友達と喧嘩した。
自分が悪いことしたのはわかってる友達に対して「お前」とか「ふざけんな」とか矛盾したことを言ったりとか、中学行ってない友達に中学の話をしてごめんって謝ったり、全部冗談だったり本当に申し訳ないって思っているつもりなのに全部怒りの発端うちの嫌いなところ言われすぎて自分は「ダメなところがいっぱいあるんだ」「いない方がいいんじゃないかな」って思ってしまう、友達に対してすごく謝ったそれでも許してくれない、口下手な自分も悪いでも、うちにも友達に対しての言い分はあるそれを友達には言ってないなんで、うちはいっぱい言われても我慢してごめんって謝ってるのに、言い返さないで謝ってるのにうちが謝っても、もっとうちの嫌いなところを言ってくる、友達なんて作らなきゃ良かった。もうやだ、いなくなりたい自分はダメダメなんだ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
友達関係
感想2
私は結構な大人になってしまったので、喧嘩自体をすることは久しくないですが、あなたの経験談を読み、子どもの頃はよく喧嘩をしたし、喧嘩した後ってあれこれと後悔することもあったなぁと思い出していました。どうやら、人は仲良くなると相手が分かってくれると期待が勝手に膨らみ、その通りにならないとこれまた勝手にがっかりすることがあります。いわゆる人の距離感(特に友達のような近しい関係性をほどほどに保つこと)は難しいものだと思います。そういう意味ではまだ人間関係が上手ではない時の喧嘩は距離感の練習なのかなと思うところがあります。ただ、そう言われても喧嘩をして嫌な思いを引きずっている人にとっては、あまり慰めや切り替えにはならないかもしれませんね。
投稿してから少し時間が経っているので、ひょっとしたらもうすでに仲直りをしているかもしれませんし、もっと喧嘩をしていることもありかもしれません。どちらにしても、一人で抱えずにこうして気持ちを出せるあなたは、あなたなりに前に進んでいくだろうと思っています。
感想1
まだお互いに若かったり幼いからこその、言葉足らずなことや伝わりあわない難しさやしんどさのようなものを投稿者さんが感じているのかなと私自身の過去を思い返しながら読ませていただきました。
友達との喧嘩がどんなものだったのかは私には想像するしかできないのですが、「友達とはいえ(いや友達だからこそとでもいえるでしょうか)」どちらかが悪く、どちらかが悪くないということは少ないように(私自身の経験上としても)思えます。
それは先述した通り、そもそもが「言葉足らず」であったり、お互いに自分の意図とは違って相手に伝わったりで「ズレ」や「摩擦」として関係に軋轢を生んでしまうことで、どちらかが「一方的に悪い」といった話とはまた違う場合も多い気がします。
ただ、「謝っても許してくれない」とあるように、向けられた言葉を許すかどうかは相手が決めることでもありますし、投稿者さん同様に友達もまた何かを我慢して許すことが出来ないという気持ちももしかしたらあるのかもしれません。
ですが、そうは言っても投稿者さんが誠心誠意謝罪を伝えているのに、自分の嫌いなところを言い続けていい理由にはならないと思えますし、その気持ちを飲み込んで投稿者さんがひたすら謝り続けるのもフェアじゃない関係に思えるので、自身がしたことに対してしっかりと謝罪の意思を伝えたなら、無理に関係を続けなくても少し距離をとったり時間を置いてみる選択があってもいいのかなと私個人としては思いました。
また、何か吐き出したい気持ちや時間が経って変わった考えなどがあれば書きに来てくれればと思います。投稿ありがとうございました。