経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

家がしんどい。

 一か月以上母親とけんかしている。
 きっかけは、わたしが無断でネッ友とラインを繋いでいたこと。それと、勝手に勉強用のタブレットにラインをダウンロードしたこと。母親がぶち切れて、勢いで全員ブロック削除された。せめてお別れくらい自分でさせて、けじめをつけさせてってすがったけど、信用できないって。
 ネッ友とあそこは、わたしにとって居場所だった。リアルで人間関係を築くことが苦手だけど、あそこでなら素の自分でいられた。また、みんながしんどい時には話を聞いて相談に乗ったりして、それで立ち直っていく様子を見るのが好きだった。
 一度、いろいろあってもうそこにいられないと思い詰めたことがあった。そこからいなくなったら、個人的に連絡先を繋いでいたいちばん仲のいい人から連絡があった。別にわたしである必要ないでしょ?って言ったら、「僕の話したい○○はこの世にひとりしかいない」って言ってくれた。その言葉にすごく救われた。
 彼は彼女持ちで、はじめは別に恋愛的な意味で好きではなかったけど、一時期彼が病んでいるときに慰めていたらなんか懐かれた。気付いたら好きだった。
 母親に、彼との会話を全部見られた。「気持ち悪い」「愛されずに育った家庭環境が複雑な子が不倫に走る、あんたをそんな風に育てた覚えはない」「義務教育終わってるんだから働こうと思えば働ける。別にバーチャル彼氏のところにでもどこにでも行けば?」などと言われて、ストッパーが壊れた。
 家出した。まあ、結局彼とは会えなくて、その日の夕方に帰ってきたけれど。家に入ったときの反応は、薄かった。「今回のことを反省していないのが分かっただけで、感動の再会とかはなんにもない」だって。本当は、もうちょっと反応してほしかった。抱きしめるなり、叩くなり、なにかしらわたしに関心を示してほしかった。
 それからは、もう家庭内別居。幸い、祖父母と同居しているので、衣食住は保証されている。けれど、ひとりぼっち。わたしの拠り所だったのは、ネットのなかのみんなだから。それを全部壊されて奪われたことが許せなかった。みんなのことを大切に思うことを否定されたくなくて、自分を守りたかったから「家族はただの同居人、どうせあと数年で離れるものだ」って割り切ろうとした。それをぽろっと祖母にこぼしたら、母親にチクられて、そうしたら「もうあんたのこととか知らないから、関わんないで」って言われた。ああ、そっか、どうでもいいんだ、ならいいかって。完全に壊れた。
 母親がリビングにいるときはわたしが部屋にこもり、わたしがリビングにいるときは母親がどこかに行く。業務連絡とか、最低限のことしか話さない。
 祖母は言う。「家族がこんな状態でいていいはずがない。今回の件はお前が全面的に悪いんだ。さっさと折れなさい」どうしてそんな風に妄信できるのか分からない。お互いの合意の上での関わらない選択が、なんでいけないの?
 けれど、母親も母親。あっちから関わらないでって言ったくせに、わたしが課題で文書を作るためにパソコンを使っていると、「私は知ったこっちゃないけど、また同じことしたらあんたらの責任だからちゃんと監視しといて」って、不機嫌そうに祖父母に話していた。矛盾してるよね。自分はなにもしないけど、間接的に支配してるようなもんじゃん。何様? 保護者様か。ふぅん。自分でその役目をしないって宣言したくせにね。
 はじめの3週間ちょっとは、ひたすら辛かった。わたしに居てほしいって言ってくれる人との繋がりが壊されたんだから、もう生きている意味ないなって思って、どうすれば死ねるかってばっかり考えてた。
 今は、学校でそれなりに話せる人ができてきたから、あの時ほど思いつめてはいない。あそこのみんなほどに心を許せているわけではないけれど、人との繋がりがあるだけで少し安定した。
 けれど、家の空気は相変わらず重い。毎日帰りたくない気持ちで体が動かない。帰りの電車をわざと乗り過ごしたりして、ちょっとでも帰る時間を遅らせようとしている。
 前は居場所を奪われた痛みや恨みが強かったけれど、今仲直りしたくない理由は少し変わってきている。「愛されてない子が不倫する」。別に、わたしは母親に愛されてないって思ったことはなかった。なのに、あの人が自分からそうやって言ったから、そうか、わたしのことをそうやって見てるんだねってショックを受けた。それから、今までの態度。関わんないでって言いながら干渉してくる矛盾や、必要最低限のことを話すときのほんの少しの時間でもずっと変わらない冷たい声音。もうわかんない。いやだ。お互い無関心でスルーすれば平和に過ごせるでしょ? なんでわざわざ波風を立てるの? おばあちゃんもさ、いちいち掘り返さないでよ。もう、主な理由そこじゃないんだってば。まあ、ゼロとは言わないけど。こっちにも否はあるよ。それくらい分かってる。けど、正しさのために、わたしの気持ちは全否定されないといけないのかなぁ。どうせそういう展開になるって分かってるから、自分から歩み寄って修復しようって努力する気にはなれない。
 子どもって損ですね。

