私は小学生の時によく「空気読めてない」「友達やめよ」「性格直した方がいい」など沢山のことを言われました。でも私小学生から気を使って話してたりしていたのでなんでなんだろう。って思っていました。色々な噂が広められ、ひとりぼっちになってしまいました。小六になると休み時間はほぼ1人。担任に心配されるくらいでした。でも悩みなんて言えませんでした。昔からため込むくせがあったからです。1人のまま中学に入学しました。中学校ではなるべく自分を隠してこれまで以上に気を使って嫌われないようにしないと。が強くなって、友達と喧嘩などをしてもずっと私が謝る。もはや私が謝らないと毎回許して貰えませんでした。中学生になると先生も変わるため誰を信頼していいのか分からかったんです。自分のことを話したら嫌われるんだろうなって思ってずっと悩みが溜まっていくまま過ごしていました。でも中学一年生の後半のある日リスカをし始めました。そっから毎日しないと気がすまなくなりました。そしたら次は「消えたい。」という感情が出てきて苦しかったです。本気で死んでやろうと思ってました。でも結果的に無理でした。怖かったんです。死ぬことが怖いまま中学2年生を迎えました。ここで仲のいい先生ができました。でも相談できませんでした。相談できずに2年の後半らへんにやっぱりこの先生なら信じていいかもなって思って相談したら相談してよかったって思えたんです。そっから重い話などをしていくとついに親に言われました。ずっと言わないでね。って口止めしてたのですが今回は言わないとだよって言われて親に言われました。これこそ死にたくなりました。しかもその先生異動しちゃったんです。そっから相談できずに今に至ります。今でも自分が生きてる価値なんかわかんないし生きてる意味もわかりません。なんとなく生きてます。相談したくてもできない。だからずっと音楽に閉じこもってます。それも限界になってきたからここに書き込ませていただきました。文にするのが下手でごめんなさい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
しんどい
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。伝え方が下手だなんて私は感じませんでしたし、むしろ時間をかけて自分の過去や感情に向き合いながら、何とか言葉にしたのではないかなと想像していました。
小学生の頃から気を使っていたのに、それでも人から否定されてしまった経験は、自分自身を責めたり、信じられなくなるには十分すぎるほどの出来事だったのではないかなと私は思います。人は自分が努力してきた部分を否定されると、ただ悲しいだけでなく、深く傷つくものですよね…。噂や集団の雰囲気によって一人きりにされるという経験は、その後の人間関係や自分の振る舞いにも強い影響を与えるものだと私も経験して思うことなので、その苦しさは感覚的に共感できるところだなと読んでいて思っていました。
中学に進んでから自分を隠したり、これまで以上に気を使ったり、ひたすら謝るようになったのは、ただ嫌われたくないとか、良く思われたいといった気持ちよりも、また一人になりたくないという強い防衛本能の表れだったのではないでしょうか。それは、決して弱さではなく、生き延びるための本能的な選択だったのだと私は感じました。けれど、その防衛本能の裏で、あなたの心がじわじわと傷つき、何とか耐え続けてきたことも伝わってきて、こんなことを言っても仕方のないことなのかもしれませんが、もっとあなたの近くにあなたの変化に気づいてくれたり、気にかけてくれたり、ちょっとでも力になってくれそうな大人がいてくれたら少しは違ったのかもしれないな…と思ってしまう自分がいます。
社会には、「助けて」と言ったときに、それを真剣に受け止められる人や場所がまだまだ足りないのが現実です。「相談したら親に言われてしまった」といった経験も、その先生個人の問題というよりかは相談を受ける側の体制の問題だったり、理解不足も大きく関係していることなのかなとは思いますが、口止めしていても言われてしまったことはショックも大きかったでしょうし、死にたい気持ちになるのも無理はないことだなと私は感じます。
自分の生きている価値とか意味とかすぐに見出すのは難しいですよね…私もよく考えてしまうことなので「わかるなぁ」と思いつつ、ただ、こうして文章にして誰かに伝えようとしたことは今の現状を何とかしようとしている証でもあるし、変えるための一歩でもあると思いました。そしてあなたの抱いている思いは少なくとも私には届いたし受け止めたいと思ったということを伝えたいです。あなたが感じてきた痛みや孤独は、あなたのせいではないです。この先、少しでも誰かに否定されることなく、安心して話せる場所や人に出会えることを願っています。また死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてください。お待ちしています。
感想1
限界になったときに死にトリを選び、気持ちを届けてくれたことを光栄に思います。文にするのが下手と書いていましたが、とても分かりやすく読みやすい経験談だと思いました。
そして、淡々とつづられたこれまでの経過を読んで、「周囲の大人たち、残念すぎる…」と悔しい思いがしました。せっかく、あなたが勇気を振り絞って打ち明けたことが、あなたの望まない展開となり、そのことで大人への不信感や相談することへの抵抗感につながってしまっていることがよくわかったからです。
それ以前に小学校時代に周囲から言われた言葉は心無いもので、いつも不安や緊張を強いられたでしょうし、人を信頼することへの恐怖につながっても無理もないと思いました。そのような中で、中学以降はあなたが何とか自分の力だけで、難しい人間関係をうまくやろうと努力してきたことがよくわかりました。周囲から嫌われまいといつも神経をすり減らしていた姿が浮かびました。それだけ緊張状態が続けば、ストレスやダメージが蓄積し、リスカでも紛らわせないと日々を過ごせないのもとても理解できます。リスカもあなたが考えた生存戦略だと思いますし、自分なりにあなたが自分を守ろうと努力を続けてきのだろうと思っています。また、今、音楽に閉じこもっていることも、こうして経験談を送ってくれたこともあなたが自ら選択して行動した結果として、私は支持したいと思います。死にトリはこうして受け止めることぐらいしかできませんが、また必要な時には訪れてください。