経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

お母さん

この頃、体調が悪くて、近所の内科に行っても匙を投げられ、総合病院に行って専門の先生に見てもらっても精神科の薬のせいにされて薬さえ出ず、仕事や趣味さえ頑張りたくても頑張れない日々を送っています。
そのせいかメンタルの調子も良くなくて、泣きながら独り言で「お母さん、愛して」と気がつくと呟いたり、虚無感を埋める為に過食に走ったりしてします。
身体も精神も限界なのに、次の診察はまだ先。もう死にたいです。その日まで耐えられないです。
なのに、唯一の私の救いであるODは許してもらえません。私は薬がないと幸せになれないのに。どうして。
もうやだ。もう無理。去年は入院ばかりしていたから、今年は楽しいことを少しでも増やそうとネモフィラを観に行ったり、スマホに初めてソシャゲをインストールしたのに。
どうして。どうして、神さまは私が楽しく生きることをいつも邪魔するの⁇

元気になったら、ケバブ屋さんと、林檎堂に行くつもりです。頑張って生きられるといいな。

感想1

体調も悪くメンタルの調子もよくない中で、何とかして抱えた気持ちや辛さを書きに来てくれたのかなと想像しながら読ませていただきました。

タイトルや「お母さん、愛して」とあるように、投稿者さんの中には少なからず「母親」という存在が満たされない気持ちや辛さの根幹にあるのかなと想像しました。それは虚無感を感じて過食に走ったりメンタルの調子を乱すものでありつつも、「見てほしい」「受け止めてほしい」という反対の性質をもつものでもあるのかなと(違っていたらすみません)…。

そんな身体も精神も限界の中で何とか投稿者さんの今を繋げていたり、自分の心を守るためにしていることが薬やODなのに、(身体のことを考えたら当然といえば当然ではありますが)それを許してもらえないことは気持ちの発露や辛さの発散を奪われることになって、投稿者さんの逃げ道をなくすことになっているのかなと私には思えました。

ただ、そんな中でも自分で自分を満たそうとネモフィラを見に行ったり、ソシャゲを楽しんでみようとしたりなど、今の自分にできる形で自分の世界を広げようとしていることは決して無駄ではないことのように私には思えます。

投稿者さんにとっての「唯一」が変わることにはもしかしたら今しばらく時間がかかるのかもしれませんが、「元気になったら、」と締めくくられていることのように少しずつでも投稿者さんが豊かになる経験があってほしいと思いますし、肩肘を張りすぎずに程々に生きていけるこれからになってほしいなと勝手ながらに思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

投稿読みました。身体的な不調と、それに連動して深まっていく精神的な苦しみが切実に伝わってきました。病院で十分な対応をしてもらえなかった無力感、助けを求めているのに届かないもどかしさは、先の見えなさもそうですし、なんというのか心が打ち砕かれていくような感覚もあったりするのではないかなと想像しています。体のしんどさが気の持ちようとされたり、薬のせいと軽く扱われてしまうのは、自分でもどうしたらいいか分からなくなるものだよな…と感じました。
「お母さん、愛して」と独り言のようにこぼれてしまう瞬間に、本質的に求める“誰かに無条件に受け入れてもらいたい”という願いがあるように思いました。“誰か”ではなくあなたとしてはお母さんへの思いが強くあるのかもしれませんね…詳しく書かれていなかったので分からないですが、どこか引っかかりがあって、心の深いところでずっと癒されずに残された何かが、今も助けを求めているような印象を抱きました。(違っていたらすみません)
「薬がないと幸せになれない」と感じる葛藤も、一見すると依存のように見えるかもしれませんが、その背景には「何かひとつでも確実に効くもの(楽になれるもの)が欲しい」という、思いあがあるように感じます。気持ちが追い詰められる時に、薬は一つの手段である以上に、「頼れるもの」になりやすいなと思いますし、だからこそその手段さえ「許されない」と感じる状況は、あなたにとってどうしようもない無力感に襲われてしまうのかなとも考えていました。
そのような中で、あなたは自分なりに工夫をしていて、でもその楽しさが持続しないくらいに日常で次から次へと嫌なこと、心が折れることが降りかかってきてしまうような感覚もあるのかもしれないなと…。ただ、無理に前向きにとは言いませんが(言いたくもないですが)、これからも楽しいことは日常の中にちょっとでもいいので取り入れてほしいな…と思う自分がいます。
最後の一文に、どうすることもできない(と感じてしまうような)現実と向き合いながらも、まだどこかでこの先のことを想像しようとする力がまだあなたには残っているのだと私は感じました。経験談の投稿をいただいてから、日が経ちましたがどう過ごされているのかな?と気になっています。なかなか抱く死にたさや苦しさを拭えるものではないとは思いますが、死にトリがあなたの役に立つようであれば、またいつでも声を届けてほしいです。

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