経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

依存、人と比べて疲れた

まず2ヶ月付き合ってた彼氏と別れたあと、自分の生きてる理由が彼氏だったから頑張れてたのに、頑張る理由がなくなって、毎日どう過ごしていいのか分からなくなりました。2ヶ月ってすごく短かったけど、私はちゃんと異性から愛されたと思えた場面が少なく、過去に浮気をする人に依存していたこともあり、初めて私のことを心から好きでいてくれる人に出会えました。だけれど、すれ違いや私のわがままで別れて、あの時もっと寛大な心で接していればとずっと後悔が押し寄せてきます。今もネトストをしてしまったり、向こうからストーリー非表示にされて、冷たい返事や対応を見てやっぱり私のことを愛してくれる人はいないんだと思い死にたい、消えたいと思いました。
ただそんなことで?と思う方もいらっしゃると思います。私もそう思います。でも、彼の存在が大きすぎて、依存してしまったからこそ抜け出せません。辛いことがあった日も元彼に報告して慰めて欲しくなります。友達に引きずってることを伝えても、「まだ引きずってんの?そんな男早く忘れな!」と言われます。もちろん私もそう思うのですが、依存は怖く、そう心でわかっていても、自分自身はずっと元彼が1番で、元彼じゃないと無理だと思っちゃうんです。何もしてもダメで、復縁するしかこの気持ちは消えないんだなと思った瞬間、消えたいと思いました。

他にも、私は一般家庭より収入が少なく、周りと比べてしまい嫌になる時があります。例えば大学に通っているのですが、学費を全て親が負担している家庭、免許や車のお金も家族や親が負担してる家庭、自分のお金が無くなった時に親に縋れば貰える家庭を周りでよくみます。話を聞くと毎回羨ましくなり、自分は底辺Fラン大学のため、なんでこんなに高額な学費を奨学金で借りて通っているんだろうとふと思います。親にも申し訳ない気持ちにもなります。就活も学歴フィルターで行きたい会社には入れません。
もちろんバイトもしていますが、私はお金を貯められるような性格ではなく、お金が貯められないです。節約して貯めるだけなのにそんなことも出来ない自分の性格にも嫌になります。ずっと単位を落としていなかったのに、大学へ行くという感情がなくなってしまい、たくさんの単位を落としました。
もう何しても何をやっても、自分の性格に腹が立ちます。頑張って努力すればいいだけなのに、周りのキラキラした大学生たちやお金持ちの人達が羨ましくなります。たったこれだけの事かもしれないのですが、やっぱりなんで生きているんだろうとかんがえてしまいます。おかしいですよね。私が怠惰なだけなのに。頑張るしかないのに。
これを話すと、ゆっくり今は休もうという意見もありますが、自分は休みすぎてもうダメだともなります。何言われても自分が頑張らない限り納得できないんです。矛盾ですよね。もう就活もしんどいし、大学も嫌になるし、周りと比べて疲れました。

感想1

世の中の「こうあるべき」「これがいい」という価値観をたくさん取り込んで、周りと比べて自分はだめだと身動きが取れなくなっているような想像が浮かびました。というのも、私自身がその傾向にあるからです。何をしてもどんな自分でもなんだかだめな感覚が拭えず、「どういう自分だったら許せるのか?」と聞かれても具体的なイメージが湧きません。なりたい姿もないのに自分のことを否定している自分も嫌になり…というループです。どうしてこんな思考なんだろう、と考えてたどり着いたのが、最初に書いたところでした。頑張らなきゃいけないと思っていて、頑張らないことが怖いのかも?休んでも辛いのは休みたくないわけじゃなくて休んじゃいけない価値観があるからなのかも?その価値観は社会の価値観で、私の心の声に見せかけた別のものなのかもしれない、そんなことを思い始めていたところなので、あなたはどうだろうと気になりました。

家庭や経済的なことも含め、ずっと埋められないものがあった中で、それが埋まった感覚を得られたのが元彼さんだったのかな?と感じました。もしそうなら、一度埋まった感覚を得たのに、それがなくなってしまうのは、埋まる前よりもなんだか辛いような気もしています。(ギャップが大きくなる気がするので)彼のどんなところがあなたを満たしてくれていたでしょうか。そこにきっとあなたの心の声が隠れているかもしれません。

こんなことで、って思ってしまうけど、本当はこんなことじゃないのだと思います。自分で思うと、自分すら自分のことを軽視してしまう感覚が私にはあるので、辛い気持ちだけどその気持ちは無下にしてはいけないのんだろうな、と思いながら、じゃあ無下にしない以外にはどうしたらいいのかな、と私は試行錯誤しているところです。人間なんて矛盾しかしていない!と開き直れる日もあれば、疲れて全部投げ出したくなる日も全然あります。なんだか自分の話が多くなってしまってすみません。お互いこんな自分をうまく手なづけていけたらいいなぁと思う時間でした。

感想2

自問自答と葛藤が繰り返される苦しい心の内が伝わってきました。そして、あなたの苦しみの背景には私たちが作り出した能力主義の存在が大きくあるように感じています。人は一人ひとり能力も環境も異なります。背の高い人がいれば、低い人がいるように、勉強ができる人がいて、苦手な人もいます。それは単なる事実でしかありません。しかし、社会の中ではその時代や文化によって特定の能力がある方が優れているとされ、そうではないと劣っているという評価を受けます。成績や学歴が私たちが生きる今の社会では代表的なものです。そして、その能力が働くうえでも重要視されます。さらに、経済的な裕福さともかなり連動していきます。つまり、本来は差があっても自然であるはずの個人の能力の違いであったことが、知らないうちにとても大きな社会的な価値や優劣に置き換えられて考えるようになってしまうのです。私たちはそうした考えに慣れてしまっているかもしれませんが、実はとても危ういことだと思う気持ちが私にはあります。特定の能力や経済力で人の価値を決めてしまうことは知らずに立場の弱い人の存在を不要だと思ってしまうことにもつながりますし、それは未来の自分や自分の身近な人たちへの排除や否定にもつながることだと思うからです。
あなたが周囲と比較してしまってこんなにも苦しい思いをしていますが、もともと持っている力や個性もたくさんあると私は思うのです。ただし、そのままの自分を受け入れたことが少なく、一方的な期待や基準を当てはめられて評価されてきた子ども時代を過ごしてきたのかもしれないと想像しています(違っていたらすみません)。そうであれば、自分をそのまま認めてほしい渇望が強くなり、特定の誰かに依存してしまうことも自然なことだと思えました。
特定の基準だけで人を評価するのではなく、世の中に多様な基準や見方があったり、いろいろな価値観で生きている人たちを見たり、関わったりしたときにあなたが自分のことをどう感じるのかというのが気になります。しんどい時に休むことも確かに必要かもしれませんが、あなたのしんどさには今まで出会ったことのない人たちに出会える機会を持つことをおススメしたい気持ちです。矛盾や葛藤は苦しいですが、自分が自分でいようとしたり、成長をしようとしている証だと私は思っています。

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