経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

辛いです

幼少期、私は特殊な家庭環境に置かれており、両親ではなく祖父母と姉とで小学校高学年まで暮らしていました。祖父は苛烈な人で、祖母に日常的に暴力を私と姉の前で振るうような人でした。祖母は祖父からの暴力を避けるために嘘をつく癖があり、私を言い訳に出されたことが何度かありました。また、姉贔屓な所があり姉も当時はあまり中が良くなかったので二人に辛い目に合わせられる事もありました。祖父母と私の両親は折り合いが悪く、お互いにひどく罵り合っています。祖父は特にひどく、孫を可愛がっていてくれているのはわかるのですが、会うたびに両親の悪口を言っています。先にも言いましたが苛烈な人なので、母の車にツルハシを刺して廃車にしてしまったり、先日も玄関にもツルハシを刺され穴が貫通してしまいました。やめてほしいと言っても、それじゃ俺はどうやって気持ちを抑えたらいいんだ?の繰り返しで聞き入れてくれません。祖母も年々虚言癖が酷くなっており、母を祖父への言い訳に使い祖父がそれを信じてますます親子仲がこじれるという悪循環に陥っています。私の両親、特に母は毎日のように祖父母の文句を言っています。ずっと呪詛のように言っていて本当に精神が疲弊します。母は改めて思うととんでもない人間で、いわゆるマルチ商法にはまったり、陰謀論を信じるタイプです。片付けが苦手で、今家はゴミ屋敷です。私と姉と父が片付けようとすると、発狂したように叫びます。浪費癖もあり、ブランド物を買うようなタイプではなく、日用品や割り引き品、食料品などをたくさん買ってきます。そして結局自分は食べず腐らせたり、父に食べさせるというような有様です。また上から目線で、人格否定の言葉が毎日とんできます。父の悪口や父の実家の悪口、叔母の悪口も毎日言っています。母は先程述べた祖父母の実の娘で、幼少期から酷い目に合ったのは分かっていますし、同情していますが、それを差し引いても受け入れられません。一緒にいるのが辛いです。父も消極的で、もう母に何も言いません。離婚を勧めても何故か気乗りしない様なのに、父は父で母と祖父母の悪口を言います。父との仲は良好なのですが、かなり高齢で、いつ居なくなってしまうのか毎日不安です。全てに板挟みで辛いです。毎日毎日誰かの悪口を聞いていて気力が持ちません。高校生まで自分の置かれている環境が異常だと不思議なことに全く思いませんでした。気づいた瞬間絶望しました。結局精神を病んでしまい、スクールカウンセラーの人とも話したのですが、私が家庭のことを話すのが恥ずかしく結局あまり意味はありませんでした。そのまま不登校になってしまったのですが、その時に担任の先生に、みんな来たくないけど学校に頑張ってきてるんだよと言われて正直心が折れました。先生はもちろん私の事情を知らないので知っていたら言わなかったと思います。でも、本当に辛くて大泣きしてしまいました。その後高校は辞めました。1年くらいひきこもった後、今通信制大学に通っていますが、高校で一緒だった友達は皆しっかり卒業して自分の道に進んでキラキラしているのに、私は中途半端に学校を辞めて何をしているんだろうという気になります。劣等感がものすごく辛いです。でもこの結果は自分が生み出したものだと分かっていますし、分かっているからこそ自分を肯定できなくて辛いです。金銭的な面でも、父から母の浪費が凄すぎて貯金が全然ないと言われ不安が凄いです。もう大学生だし、バイトをしたりして自立するべきなのはわかっているのですが、周りからの目を気にしすぎて身動きできません。毎日毎日マイナスなことをずっと考えています。早くこの日々が終わるといいのに。

