私は高校の時から聞こえなくなり今の会社でのコミニケーションが難しいと思っていました。そこで、力を貸してくれたのは高校の時の親友でしたその時の私は手話ができずに筆談がメインでしたその事を話したら一緒に勉強しょうって行ってくれました。その時によくよく聞いたら実はおんなじ部活の子だったんです。
その子に会うまでは死ぬことも考えました。でもその高校に入るまでに力を貸してくれた中学の先生や家族に申し訳ないなって思って死ぬことを考え直しました。実は小学校の時も1回死ぬことを考えたんです。その時も友達がいなく独りぼっちだったんです。聞こえも悪く迷惑かけちゃうなと死のうとしたとき当時の担任の先生が迎えに来てくれたんです(大丈夫だよ一緒に行こうっ)と
その時はとっても嬉しく諦めました
今もコミニケーションは試行錯誤しながら働いています
私がここまで働けたのはお母さん当時の小学校の先生、中学の先生、親友でした
ありがとうと言いたいです
今もその親友とはよく遊びに行ったり泊まりに行ったりしています
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
聴覚障害者で困ったこと
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
今まで出来ていたことが難しくなっていく歯痒さや苦しさを、自分なりに想像しながら読みました。それでも、想像だけでは到底及ばないだろうとも感じています。
死ぬことも考えていたと書かれていましたが、たくさんの不安や葛藤、絶望感・・複雑な感情の中でずっともがいていたのではないかと感じました。深い孤独の中にいたあなたに、当時の担任の先生が駆けつけて声をかけてくれたのですかね。
周囲の人たちに対するあなたの気持ちは、しっかり届いているのではないかと感じました。
今も職場で試行錯誤を続けているとのことでしたが、さまざまな「違い」を持った人が暮らす社会の中で、お互いを理解しようとすることの大切さをあらためて気づかせてもらったような思いでいます。
またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
読み終えて最初に出てきた感想として、試行錯誤しながら自分らしく生きる、仕事している姿、周りに感謝できる姿勢を見習いたいと思いました。自分なら色んな事を諦めて卑屈な気持ちで生きてるんだろうな、と考えながら。
小学生の時から聞こえずらい感覚、高校生になってからの聞こえないという実感の中で、周りとの違いで嫌な思い、時には心ない言葉、行動を向けられたこともあるんじゃないかと想像します。そんな中でも友だち、学校の先生との関係性、お母さんの支えがあり今に至っている事に「良かった」とホッとしている自分がいます。文章を読んでいて前向き(違ってたらすみません)な、生き生きとしている様子が感じられました。
聴覚にハンデがある方にとって筆談、手話、補聴器など生活、仕事するために自分が努力、用意しないといけないこと、周りに気を使い続ける負担が多いように思います。
補聴器や聴力回復医療など技術や医療が発達しても社会、人の意識が障がいを抱える人たちへ向くこと(共感性、理解する努力)が重要な事なのかなと私は思います。