感想1

 「子どもって損ですね」に共感しながら感想を書いている大人です。わたしは、子どもの権利というものに関心を持ち勉強中なのですが、日本が1994年批准した「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」によると、子どもは「弱くておとなから守られる存在」という考え方だけでなく、子どもも「ひとりの人間として人権(権利)を持っている権利の主体である」との考え方を示しています。また、日本では、児童福祉法の改正により2020年から親権者等による体罰が法律で禁止されました。
 どちらも、つい数年前のことだと私は感じてしまいます。それ以前は、「子どもの主張を認めることは、わがままな子に育つ」「大人の判断の方が正しい」「自分のこどもであるなら、しつけのために体罰をしてもいい」というような価値観があったのでしょうし、今でもそう考えている大人も少なくはないと実感をしている日々です。
 一方で、これらの新しい価値観の中で育ってこなかった過去の子どもたちが、今の大人等であると思います。新しい時代を生きている投稿者さん等の子どもたちは、大人からの理不尽や暴力に対してのアンテナが高い年齢層であると感じることも少なくありません。そして、子どもたちが、親や大人からの理不尽を訴える姿を頼もしく感じています。
 インターネット内でのつながりや居場所という文化は、急速に浸透した文化であり、成熟過程にあるとわたしは感じています。今のおとな達は、こども時代に経験してこなかったことだけに、不安が大きいがゆえ、子どもたちに厳しい目を向けることもあるでしょう。一方で子ども達よりも長く生きてきたからこそ、リスクを見通す力があるという場合もあるかもしれません。
 投稿者さんが、「せめてお別れくらい自分でさせて、けじめをつけさせてって」とすがった際に、母親さんが少しでも歩み寄って耳を傾けてくださったり、祖母さんが「家族がこんな状態でいていいはずがない。今回の件はお前が全面的に悪いんだ。さっさと折れなさい」と言った際に、一方的(と私は感じたのですが)ではなく、双方の考えを聞いてくださったり、そういう積み重ねができたらいいなと思ってしまいました。
 文章を読む限り、母親さんの言動は矛盾している部分はあるながらも、一貫して投稿者さんに溢れるほどの関心があるとわたしは感じました。
 親子、夫婦、恋人、家族などの親密な関係ほど、「権利を奪う側(支配する側)」「権利を奪われる側(支配される側)」の構造に陥りやすいと思います。投稿者さんも母親さんも、互いの快適な距離感が見つけられず苦しくなっているのではないかと想像しました。
 意見が対立する相手と話をする際には、「私は○○と思う」「私は○○と考えていて○○してほしい」というように「Iメッセージ(私を主語にして話す)」で伝えると、相手を否定することにならず、建設的な話に展開するらしいです。私は子育てが上手ではない母親ですが、自身の子どもに話をするときに、この手法でやってみたら対立構造にならずに済んだ経験があったことを思い出しました(すでにご存じだったり、実践済みでしたら申し訳ないです。投稿者さんの母親さんにお伝えしたい気持ちになりました)。
 家族って、コミュニケーションの実践の場であり、家庭によっては、子どもにとって過酷なコミュニケーションの実践の場となると思っています。投稿者さんが母親さんや祖母さん等の大人に対して反論したい感情がある限り、投稿者さんは支配されていないとわたしは感じました。

感想2

投稿ありがとうございます。
投稿者さんなりの人間関係の築き方、友達との関係性があったものが、その歴史を知らない人(母親さん)に問答無用で否定されるのは、とても悲しくやるせないことだったんじゃないかと思います。家族は家族としての関係性があって、そこと友達関係を比べたり、どちらかが間違いという話ではないにせよ、少なくとも今回の喧嘩にあたって、人と人の境界線を越えて、投稿者さんの考える力を横取りしてしまったのは母親さんの物言いのほうだったのかな、と私は感じました。第三者としてやりとりを聞いていると、投稿者さんに対する母親さんの関心は「ある」ように見えるのですが、関心と干渉は受け手によって変わるし、相手がどういうつもりでその態度をとっているか、受け手には分かりようがないよなと思います。私自身は子どもの頃、親に自分の辛さが伝わらないのが悲しくて、冬の夜に2時間くらい黙って家を出たのですが、帰宅したときに本当に何も言われず…心の底から「私のことはどうでもいいんだな」と絶望したことがあります。大人になって話してみて「あなたの判断に任せているつもりだった」と言われましたが、「そんなの分かるわけないだろう」ととても腹が立ちました。
母親さんは、投稿者さんにとってどんな人(に見えている)でしょうか?「愛されていないと思ったことはなかった」という言葉が印象的だったので、この喧嘩以前、元々の母親さん像はどんな感じだったのかなと聞いてみたい気持ちになりましたし、そこに、今の投稿者さんのショックの大きさや「無関心でスルーしていればいい」という結論に至る中でのまだ言葉になっていない母親さんに対する気持ちが含まれているように思いました。

子どもの行動や考え方は、親子関係という不平等な関係の中では、簡単に不利な立場に立たされるなと思います。私自身、元々子どもだった大人として、先ほど書かせてもらった幼いころの冬の夜の絶望をまだ心に抱えているいち大人として、「正しさのために私の気持ちは全否定されないといけないのか」「子どもって損だ」という言葉にすごくすごく納得しています。どちらかだけが悪いとか、立場の弱くなりがちな方が謝れば済むとか、そういう話じゃなく、対等な人間同士として親子関係が築かれていくといいなと切実に感じました。 

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