せたらな…という気持ちがあるのであれば、匿名で相談できるSNS相談やメール相談などもありますし、そういったものを活用して誰かに今の気持ちを聞いてもらうことで肩の荷が軽くなることもあるかもしれません。もちろん死にトリにも必要な時にまた声を届けてくれたら、こうして一緒に考えたり、あなたと言葉を交わせたらなと私は思っています。いつでもお待ちしていますね。

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