感想1

投稿読みました。綴られている日常の複雑さと過酷さ(到底その言葉だけでは言い表せられないとは思いますが…)に、あなたがじっと耐え生き抜いてきたことが伝わってきました。単純に「家庭環境が悪かった」という一言で括れるような軽いものではなく、長年にわたる暴力、支配、すれ違い、無関心、偏見、失望、そして孤独感などといった、さまざまな形で降りかかった理不尽の連鎖があったのだと思います。
特に印象的だったのは、「高校生まで自分の置かれている環境が異常だと不思議なことに全く思いませんでした」という一文です。長い間、非日常を日常として受け入れざるを得なかった状況があって、異常なことを異常と気づけないほどに、常に誰かの怒りや嘘、暴言の中で生きてきたのですよね…。そこには、子どもが安心して「自分」として存在できるような空間がほとんどなかったのだと想像します。私自身も状況や程度はあなたとは異なりますが、家庭環境が決して良いとは言えない中で育ち、でもハッキリ気づいたのは随分遅かったので、気づいた(気づいてしまった)時のショックも大きく、あなたの抱いた絶望感には思わず「分かるなぁ…」と心の中で呟いていました。
また、暴力的な祖父さんと虚言癖のある祖母さん、感情の起伏が激しく被害的なお母さん、そしてそれに沈黙するお父さんという構図の中で過ごすと、常に自分を押し殺すしかない状況になると思いますし、こうした家庭では、子どもはしばしば“調整役”や“ただひたすらに受け止める器”のような役割を担わされ、大人たちの感情のはけ口や板挟みになりがちです。なので、心が疲弊しきってしまっている今の状況は当然のことだと私は思います。環境要因(それだけじゃないにしても)が今のあなたをつくりあげたのであって、あなた自身に問題があるとか悪いとかではないよと声を大にして伝えたい気持ちになりました。
幼少期からの苦しみを、自分の感情をきちんと整理し、両親や祖父母の背景を理解しようとしている様子も私は文章を読んで感じていて、ただ、それが同時にどことなく“受け入れなければならない”という無意識のプレッシャーにもなってしまっているようにも感じ、そのバランスの取りづらさが、今の自己肯定感の低下や無力感にもつながっているのかもしれないなと思いました。
また、担任の先生の不用意な一言や、通信制大学で感じる「周囲とのズレ」が、過去の傷にさらに追い打ちをかける形になっているように見えます。「この結果は自分が生み出したもの」と思ってしまうこと自体が、この社会の「自己責任」という価値観の弊害が出ているように感じました。あなた自身が自分の意思で選んだというよりかは、選ばされてきた(主体的に選択できなかった)状況の中で、何とか進んできた結果なのではないかなと私は思います。
文章全体から、疲弊しきっているにもかかわらず、理性的に物事を見ようとする力、感情を言葉にする力、そして自分をどうにか理解しようとする力が、あなたにはあるように私は感じています。だからこそ、「早くこの日々が終わるといいのに」という最後の一文は、願いであると同時に、どこか諦めも含んだ心の叫びにも聞こえました。生きる上で「周りの目」から解放されることがいかに難しいことか、過去を引きずりながらも先に進むことがいかに消耗することか…その一つひとつが、社会のあらゆる面での不十分さや、家族に対する過剰な理想の押しつけ、弱音を吐けない風潮などが強く関係しているのだと改めて考えさせられました。
ただ、こうしてこれまでのこと、気持ちなどを言葉にして綴る行為に、まだ何とか“立ち上がろうとしている”気持ちもどこかに残っているのかなとも私は思っています。長年蓄積されたダメージが回復するのには時間がかかってしまうことを身をもって感じているところではありますが、どうかこの先少しでも、あなたが安心して関われる人や心休められる場所に出会えることを願っています。死にトリが必要に感じられたらいつでも訪れてほしいですし、またあなたのお話を聞かせてもらって言葉を交わせられたらなと思っています。投稿、ありがとうございました。

感想2

とても過酷な環境の中、必死に生きてきたことを心から受け止めました。最後の方に「この結果は自分が生み出したものだと分かっています」とありましたが、心から「あなたには、今苦しんでいることへの責任はないです」と伝えたいです。子どもの頃から自分では選べない環境、そして逃げることも避けることも、解決することも非常に困難な中で、あなたはできる限りの努力や工夫をして生き延びてきたと私は感じました。周囲には見えないし、あなた自身も気づかないと思いますが、人知れず苦労と努力をしてきたことに私は敬意を表したいと思います。周囲の人たちとの比較で自立を焦る気持ちがある様子も伝わってきましたが、これまでの経験で受けてきた負担やダメージがたくさんあると思いますし、安心安全の土台も作ることができずに、あなたの涙ぐましい努力でかろうじて今をやり過ごしている状態のように想像しています。
周囲と比較したり、年齢を考えるともっとしっかりしなければ…とか、少しでも自立に近づかなくては…と思う気持ちがあるかもしれません。私はあなたのように子ども時代にいろいろな苦労をしてきた若者たちと話をする機会があるのですが、よく年齢の話題になります。18歳になったからとか、もう大人なんだからとか、一律に自立を求められるのは違うのではないかという意見を聞いて、私はとても納得しています。大人になるためには大人からケアを受ける一定年数の子ども時代が必要です。大人に守られ、頼ることができ、安心安全の土台をつくり、失敗してもそれを受け止めてくれる経験をして、自信をつけて…そういう期間が18年あれば大人ですと言われてもいいと思いますが、そうではなく、暴力や暴言が身近にあったり、衣食住も満足に与えられなかったり、気持ちや意見を尊重されず否定されたり、大人の顔色をいつもうかがっていたり、不安や恐怖が隣り合わせでいたのなら、18年たったとしても大人のふるまいを求められるのは、本当に横暴なことだと私は考えています。だから、私はあなたにとって今必要なのは本来子ども時代に受けるべきだったケアや労りを受けることではないかと思いました。過酷な中でもこうして生き抜いてきたあなたにはたくさんの力や可能性があると私は感じました。自分の気持ちに耳を傾け、その気持ちをこうして書き記し、死にトリに書いて届けてくれたのもその力の一つだと感じています。

そのうえで、どうにかして今の環境から逃れられないかという気持ちが出てきました。例えば、年齢が10代であれば「自立援助ホーム」というサポートを利用することができると思います。近くにないかもしれませんが、通信制の大学ならむしろ、家から離れたところでも大丈夫かなと思いましたし、物理的に家族と離れてみて気づくこともあるのかなと思いました。自立援助ホーム以外にも今の生活から逃れて、新しい日々を始める方法はあると私は思っています。ただ、それは一人で頑張るのではなく、誰かの力を借りることが必要です。あなたには手助けを受ける権利がありますし、子ども時代をやり直したり、心身を回復させて、自立のための土台をつくるチャンスが必要だと思います。こうして死にトリに気持ちを届けてくれたことを自分から踏み出した第一歩として、次に踏み出すことをいつでも応援しています。
また、必要な時にはいつでも死にトリに来てください。待っています。

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